アルジェリアの旅(35) ムザブの谷 エル・アーティフ
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【世界遺産ムザブの谷】
①ガルダイアの市場 ②エル・アーティフ ③ベニ・イスゲン
◆◇◆世界遺産ムザブの谷
アルジェリア中部、アルジェから南に600km、サハラ砂漠の中に、ひっそりと、しかし美しい街並みの中で1000年の伝統を守って暮らす人々がいる。それが、「ムサブの谷」。その美しい都市景観と、伝統の暮らしが守られていることが評価され、1982年には、「ムザブの谷」の名でユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録された。
「ムザブの谷」は、標高300mから800mの岩だらけの丘にガルダイア (Ghardaïa)、ベニ・イスゲン (Beni-Isguen)、エル・アーティフ(El-Ateuf)、メリカ (Mélika)、ブーヌーラ(Bounoura) の5つのオアシス都市が集まっており、さらに、北に少し離れた場所にベリアン(Berrian)とエル・ゲララ (El-Guerrara)を加えた連合体となっている。
「ムザブの谷」は、元々のサハラの民ではなく、厳格なイスラム教イバーム派の教徒であったムザブ人が9世紀以降シーア派のファーティマ朝の軍の追撃・迫害を逃れ、安息の土地を求めてこの地にたどり着き、避難所として築いたオアシス集落が現在まで約1000年も続いている場所である。
禁欲的で厳粛なイスラム教イバーム派の教徒であるムザブ人の人々は、平等と保守的な精神が徹底されているため、家屋の色はベージュやブラウン系の色で彩られ、家屋の形状もキューブ状に統一されている。さらにモスクを中心として同心円状に整然と配置されている。この都市設計はル・コルビジェをはじめとする20世紀の建築家達にも大きな影響を与えた。
◆◇◆エル・アーティフ El-Ateuf
エル・アーティフは、1012年に築かれたムザブ最古の町で、人口は1万2000人。
ムザブ族はコーランの教えを厳格に守る、イスラム教イバード派の信者たちの集まりで、「イスラムの清教徒」と呼ばれる。まず、エル・アーティフの町ができ、人口が増えて手狭になると、次の町を築いていった。そのようにしてガルダイアができ、13世紀にはメリカ、14世紀にはベニ・イスゲン、ブー・ヌーラーの町が生まれました。ベリアン、ゲララはもっとも新しく17世紀の集落。
この1000年の歴史を誇るムザブ最古の町エル・アーティフ観光の同行ガイドはパウチェッタさんで、彼の案内でエル・アーティフの集落(クサール)内を見学した。
▼エル・アーティフの大きな門
◆ムザブの谷の集落・クサール内の観光ルール
世界遺産ムザブの谷の5つの集落(クサール)内はイスラム教イバーム派の教徒であるムザブ族の人々の伝統的な暮らしを守るため、観光客に対して様々なルールが決められている。
・イスラム教徒以外は公認ガイドが帯同する
・観光客のタバコ、飲酒、宿泊はNG
・建物以外の居住者(特に成人女性)の写真を撮ってはいけない
・ノースリーブやショートパンツはNG
クサールに暮らす既婚女性は外出するときには白いチャドルを頭からかぶり、その隙間から片目を出すことしか許されない。誰かに話すことも話しかけられることもNG。
彼女たちは、観光客がが建物の写真を撮っていると、カメラのレンズを避けるために壁際に寄り、道を譲ってもらうと無言で通り過ぎていく。
▼ネットで集めたムザブの女性たち
▼エル・アーティフの集落内観光の禁止事項の標識
▼エル・アーティフの世界遺産の標識
◆◆エル・アーティフの広場
大きな門から入っていくと、市場ともなる広場に出る。広場の写真を撮りながら、この村の同行ガイドの登場をしばらく待つ。現地同行ガイドはパウチェッタさんで老聖人といった風貌だった。まず、このエル・アーティフでは人の写真、特に女性の写真を撮ってはいけないと注意される。
彼の案内でエル・アーティフの集落(クサール)内をゆっくり見学した。
▼エル・アーティフの広場
▼エル・アーティフの広場 まるで城壁のよう
▼エル・アーティフの広場
▼エル・アーティフの広場
▼エル・アーティフの広場
▼エル・アーティフの広場
▼エル・アーティフのねこ君
◆狭い路地を歩く・・・
狭い路地は、石畳の坂や階段の連続。その両側にベージュやブラウンの建物が並んでいる。防衛上のためどの建物も小さな窓が2つ、3つあるだけ。狭い通りを歩いていくと低い天井の部分があちこちにあった。これも防衛上のためで、馬に乗った敵兵が通れないよう低くしてある。
ナツメヤシの木を使った扉や天井もあった。
▼ナツメヤシの木を使った日除け
▼馬に乗った敵兵の侵入を防ぐ低い天井
▼ナツメヤシの木材を使った玄関の扉
◆狭い迷路のような通路
これも防衛上の理由から狭い迷路のような通路が続く・・・
また狭い道は、日陰を作り、風が吹き抜ける。暑さを凌ぎ、涼しく過ごすムザブ人の生活の知恵である。
▼迷路のような狭い通路
▼迷路のような狭い通路
▼迷路のような狭い通路
▼迷路のような狭い通路
▼迷路のような狭い通路
▼迷路のような狭い通路
▼通路の上のチェーン
夏の猛暑、このチェーンに動物の皮で作った水袋をつるすと、涼しくなり、中の水も冷たく保たれるという。
▼この家にはクーラーが設置されている。
▼トンネルを抜け・・
▼階段を上り・・
◆資源の有効利用
ムザブでは、資源はとても大切にされた。木材として使用するナツメヤシは伐採せずに、枯れた木のもを使用した。街角には備え付けの泥レンガで作られたゴミ箱があり、村人は食べたナツメヤシの種をそこに捨てるのが慣習となっている。種は植えられるか、集められて、石臼で粉にされて動物の飼料になる。厳しい環境のなか、貴重な資源を最大限に活用するさまざまな生活の工夫がされている。
◆井戸とナツメヤシ
井戸から汲みだされた水が余ると、近くに植えられたナツメヤシの木に水やりをする。貴重な水資源を無駄にしない工夫がされている。なぜか女性ファッション(部屋着)がコラボしていた。
▼井戸の近くのナツメヤシの木
▼ナツメヤシの影がいい感じ
◆エル・アーティフの旧市街の入り口
当初はここが村の境界線で、古い外壁の入り口だったらしい。
▼旧市街の通路を歩く・・
▼路上で男女がすれ違う際、女性が隠れられるように凹みが作ってある。
▼ちょっと見にくいが、右の凹みに白いアバヤの女性が我々の通過を隠れて待っている。
▼旧市街の通路を歩く・・
▼旧市街の通路を歩く・・ 1000年の歴史を感じる壁
▼旧市街の通路を歩く・・
▼エル・アーティフの子供たち。路地で見かけるのは子供たちと黙々と歩く白いアバヤの女性達だけだった。
▼旧市街の通路を歩く・・
▼旧市街の通路を歩く・・
▼旧市街の通路を歩く・・
◆エル・アーティフの扉たち
◆エル・アーティフのミナレット
有事の際、物見の塔や避難所としても機能するように出来ている。
▼ミナレット遠望
◆聖ハッジ廟の祈祷所
祈祷所の5つの小さな塔はムサブの谷の5つの町とイスラムの5行を表しているという。
▼祈祷所の右にエル・アーティフのミナレットが見える
◆エル・アーティフの共同墓地
イスラームでは埋葬は土葬である。礼拝の向きを重要視するムスリムは、当然のごとくメッカを向いて埋葬される。体の右側を下にして横たえ、顔がメッカに向くように埋葬される。そして目印としてその上にレンガや石や棒を置くだけの簡素なものである。日本のように墓参りの習慣はないというか、禁止されているらしい。
▼シディ・ブラヒム・モスクとシディ・ブラヒム廟
◆シディ・ブラヒム・モスク
12世紀に建てられたこのモスクは近代建築の三大巨匠に位置づけられているル・コルビュジエの代表作「ロンシャンの礼拝堂」(1955)に強い影響を与えたと言われている。四方から明かりを撮る彩光法、祈りの声を響かせる音響効果などにその影響が見られるという。
ル・コルビュジェ(1887-1965)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。彼は、また、東京の国立西洋美術館(1959)の基本設計を担当したことでも知られる、
フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられている。
▼シディ・ブラヒム・モスク
▼シディ・ブラヒム・モスク
▼モスク前の門
▼モスク前の門
▼モスクの説明板
▼正面入り口
◆モスク内部
▼モスクのミンバル(説教台)とエル・アーティフの同行ガイドのパウチェッタさん
◆ル・コルビュジエの代表作「ロンシャンの礼拝堂」(1955)参考まで