春日神社、榎社、王城神社、太宰府天満宮、竃門神社を参拝
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午後から春日市の春日神社、太宰府市の榎社、王城神社、太宰府天満宮、竃門神社を参拝。
頑張れ!受験生。
いろいろな発見があって楽しかったですね。
◆春日神社
春日神社(かすがじんじゃ)は、福岡県春日市にあり、「春日市」の名称の由来ともなっている神社である。
春日神社は、後の天智天皇となる中大兄皇子(626年~672年)が長津の宮(現在の高宮)に居られる時、春日の地に天児屋根命(アメノコヤネノミコト)を祀られたことに由来する。天児屋根命は、春日権現とも呼ばれ、神仏習合の神といわれている。
時は神護景雲二年(768年)。太宰大弐であった藤原田麿は、春日の地に藤原家の祖神である天児屋根命が祀られていることを知る。
そこで参拝した後に、故郷である大和の国(現在の奈良)の春日大社から、雷の神・剣の神といわれる武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、その武甕槌命と関係が深いといわれる経津主命(フツヌシノミコト)、姫大神(ヒメオオカミ)を迎え、神社を創建することとなる。
▼この鳥居は宝永七年(1710)当時の領主黒田美作一利により奉納されたもの
▼神門
▼神紋は藤原氏所縁の「下り藤」
▼春日神社の大楠
▼春日神社の紅梅
◆榎 社
榎社(えのきしゃ、別称:榎寺)は、太宰府天満宮境内飛地にある神社。
菅原道真が、901年に大宰府に左遷されてから、903年に逝去されるまで謫居された跡で、当時、府の南館であったと云われる。1023年に菅公の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内に榎の大樹があったので「榎寺」と呼ばれるようになる。
毎年9月太宰府天満宮の神幸祭(通称「どんかん祭り」)では、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に遷御される。別名「榎寺」。
▼榎 社の鳥居と参道
▼榎 社の拝殿・・神紋は「梅」
▼榎 社の白梅
◆王城神社
王城神社(おうぎじんじゃ)は、事代主命(ことしろぬしのみこと)(恵比寿神)をお祭りする太宰府市通古賀の氏神様。
その創始は、神武天皇が四王寺山に城を築いた際に、その峰に武甕槌命(たけみかづちのみこと)と事代主命を祀ったことに由来するとされており、その後天智天皇四年(665年)に大野城を築く際に、現在の通古賀の地に移されたと伝えられている。
その後も、大宰府が栄えるにつれて、上下の別なく信仰を集め、『王城神社縁起』(太宰府天満宮蔵)には、菅原道真が大宰府に流された折りには、王城神社の社人が府の南館にたびたび訪れたと書かれている。しかし、戦国時代の争乱により社殿は焼け落ち、衰退していたが、その後、小早川隆景により再建された。
▼王城神社の鳥居
▼王城神社拝殿
▼王城神社本殿と空を舞う鵲(かささぎ)
鵲の 渡せる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更けにける・・・大伴家持
◆太宰府天満宮
太宰府天満宮は、学問の神様として広く崇敬を集め、年間600万人ともいわれる人々が訪れる菅原道真ゆかりの神社。年間を通じて多くの行事と、境内には多くの文化財がある。
延喜3年(903年)2月25日、失意の内に59歳の生涯を閉じた道真公の亡骸は、牛車に乗せられて府の南館を後にした。そして、牛が動かなくなった所に葬るようにという道真公の遺言にしたがって埋葬された。それが、現在の本殿があるところであり、明治維新までは、「安楽寺」といい、天台宗の寺院だった。安楽寺の別当(現在の太宰府天満宮の宮司)は、代々菅原道真の子孫の家筋である高辻家(現在の西高辻家)が務めてきた。
▼太鼓橋と心字池
▼朱の楼門
◆太宰府天満宮の境内
◆太宰府天満宮・拝殿
▼拝殿前の紅梅
▼拝殿前の白梅
▼本殿裏にもたくさんの絵馬
▼本殿裏の北側の絵馬掛け所
▼本殿裏のかわゆい御神牛
▼太宰府天満宮の紅梅
▼太宰府天満宮の白梅
◆竃門神社
宝満宮竈門神社(ほうまんぐうかまどじんじゃ)は福岡県太宰府市にあり、玉依姫命を主祭神にお祀りする神社。縁結びの神様として有名である。
祭神は玉依姫命。相殿に神功皇后・応神天皇を祀っている。宝満山頂に上宮、八合目に中宮、麓に下宮があったが、明治維新の際に山伏の修行の場であった中宮は廃され、現在は上宮と下宮がある。
春は桜、秋は紅葉と四季折々の彩りのあふれた境内を持ち、長い歴史の中で残されてきた様々な文化財もある。
▼竃門神社の鳥居と社号碑
▼竃門神社拝殿と扁額
▼竃門神社拝殿内部。社紋は「山桜」
▼竃門神社拝殿
▼太宰府の夕空と鳥居