【櫛原天満宮】 「久留米の天神さま」と呼ばれる歴史深い神社
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2015年2月27日(金)参拝
午後から久留米市の櫛原天満宮、日吉神社、玉垂神社、五穀神社、北野天満宮を参拝。
▼櫛原天満宮の位置
◆櫛原天満宮 櫛原天満宮公式サイト
久留米市の東櫛原町、国道3号線そばにある「櫛原天満宮」は、学問の神様である菅原道真公の御分霊をお祀りしている歴史深い神社で、「久留米の天神さま」と呼ばれる。
文治5年(1189年)、後鳥羽天皇の時代に、同地区の鎮守の神様としてお祀りされたのが始まりと言われる。現在は、学業成就や受験合格のご利益を求めて、シーズンを中心に多くの参拝客が境内に訪れるという。一説には「源頼朝の創建」とも伝えられる。
◆櫛原天満宮の鳥居と参道
▼櫛原天満宮・説明板
◆櫛原天満宮・御由緒
【御祭神】 菅原道真公
【相 殿】 吉祥女(管公夫人)、老松神(御愛松の神霊)
【御由緒】
鎌倉時代初期、後鳥羽天皇の御代の文治5年9月(西暦1189年)太宰府天満宮の神霊を勧請。源頼朝の創建という。又は筑州刺史某の説も。
南北朝期書写の太宰府天満宮の古文書の「安楽寺領注進目録」には、「櫛原庄」の記載があり、当地に安楽寺すなわち現在の太宰府天満宮の領地があった。
天文年間の兵災で旧記を焼失、約四百年間の詳細不明。元禄十五(1702)年に神殿、八年後に拝殿を造営、郡中四社の1つに加えられる。天明二年(1782)年、藩主有馬氏より祈祷料として米三十苞を毎年寄進される。明治六年郷社に列せられる。社殿右奥に祀られる恵比寿神社は、福の神、商売の神として近年参拝が多い。
▼神門前の阿形の狛犬(大正15年)
▼神門前の吽形の狛犬
◆神 門
▼「稜威」の扁額
「稜威」とは、神聖であること。斎(い)み清められていることの意
▼境内から見た神門
◆櫛原天満宮の二の鳥居と参道
▼櫛原天満宮の参道
▼神橋前の阿形の狛犬
▼神橋前の吽形の狛犬
◆神 橋
◆◆櫛原天満宮・境内
▼手水舎
▼蛇口狛犬
▼寝牛
▼石丸遺跡の大石
▼拝殿前の阿形の狛犬
▼拝殿前の吽形の狛犬
◆◇◆櫛原天満宮拝殿
【御祭神】 菅原道真公
▼「櫛原天満宮」の神額
◆拝殿内部
▼拝殿内に飾られた「天満宮」と三十六歌仙の額
▼拝殿内部
▼平安調の装飾
◆◆境内社
境内社:恵比寿神社、廣瀧社、八底龍王神社、英彦山神社、伽覧社、山王社、琴平社
▼境内社を護る阿形の狛犬
▼境内社を護る吽形の狛犬
◆英彦山神社・伽覧社
◆恵比寿神社
▼えべっさんの笑顔
▼ハナミズキ
◆神木の夫婦銀杏
▼秋山明子句碑
「黄落の 遠も近さも とどまらず」
秋山明子(1933~1975) 久留米市東町で昭和8年4月8日生
日吉小学校、明善併置中学校、明善高校を卒業
18才から25年間の闘病生活を送りながらも、この間に俳人中村汀女先生に師事し、句集「窓明」「春昼」を発刊 昭和50年6月12日死去