【止上神社】 六座、日向三代の神を祀る
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2014年4月7日参拝
◆止上神社
社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。
▼止上神社の位置
【御祭神】
•彦火々出見尊(ホホデミノミコト) •豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
•瓊々杵尊(ニニギノミコト) •木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
•葺不合尊(フキアエズノミコト) •玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
【由緒】
囎唹郡惣鎮守六社大権現と称され、祭神は六座、日向三代の神である。創建の年月は詳らかでないが、社記によれば、景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。往古は今の社殿の東方の尾牟礼という山の絶頂に鎮座され、その山を神体として山上を拝したが、その後今の地に社殿を造建神霊を勧請した。
尾牟礼山上に六箇の石祠があり、止上神鎮座の跡という。また中古まで王の御幸という祭式があって、毎年正月七日神輿を守り下って、同月二十二日に至るまで行廟(四ヶ所)にて種々の神供を献じ祭りを行った。此れは、隼人の霊魂が祟りをなし人民に害を及ぼしたため、当時御幸の式を設けその霊崇を鎮めた大祭である。慶長の中頃までは毎年執行されたが、その後廃されたという。当社の南西には、もう一つの隼人塚と称される森がある。
得仏公(島津忠久公)の時領内に七社と称する神社があり、当社はその第三の神社であった。第一は頴娃開聞社、第二水引新田宮、第三当社、第四国分鹿児島神社、第五霧島社、第六日州佐土原妻萬社、第七都城庄内稲荷社である。此の七社を、得仏公が毎年参詣されたという。
◆鳥居と参道
入口には朱の明神鳥居が立ち、杉のトンネル内を行く参道には寛延2年(1749)建立の石鳥居が立っている。社号標は「止上六社大権現」と「郷社止上神社」があり、この社の歴史を物語っている。
▼止上神社の神紋は「十六菊」
◆三之社
二の鳥居奥には三之社が祀られている。杜を抜けると右手には手水舎や水神等の末社が祀られている。
▼三之社:火闌降命(別名 隼人命、大隅命)、大己貴命
▼三之社:事代主命、武禦槌命、経津主命
▼三之社:豊姫命、磯良命
◆水神様と手水舎
▼手水舎と小龍
▼龍の水神
◆◆止上神社・拝殿
景行天皇の御宇日向の隼人が叛き天皇親から征伐された時、六所権現の霊神が大鷹となり擁護を加え、怱ち叛賊を平定されたため、その神霊を崇め祭ったという。
【御祭神】
•彦火々出見尊(ホホデミノミコト) •豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
•瓊々杵尊(ニニギノミコト) •木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
•葺不合尊(フキアエズノミコト) •玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
▼止上神社の神紋は「十六菊」
◆◇◆止上神社・本殿
▼止上神社・境内