【武雄神社】 御神木は樹齢3000年の「武雄の大楠」
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2015年1月8日参拝
武雄神社は武雄五社大明神ともいわれ、市内で最も古い神社。
神社の裏手には樹齢3000年の「武雄の大楠」があり、武雄神社の御神木となっている。
▼武雄神社の位置
【御祭神】
武内宿禰(たけうちのすくね)
武雄心命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、
五柱の神を総じて武雄大明神といわれる。
主祭神である武内宿禰は、政治を補佐する大臣として5代の天皇に仕え、実に360歳を誇る日本一長寿の神様として知られている。
▼社号標
▼境内の石垣
▼境内入口に立つ三の肥前鳥居
元和3年(1617)に第22代武雄領主鍋島茂和によって再建されたもの。
◆◆武雄神社・境内
石段を登り境内に上がると、正面には社殿、右手に社務所が配され、左手に塩釜神社、城山稲荷神社の境内社が祀られ、其の左から有名な「武雄の大楠」と呼ばれる樹齢3000年とも言われる巨木が聳える神奈備山麓へと続く小道が造られている。
◆茅輪神事の由来
茅輪神事は、「ちのわしんじ」と読んで、他に「輪越祭」「茅の輪くぐり」とも言われている。茅(ち=かや)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするもの。
昔、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が旅の途中で、蘇民将来(そみんしょうらい)巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求められた。弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断った。しかし、兄の蘇民将来は貧しい暮らしをしていたが、素盞鳴尊をお泊めして、厚いもてなしをした。
その後何年かたって素盞鳴尊は再び蘇民将来の家を訪れて、「もし悪い病気が流行することがあったら、茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからないですむでしょう」 とお教えになった。
■これから、「蘇民将来」と書いた紙を門にはっておくと災いを免れるという信仰が生まれた。茅の輪も、最初は人々が腰につけるほどの小さなものだったが、時代がたつにつれて大きくなり、これをくぐって罪やけがれを取り除くようになった。
▼武雄神社の茅の輪
▼武雄神社の茅の輪と拝殿
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◇◆武雄神社・拝殿
社殿は、唐破風付き入母屋造りの拝殿、流造の本殿共にコンクリート製で、その前に穏やかで素朴な感じの狛犬がいる。
▼白とクリーム色と水色の独特な色合いの拝殿。
▼拝殿の鈴と注連縄
▼拝殿・内部
▼武雄神社・拝殿
◆◇◆武雄神社・本殿
◆塩釜神社・城山稲荷神社
▼慰霊之碑
◆武雄の大楠へ
神社西の山麓に聳える「武雄の大楠」へは、城山稲荷神社・塩釜神社の左後ろから石段を下りて行く・・・
◆◇◆武雄の大楠
武雄神社左脇より、裏山の方へ続く遊歩道を5分程歩いたところに「武雄の大楠」はある。
武雄神社の御神木で推定樹齢3000年。根廻り26m、目通し14m、樹高27m。
樹根の部分に広さ12畳の空洞があり中には天神様が祭られている。
平成元年の環境庁の調査では、全国で6位の巨木である。
武雄神社に参拝し、武雄の大楠も見学。それから武雄温泉の楼門の近くの元湯に入浴した。
◆◆武雄温泉
武雄温泉の歴史は古く、1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中にも登場し、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている。また、朝鮮出兵の際、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れたので、兵士に対して地元の入浴客に迷惑をかけないようにと、豊臣秀吉が示した朱印状「入浴心得」が残されている。
アルカリ性単純温泉でサラッとしている泉質は、無色透明で疲労回復に抜群の効果があると言われ、歴史上名高い宮本武蔵やシーボルト、吉田松陰、伊達政宗や伊能忠敬などが入浴した記録も残された名湯である。
▼武雄温泉の「楼門」
▼武雄温泉の「楼門」
温泉の入口に立つ朱塗りの楼門、竜宮を連想させる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれ釘一本も使用していない建築物。平成15年3月に復原された武雄温泉新館と楼門は東京駅を設計した辰野金吾博士の設計で、大正4年に建てられた。平成17年7月22日に国の重要文化財に指定。
▼武雄温泉新館