【加布里天満宮】 加布里の高台で菅原道真公を祀る
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2015年1月12日(月)参拝
◆1月12日(月)は休養日だったので、糸島散策へ。
まずは糸島の櫻井神社、櫻井大神宮、加布里天満宮を参拝。
そのあと糸島市の深江海岸沿いに出来た海が一望できる本格タイ料理の店「ドゥワンチャン (Duangjan)」でグリーンカレーを食す。
最後に空海所縁の「まむしの湯」へ・・・
▼加布里天満宮の位置
◆◆加布里天満宮
【御祭神】 菅原道真公
【御由緒】 加布里区産土神で旧村社。後村上天皇興国元年(1340)太宰少弐正家が太宰府天満宮の分霊をこの地に勧請した。
加布里神社には、本殿をはじめ、天降天神社、恵比須社、鹿取稲荷大明神、金比羅宮など数多くの社があり、他に相撲場もあり、鳥居や狛犬も数多く奉納されている。
◆鳥居と石段
▼参道入口に立つ注連柱
▼社頭
◆松尾芭蕉の九州最大の句碑 “梅香塚”
「梅が香にのっと日の出る山路かな 」という芭蕉の句が刻まれている。書は江戸時代後期の漢学者であり歌人でもあった大隈言道(1798~1868)の手になるもので、碑が作られたのは安政6年(1859)頃で子負ヶ原の万葉歌碑(鎮懐石八幡宮)とほぼ同時期ではないかと云われている。石碑の高さは240cm、幅175cm、台石の高さは40cmあり、昭和になってさらに90cmの台石がもう一つその下に置かれ、総高は370cmにもなる。これは九州に200を越す句碑がある中でも最も大きなものらしい。碑陰には、蕉門四世として、圓崖ほか9名の名が見える。芭蕉は実際には九州の地に足を踏み入れたことはなく、この句碑は全国に散らばる芭蕉の弟子達(筑紫俳壇)による追善供養として建立されたもの。
表題の梅香塚の一句は「炭俵」所収の冒頭に出てくる句で、元禄7年、芭蕉51歳の最晩年の作。「のっと日の出る」という表現はおおらかでユーモラスな句趣を漂わせている。
【糸島魅力みつけ隊ネットワーク協議会より拝借】
▼梅が香にのっと日の出る山路かな 芭蕉
▼社号標「村社天満宮」
▼一の明神鳥居
▼二の明神鳥居
▼三の明神鳥居
▼四の明神鳥居
◆社殿下の広い境内へ
▼天保5年(1834)6月吉日建立の阿形の狛犬
▼天保5年(1834)6月吉日建立の吽形の狛犬
▼境内の風景
▼境内の相撲場
▼石碑
▼手水舎
▼天満宮寄進者御芳名の碑と手水舎
▼四の明神鳥居の近くのご神木
▼拝殿への石段へと続く参道
▼五の明神鳥居
▼鳥居前の阿形の狛犬・大正3年(1914)乃至9年(1920)建立
▼吽形の狛犬・大正10年(1921)10月吉辰日建立)
▼拝殿と下の境内の臥牛像
▼道真公に関連する臥牛像が祀られている。
菅原道真と牛との関係は深く、
「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真もまた牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。
これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。
◆◆加布里天満宮・拝殿
妻入りの拝殿
▼拝殿前の注連柱
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◆加布里天満宮・本殿
流造りの本殿
◆天降天神社
◆境内社:金比羅宮
◆境内社:境内社:鹿取稲荷大明神
◆加布里天満宮から眺めた宮地岳