【榎 社】 左遷された菅原道真公が逝去されるまで謫居された跡
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2015年2月26日(木)参拝
午後から春日市の春日神社、太宰府市の榎社、王城神社、太宰府天満宮、竃門神社を参拝。
いろいろな発見があって楽しかった。
▼榎社の位置
◆◆榎 社
榎社(えのきしゃ、別称:榎寺)は、太宰府天満宮境内飛地にある神社。
菅原道真が、901年に大宰府に左遷されてから、903年に逝去されるまで謫居された跡で、当時、府の南館であったと云われる。1023年に菅公の霊を弔うために浄妙院を建立したのが始まりで、境内に榎の大樹があったので「榎寺」と呼ばれるようになる。
毎年9月太宰府天満宮の神幸祭(通称「どんかん祭り」)では、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に遷御される。別名「榎寺」。
◆◆榎社と菅原道真
榎社は、在りし日の菅原道真の配所で「府の南館」とよばれた大宰府政庁の官舎でした。
菅原道真が大宰府に左遷されたときには、使用されていなかったため、井戸をさらえ、軒を修理してやっと雨露をしのげる程のあばら屋だったと伝えられています。
府の南館で、道真がひたすら謹慎生活を送る心情をよんだ漢詩が残っています。
「不出門ふしゅつもん」です。その一節を紹介しましょう。
不 出 門 <菅原 道眞>
もんをいでず <すがわらのみちざね>
一たび謫落して柴荊に在りて従り
ひとたびたくらくして さいけいにありてより
萬死兢兢たり 跼蹟の情
ばんしきょうきょうたり きょくせきのじょう
都府樓は纔かに 瓦色を看
とふろうはわずかに がしょくをみ
観音寺は只 鐘聲を聴く
かんのんじはただ しょうせいをきく
中懐は好し 孤雲を逐うて去り
ちゅうかいはよし こうんをおうてさり
外物相逢うて 満月迎う
がいぶつあいおうて まんげつむこう
此の地身に 檢繋無しと雖も
このちみに けんけいなしといえども
何爲れぞ寸歩も門を出でて行かん
なんすれぞすんぽも もんをいでてゆかん
【意解】
一たび筑紫に配流されて、この柴荊作りの粗末な官舎に住んで以来、罪は万死に相当する思いで恐れおののき、天にも背をかがめ、地にも抜き足しするようにひたすら謹慎してきた。
近くの都府楼は、毎日わずかに瓦の色を遠くから眺めるばかりで、観音寺もただ鐘の音を聴くだけで訪れたこともない。
心の中は常に空を飛ぶひとひらの雲を追ってゆくように、(都への思いが募り)外部に対してはつとめて満月のような円満な心をもって接する。(不平の念を起こさないようにしたいと思っている)
この土地では自分は別に束縛を受けるようなことは何もないとはいっても、左遷された身の上だからどうして一歩たりとも門外に出てゆくことなどいたしましょうか、いやいたしません。
都府楼はわずかに瓦色を看
観音寺は只鐘声を聴く
(漢詩の意味)政庁の楼閣の瓦はわずかに見え、
観世音寺の鐘はだたその音を聞くだけ…
道真の心情が伝わってくる一節です。
そして、後の、治安3年(1023年)に、大宰大弐藤原惟憲が、道真の霊を弔うため浄妙院を建立。境内に榎がたくさんあったことから榎寺ともよばれ、現在は榎社とよんでいます。
(森弘子『太宰府発見』・太宰府市『太宰府市史民俗資料編』より)
▲榎社での道真(福岡市博物館提供)
▼西鉄の踏切にあった「榎 社」の案内
近くには西鉄天神大牟田線が走り、南に西鉄二日市駅、北に二日市カトリック幼稚園、筑陽学園中学・高等学校がある。
▼「榎 社」の説明版
菅原道真公は、大宰府に左遷されてから逝去されるまでこの地で謫居された。毎年九月、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜を過ごされて翌日天満宮本殿に還御される。榎社は、菅公を日夜お世話された浄妙尼を祀る社である。」 (太宰府市説明板)
▼「菅公館址」の碑
◆榎社・手島一路の歌碑
太宰府市の榎社の石の鳥居の近くには、昭和22年(1947年)に「ゆり短歌会」を主宰した手島一路の歌碑が建っています。
「 白蓮の 清純ここに極まりて
きわまるものは かなしかりけり 一路 」
一路は、菅原道真への敬慕の情が厚く、菅公の漢詩集『菅家後草』を、現代に生きる一路の目を通して和歌に再生した『菅丞相かんしょうじょう百首』を出しています。
『菅家後草』は、道真の都落ちから大宰府での暮らしぶりを綴ったものであり、菅公の大宰府での苦渋に満ちた日々を伝えています。
この歌も、菅公のそのような苦渋に満ちた思いを投影して詠んだものなのでしょう。
(太宰府市「太宰府いしぶみ散歩」『太宰府市史文芸資料編』より)
◆榎 社の鳥居と参道
▼手前は神幸(しんこう)式での御旅所(おたびしょ)
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◆榎 社の拝殿
▼榎 社の拝殿・・神紋は「梅」
▼拝殿の彫刻
◆浄妙尼社
日夜、道真公のお世話をしていた浄妙尼(じょうみょうに)がお祀りされている。毎年9月に行われる神幸(しんこう)式では道真公の御神霊がまずここに運ばれ、その後、御旅所(おたびしょ)で一夜を過ごされてから天満宮本殿にお戻りになる。
◆紅姫の供養塔
道真が京から連れてきた幼子のひとり。大宰府へ着いて間もなく急逝したという。
▼榎 社の白梅
◆◆榎 社の境内の緑