【橋本八幡宮】 連理木「きずなの木」が聳えている鎮守の杜
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2015年3月2日(月)参拝
◆この日はいい天気だったので、西区の今津の博多湾沿いの白山神社を中心に四所神社、登志神社、橋本八幡宮の4社を参拝。
▼橋本八幡宮の位置

◆橋本八幡宮
この神社は福岡市西区橋本の室見川左岸、560号線に面して鎮座している。
道路から豊かな鎮守の杜が見え、一際大きな楠の根元に入口の注連柱と鳥居が建立されている。参道は神橋を渡ると境内となり、此処には槙と楠が幹の途中でつながった連理木「きずなの木」が聳えている。
▼橋本八幡宮の神社入口看板

▼橋本八幡宮の神紋
橋本八幡宮の神紋は「右三つ巴」。綿津見神社の神紋も「右三つ巴」。右三つ巴は宇美八幡宮と織幡神社の神紋と同じ。

香椎宮、筥崎宮、宇佐神宮、住吉神社(福岡)、志賀島神社、志式神社、玉垂宮の神紋は「左三つ巴」

◆橋本八幡宮・表参道

▼橋本八幡宮・説明板

▼橋本八幡宮・由緒

【祭神】
応神天皇 神功皇后 玉依姫命
【橋本八幡宮】
室見川中流域にある橋本八幡宮は、室町時代中期の文明14年(1482年)に柴田内蔵助重信父子により、創建されました。
江戸時代に入り、藩主である黒田家からも当神社はあつくあがめられ、藩主の御茶屋(別荘)もありました。その名残で今もこの辺りは「お茶の内」とよばれています。3代光之公はこの地で生まれ当神社を産神としましたが、江戸時代初期の寛文6年(1666年)に西新町に紅葉八幡宮を建立し、産神を移しました。その後、橋本の氏子たちの強い希望により社殿が再興され、数度の改築を記した棟札が残っています。
祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫ですが、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の梵字を刻んだ板碑(石仏)が神殿の背後に祀られ、神仏混淆の名残をとどめています。この石仏は年代未詳ですが、創建当初頃の建立ではないかと考えられます。
境内には創建当初からと思われる巨大な槙や楠が多く、主な木のほとんどが市指定保存樹です。槙と楠が幹の途中でつながった「きずなの木」もあります。
平成15年3月 西区役所
◆入口の鳥居

▼入口の鳥居

▼神橋と参道

▼橋本八幡宮・参道

▼社号標と手水舎

▼拝殿前の阿形の狛犬

▼拝殿前の吽形の狛犬

◆◇◆橋本八幡宮・拝殿
【祭神】 八幡大神(応神天皇)、気長足姫命(神功皇后)、玉依姫命
【橋本八幡宮の由来】
この八幡宮は今から五百年前文明十四年(一四八二)に、柴田蔵人佐繁信父子によって初めて建立されたもので、当時の社殿の棟札の写しが柴田家に所蔵されております。
蔵人佐の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)新発田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきました。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に迎え社殿を建てたと伝えられております。
境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋がありました。三百五十年前の頃のことで、三代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時を過ごしました。今もこのあたりを「お茶屋の内」といいます。光之公は産土神として八幡宮を崇敬し、寛文六年(一六六八)西新町紅葉松原に立派な社殿を建てて遷宮しました。
橋本の人はここから遥拝しておりましたが、たっての希望で後に社殿を再建し、以来数度の改築が行われ、現在の拝殿は明治二年に、神殿と渡殿は大正七年に改築されたもので、応神天皇、神功皇后、玉依姫命の三神をお祭りしています。 昭和五十三年七月二十八日
▼橋本八幡宮・拝殿

▼橋本八幡宮・拝殿

▼橋本八幡宮・拝殿

▼「八幡宮」の神額

◆拝殿内部

▼拝殿内部

▼拝殿内部

▼拝殿天井に架かる干支恵方盤
中心の矢印はその年の恵方を指す。

▼拝殿内部

▼拝殿内部

◆◆橋本八幡宮・神殿
【祭神】 応神天皇、神功皇后、玉依姫命
▼橋本八幡宮・神殿

▼橋本八幡宮・神殿

▼橋本八幡宮・神殿と渡殿

▼橋本八幡宮神殿と社叢

◆ 「きずなの木」
▼槙と楠が幹の途中でつながった「きずなの木」


▼境内と戦没者慰霊塔

◆◆鎮守の杜



◆御神木:夫婦マキ 男マキと女マキがある。




◆橋本八幡宮・裏参道


◆須賀神社





◆稲荷大明神





境内社の稲荷大明神の朱の鳥居と木々の緑













