【黒瀬神社】 享保の大飢饉の被害者を弔う神社
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2015年2月19日(木)参拝
この日は好天に誘われて午後から福岡市中央区の西公園へ・・・
西公園に鎮座する光雲神社、中司孫太郎稲荷神社、黒瀬神社、立帰天満宮の4つの神社を参拝。
立帰天満宮で記念の100社目の参拝となった。
▼西公園案内図
▼西公園・東側入口の黒瀬神社へ
▼西公園・遊歩道
▼天神北の那の津の風景
▼美しい幾何学模様を描く福岡都市高速の荒津大橋
▼西公園・遊歩道
◆◆黒瀬神社
享保17(1732)年、「享保の大飢饉」が西日本一帯を襲い、農作物はできず、漁業も不漁続き、加えて疫病が発生し、食べるものは無く、筑前の国では当時の人口の3分の1が飢饉で亡くなった。
「黒瀬神社」は、この大飢饉で被害にあった人々を弔い祀り、また飢饉から救うため建てられた神社で、伊勢神宮の外宮から「宇迦之魂神(五穀の神)」をお迎えして祭神とし、元々この地にあった「竈神社」を合祀したもの。
黒瀬神社の境内には多くの末社があるが、これらは、大正10年と昭和7年の2回にわたり、西公園一帯にあったものをこの地に集めて祀ったもの。
この周辺は昭和30年代の埋め立てにより、景観は一変した。
▼黒瀬神社社号標
▼黒瀬神社・案内板
▼西公園からの神社入口風景
▼西公園からの神社入口の鳥居の扁額
◆黒瀬神社・正面
▼鳥居と拝殿
▼拝殿前の鳥居
◆黒瀬神社・拝殿
▼拝殿の扁額「正一位黒瀬稲荷神社」
◆神社の前が海だった頃
▼古地図
▼福岡市古明細図
▼藩主の系図や藩主一覧図
◆黒瀬神社の境内社
▼境内社「月見神社、月丸神社」の参道の鳥居
境内社「杉森神社、君代神社、石穴神社、月見神社」の鳥居の扁額
▼月見神社の参道
▼境内社「月見神社、月丸神社」