【警固神社】 天神に鎮座。隣接する警固公園は市民憩いの場
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2015年2月25日(水)参拝
この日は曇り空だったが、大濠公園近くの福岡縣護国神社と天神の警固神社に参拝。
▼警固神社の位置
◆天神の警固神社
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。
本殿に警固大神(神直毘神・大直毘神・八十禍津日神)、相殿に建角身神・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇を祀る。
警固の地名は鴻臚館近くに置かれた大宰府の防衛施設「警固所」にちなんだもの。その地名は『万葉集』や藤原純友の乱、刀伊の入寇の時にも見ることができる。福岡城鎮守の神、福岡藩二代藩主・黒田忠之の産神として、歴代藩主の崇敬が厚かった神社でもある。アクセス良好な天神市街にあり、隣接する警固公園は市民憩いの場となっている。
▼警固公園とSOLARIA PLAZA 右は福岡三越
▼警固公園から眺めた警固神社
▼警固神社の朱の瑞垣
▼警固神社・社号標
◆警固公園・境内
▼境内入口の鳥居と参道
▼注連柱
▼境内入口の阿形の狛犬
▼境内入口の吽形の狛犬
▼御神水
▼手水舎
◆神 門
▼警固神社・神門
▼警固神社・神門
◆◆警固神社・拝殿
【御祭神】
本殿に警固大神(神直毘神・大直毘神・八十禍津日神)、
相殿に建角身神・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇を祀る。
【由緒】
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。大正5年(1916年)、県社に列格した。
社名及び周辺の地名である『警固』はかつて鴻臚館にあった役所『警固所』に由来する。
▼神紋は下がり藤
▼『警固神社』の神額
▼拝殿内部
◆◆警固神社・本殿
▼御本殿
▼御本殿
▼御本殿
▼警固公園から眺めた御本殿
◆境内と周辺の風景
▼なんと足湯の施設もある。
▼境内の松
▼帰りの参道
▼警固公園への出口
▼警固神社の瑞垣と灯篭
◆警固神社の河津桜