【八幡宮】 征西大将軍・原田春實公が南男山の神霊を勧請
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2015年3月5日(木)参拝
◆3月5日(木)
糸島の高祖神社、雷神社、幸神社、川上六所神社、
伊都国稲荷、八幡宮、宇美八幡宮の7社を参拝
▼八幡宮の位置

◆八幡宮
この神社は筑肥線・加布里駅の南南東約1km、長野川右岸に鎮座している。
建立は応和3年(963)で、天慶3年(935)に藤原純友を討伐できたのは、神霊の加護によるとして、征西大将軍原田春實公がその子泰種と共に山城国(京都)南男山の神霊を勧請し奉ったのが鎮座の由緒である。
御祭神は誉田別天皇、息長足姫命、比賣大神、合祀:祇園宮、天満宮
◆社頭と鳥居
▼八幡宮・社頭

▼八幡宮・社叢と鳥居

▼八幡宮・鳥居

▼八幡宮・鳥居と拝殿

▼「村社八幡宮」の社号標

◆八幡宮・境内

◆八幡宮・由緒
【御祭神】
誉田別天皇、息長足姫命、比賣大神、合祀:祇園宮、天満宮
【由緒】
建立は応和3年(963)9月13日で、天慶3年(935)に藤原純友を討伐できたのは、神霊の加護によるとして、征西大将軍原田春實公がその子泰種と共に山城国(京都)南男山の神霊を勧請し奉ったのが鎮座の由緒である。
その後も原田春實公の子孫種直公は、源平の戦いで安徳天皇を守護し、壇ノ浦で源義経と戦って敗れ、鎌倉扇谷に幽囚されること13年。この間牢中で日暮八幡宮に祈誓し応験あり、建久8年(1197)免されて岩門城に帰る。その神澤に感謝しつつも距離が遠く思うままにならないので、国政をその子に禅り、当社の東約100m付近に仮宅を設け、八幡宮を補修崇敬した。種直公の墓は当宮の南隣にある。
境内社:疫神社、熊野宮
▼手水舎

▼五重石塔

▼御櫛石

▼拝殿前の阿形の肥前狛犬

▼拝殿前の吽形の肥前狛犬

◆◇◆八幡宮・拝殿
【御祭神】
誉田別天皇、息長足姫命、比賣大神、合祀:祇園宮、天満宮
▼八幡宮・拝殿

▼八幡宮・拝殿

▼八幡宮・拝殿

▼八幡宮・拝殿

▼八幡宮・拝殿

▼八幡宮・拝殿

◆拝殿・内部
▼八幡宮・拝殿内部

▼八幡宮・拝殿内部

▼八幡宮・拝殿内部

▼八幡宮・拝殿内部

▼八幡宮・拝殿内部

▼八幡宮・拝殿内部

◆◆本殿

▼八幡宮・本殿

◆境内社:疫神社

▼疫神社

◆境内社:熊野宮

▼熊野宮

◆御神木・ナギ




◆御神木・ムク

















