【潮嶽神社】 主祭神は火照命ホデリノミコト(海幸彦)
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2014年3月22日参拝
◆「天孫族・追憶の旅」第二弾。(3月22日~24日)
①霧島神宮・古宮址(霧島市高千穂河原) ②霧島東神社 ③狭野神社
④霧島岑神社 ⑤東霧島神社 ⑥鵜戸神宮 ⑦潮嶽神社 ⑧青島神社
⑨立盤神社と美々津の海 ⑩都農神社 ⑪都萬神社 ⑫鹿野田神社
⑬宮崎神宮 ⑭宮崎縣・護国神社 ⑮江田神社と禊の御池
▼潮嶽神社の位置
◆◇◆潮嶽神社
日南市北郷町の潮嶽神社は火照命(ホデリノミコト(海幸彦)を主祭神に祀る全国でも唯一の神社。
山幸彦に敗れた海幸彦は、磐船に乗ってたどり着いた越潮山(こしおやま)を潮嶽(うしおだけ)と称するようになったという。
この地方では「海幸・山幸」神話にちなみ、縫い針を他人に貸さない習俗があるという。
神話では海幸彦は山幸彦の影に隠れ有名ではないが、海幸彦は隼人(南九州に居住する氏族)の祖といわれている。
魚釣舞を含む潮嶽神楽や、神武東征の折、別れを惜しみ里の乙女が舞ったことに由来する御神子舞等の神事芸能も現存し、祭典時には大マグロや十数頭の猪頭も奉奠されるなど、海幸・山幸の御祭神の御神徳に因む漁業や狩猟の信仰が厚い。
【海幸彦と山幸彦の物語】
海幸彦と山幸彦の物語は、山で獣を捕って暮らしていた山幸彦(古事記で火遠理命(ほをりのみこと)、日本書紀で彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))が、海で魚を獲ることを生業にしていた兄の海幸彦(古事記で火照命(ほでりのみこと)、日本書紀で火闌降命(ほすそりのみこと))から釣針を借りて漁に出たが釣針を失い、塩椎神(しおつちのかみ)の教えによって釣針を探しに海宮に赴く。そこで三年を過ごし、海神(豊玉彦)の娘豊玉姫(とよたまひめ)(豊玉毘売命(とよたまひめのみこと))を娶って、釣針を見つけ出し、潮盈珠(しほみちのたま)と潮乾珠(しほひのたま)を得て、戻ってくる。
兄の海幸彦は、山幸彦に攻め込むが、その都度、潮の満ち干を操る玉を使われて、打ち負かされてしまう。最後の戦いで、弟の起こした大波に呑まれて負け戦となった海幸彦が、磐船に乗って流れ着いたとの伝承が、潮嶽神社の場所である。
▼日向灘①
▼日向灘②
▼潮嶽神社の駐車場に到着
◆潮嶽神社の鳥居と石段
▼左右にカヤやスギの巨木が並ぶ古い石段をぽれぽれと上る。
▼うっそうと茂る巨樹の中には、樹齢400年のカヤの木もある。
◆◇◆潮嶽神社
ご鎮座は口碑によれば神武朝の頃と伝えられ、世々の領主、地頭、藩主、更には広く一般庶民より崇敬された社である。また藩政時には社録が付され、毎年大祭には太刀一口並びに幣帛が供せされた。明治維新の後は、神饌幣帛料供進社に定められた。
現本殿は、天保2年、飫肥藩主伊東公の寄進による造営で、流れ造り、三方高欄にて極彩色を施し、組み物並びに、唐獅子等の彫刻は雅趣である。
本殿、拝殿、祖霊舎には伊東家の庵木瓜、九曜の紋所をいただいている。
◆潮嶽神社縁起
主祭神、火闌降命(海幸彦の命)は海幸・山幸の争の時、磐般で乗り潮嶽の里にお着きになり、ここに宮居を定められたと伝える
また海幸・山幸の争いに因んで縫い針の貸借がタブーとされ、初宮詣にあっては、額に犬の字を書くいう隼人の宮廷奉仕の古俗を偲ばせる習俗がある
魚釣舞を含む潮嶽神楽や神武東征の折、別れを措しみ里の乙女が舞ったことに由来する御神子舞等の神事芸能も現存し、祭典時には大マグロや十数頭の猪頭も奉奠されるなど海幸・山幸の御祭神の御神徳に因む漁業や狩猟の信仰が厚い
遥か神代の息吹が悠久の時を経て、今なお伝承遺跡・習俗・神事芸能・信仰などの信は的コスモスを形成している江戸時代正保の頃に火災に遭い古文書等の資料が失われた為,それ以前のことは、つまびらかでないが、口碑によれば社殿の創建は神武の朝と伝えられ、旧称は潮嶽大権現。海幸山幸の神農耕の神開運・心願成就の神・郷土の産土神(隼人の祖)と共に日向三権現として崇敬されてきた。藩政時には社録が付され、大祭には飫肥藩主・伊東公より太刀一口・並びに幣帛料が奉納された明治維新の後は潮嶽神社と改称し今日に至っている。
主祭神はニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた日向神話ゆかりの神・火照命(ホデリノミコト(海幸彦)。潮嶽神社(旧称潮嶽大権現)は全国で唯一、海幸彦を祀る神社なのです。
◆海幸彦その後の物語 「ひむか神話街道」・・・潮嶽神社より
「今の本殿は天保3(1832)年に飫肥藩伊東氏が寄進したもので、昔は豪華なものだったでしょう。床板は高級碁盤に使えそうな分厚いカヤの木でできてますよ。でもいまさら塗り直す訳にもいきませんからね」と、平安時代から世襲の25代宮司・佐師正朗さん。
ところで、なぜ潮→海、嶽→山の名前がついているのか。確かに、北郷は海も近い山の入口だが。
「潮嶽神社は、青島から始まる海幸彦・山幸彦神話の終着点なんです」
佐師宮司が話してくれたのは、悪者にされる海幸の話。この海幸彦(火照命ホデリノミコト)こそ潮嶽神社の主祭神なのだ。
互いの持ち物を取り替えたばかりに、失くした釣り針を探す山幸彦は、海神のもとへ。そこで釣り針を取り戻し、みやげに「潮満玉・潮干玉(しおみつたま・しおひるたま)」をもらった山幸彦は、釣り針を失くしたことを責める海幸彦をふたつの玉を使って懲らしめた。磐船(いわふね)に乗った海幸彦が漂着したのが北郷町宿野。ここで海幸彦は山幸彦に服従を誓ったという。
「その時の誓いの森が神社の向かいにある森ですよ。昔から、ここに入ると障りがあると伝えられるので、誰も入りません」
さらに、北へ4kmほど行くと、海幸彦の御陵と伝えられる大塚(王塚)古墳があり、ここも誰も立ち入ることのない場所だという。
山幸彦に服従を誓った海幸彦は、この地で人々を立派に治め、後に隼人族の祖先となる。これが、その後の海幸彦の物語なのだ。
▼耳の垂れた犬の姿の阿形の狛犬
▼耳の垂れた犬の姿の吽形の狛犬
さきほどの狛犬。隼人族が犬の声をまねて天皇の警護をしたと伝えられることに何か関係があるのか。山幸彦は、神武天皇の祖父となるのだ。
「そういえば、子どもの初参りの時に、額に『犬』の文字を書く隼人族の習慣もここには残っていますし、海幸彦が追われる原因となった釣り針にちなんで、縫い針の貸し借りもしてはいけない、という習慣もあるんですよ」
全国でも珍しい海幸彦を主祭神とする潮嶽神社。2月11日の春大祭には、山の猟師が猪の頭を、海の漁師はマグロを、そして福種下ろし(ふくたねおろし)の神事では、豊作を祈って稲千穂のモミをまく。
◆◆潮嶽神社・拝殿 入母屋造の拝殿
主祭神はホデリノミコト(海幸彦)
▼拝殿内部
◆◆潮嶽神社・本殿
ご鎮座は口碑によれば神武朝の頃と伝えられ、現本殿は、天保3(1832)年、飫肥藩主伊東公の寄進による造営で、流れ造り、三方高欄にて極彩色を施し、組み物並びに、唐獅子等の彫刻は雅趣である。
主祭神はホデリノミコト(海幸彦)
◆本殿の彫刻
▼帰りに微笑んでくれた狛犬君
◆潮嶽神社の社叢
◆潮嶽神社の花々