2015年 08月 12日
【パキスタン】 世界遺産ラホール・フォート (ラホール城)
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パキスタン 2015年7月20日(月) 3日目①ラホール旧市街 ②バドシャヒ・モスク
③世界遺産ラホール・フォート
今日はパキスタン3日目。
ラホール市内の小さな食堂でナンとラッシーの朝食を食す。次にラホールの城壁の中のラホール旧市街を散策したあと、世界最大規模のバドシャヒ・モスクと世界遺産のラホール・フォートを見学。
◆ラホールはインド国境まで24kmのところに位置するパンジャヤ-ブの州都で、人口410万人のパキスタン第2の都市である。ムガール帝国の時代には,多くの宮殿やモスクが建てられ大いに繁栄した。アクバル大帝の時代には城砦が築かれ,城壁に囲まれた旧市街ができた。
現在,街の主要部は旧市街の南側に広がっている。そこにはイギリス統治時代に建てられたゴシックやビクトリア様式の建物が多い。1981年に旧市街の北側のラホール・フォートとシャリマール庭園が世界遺産に登録された。
◆◆ラホール・フォート (ラホール城)
ラホール城はムガール帝国3代アクバル大帝が建設を始め、その後、4代ジャハンギール帝、5代シャー・ジャハーン帝、6代アウラングゼーブ帝が建設を続けた城である。
3代アクバル大帝はムガール帝国の覇権を確立した皇帝。彼はインドのデリーからアグラに遷都しアグラ城を建てるが、元々要塞だったアグラ城の暮らしを嫌い、アグラ郊外のファテープル・シークリーに都を移す。しかし、そこも14年で放棄し、ラホールに遷都し、1566年にラホール城を築く。
その後、ラホール城は4代5代6代と歴代皇帝によって建設が続けられるが、その時期はムガール帝国最盛期と一致する。ラホール城はムガール帝国最盛期の城である。
▼ラホール・フォートの位置

▼世界遺産ラホール・フォートのパネル

◆◇◆世界遺産ラホール・フォート
ラホール城は西門にあたるアラムギリ・ゲートから通常は入る。
アラムギリ・ゲートは6代皇帝がバードシャーヒ・モスクに向い合う形で建てた門。
今回はバードシャーヒ・モスクの出口に近い裏門から入城した。

▼堅固な造りのラホール・フォート裏門

▼裏門の案内板

▼ラホール・フォートの警護官

▼ラホール・フォートもラマダン明けの休日ということで、多くの地元の観光客で賑わっていた。

◆シャー・バージ・ゲート
裏門を入ると綺麗なシャー・バージ・ゲートが待っていた。

▼シャー・バージ・ゲート


▼ 「象の道」をぽれぽれと上る・・・・
「象の道」は、象にのって城に入るために作られた広い通路

▼ 「象の道」・・・段差が小さく、ゆったりとした階段

▼ 「象の道」

◆◆ラホール・フォートからの眺望
▼シャー・バージ・ゲート

▼シャー・バージ・ゲートとバードシャーヒ・モスク

▼アラムギリ・ゲートとバードシャーヒ・モスク

▼高速環状線の吊り橋

▼高さ60mのパキスタンの塔(ミナレ・パキスタン)
塔の足元には、1940年のラホール決議(パキスタンの分離を認めた決議)の碑文が刻まれている。パキスタン独立のシンボル・タワー

◆ラホール・フォートの上部の広場
「象の道」を上ってラホール・フォートの上部の広場に出る。この広場には鏡の宮殿「シーシュ・マハル」 the Shish Mahal、白大理石の小館ナウラカー Naulakha pavilionがある。

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」 に続く女性のための宮殿

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼白大理石の小館ナウラカー

◆◆鏡の宮殿「シーシュ・マハル」 the Shish Mahal
ラホール・フォートには、17世紀に入り、シャー・ジャハーンによって、鏡の間、妃の寝室として使用され絢爛豪華な鏡のモザイクで埋め尽くされた夢の王宮、浴場、隠退の間、1645年には、40本柱の間と呼ばれる謁見の間、真珠のモスクが造営された。
シャー・ジャハーンは、ムガル帝国の第5代君主。第4代君主ジャハーンギールの三男。母はビルキース・マカーニー。 1612年、ペルシア系の大貴族アーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マハルと結婚した。
▼ムムターズ・マハルとシャー・ジャハーン

▼アーグラにあるタージ・マハル
このインド北部アーグラにあるタージ・マハルはシャー・ジャハーンが1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟である。

鏡の宮殿「シーシュ・マハル」はラホール城の北西角に位置する宮殿で、17世紀にムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズの居間として建てたもの。荒廃したラホール城の中で最も保存状態が良く、ムガール帝国の栄光を垣間見させてくれる場所である。
鏡の宮殿「シーシュ・マハル」は、ラホール・フォート最大の見どころといってよいだろう。
▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

▼鏡の宮殿「シーシュ・マハル」

◆鏡の宮殿の装飾
この鏡の宮殿は、シーシュガリと呼ばれる工芸技法によって無数の鏡の小片が張り合わされている。昼でも美しいが、夜はランプやろうそくの光が鏡の小片に反射し、より一層美しかったとのこと。夜空の星のようだったとも言われている。中庭の池に写る月明かりも部屋を輝かせたとか・・・幻想的な美しさだっただろうな。
▼鏡の宮殿の装飾

▼鏡の宮殿の装飾

▼鏡の宮殿の装飾

▼鏡の宮殿の装飾

▼鏡の宮殿の装飾

▼鏡の宮殿左側の2階建てになってる部分

◆鏡の宮殿の隣の建物

▼この建物

▼内部の装飾

▼内部の装飾


◆ナウラカー Naulakha pavilion
白大理石のかわいい小館ナウラカー。
ナウラカーはシャー・ジャハーンの愛妃ムムターズが外を眺めるために建てられたものらしい。
▼白大理石のナウラカー

▼白大理石のナウラカー

▼白大理石のナウラカー

▼白大理石のナウラカー

▼白大理石のナウラカー

▼ナウラカーからの眺め






◆◆5代シャー・ジャハーン帝の庭園と特別謁見室
▼シャー・ジャハーン帝の庭園と特別謁見室

▼奥に見えるのが特別謁見室

▼シャー・ジャハーンの庭園とシャー・ジャハーンの寝室

▼シャー・ジャハーンの庭園とシャー・ジャハーンの寝室

◆特別謁見室 Diwan-e-Khas
この特別謁見室(ディワニ・ハース)はアーグラ城のハース・マハル殿をモデルに全てが白大理石でつくられたもので、かっては輝く黄金で装飾され、至る所に宝石や半貴石が埋め込まれていたという。


▼かっては宝石・半貴石が象嵌されていた噴水
全て奪われてしまっている。

◆◆4代皇帝ジャハンギールの庭園と宮殿
▼ムガール帝国第4代皇帝ジャハンギール

ジャハンギールの庭園はペルシャ風の四分庭園で田の字型に分割された広大な庭園

▼ジャハンギールの寝室は庭園に面し、アクバル大帝の宮殿と向かい合っている。

▼ジャハンギールの寝室。現在は博物館になっている。






▼モスクの内部だったかな・・・

◆ジャハーンギール帝の王妃ヌール・ジャハーンの館
▼ジャハーンギール帝の王妃ヌール・ジャハーン

ジャハーンギール帝の王妃ヌール・ジャハーンは才色兼備の女性で、皇帝ジャハーンギールの寵姫となり、健康の優れない彼に代わって事実上の皇帝として政務に携わった。のち、ジャハーンギールが死ぬと権力を失い、シャー・ジャハーンの治世では年金受給者として余生を送った。
ジャハンギール帝は不摂生が祟ったのか体調を崩し、彼女が政治を動かすようになる。
彼女は皇帝の体を案じ、皇帝も彼女を自分の一番の理解者として大事にしていたようだが、彼女が前夫との間に生まれた娘を皇帝の息子の一人と結婚させようとしたことから、帝国内部で次期皇帝を巡る争いが生じることとなる。
▼ヌール・ジャハーンとジャハーンギール。皇子フッラム(のちのシャー・ジャハーン)もいる。

5代皇帝となるシャー・ジャハーンは、この時、反旗を翻し、以後5年間、父ジャハンギール帝が亡くなるまで戦いと逃走の日々を送ることになる。
その時、シャー・ジャハーンと行動を共にした愛妃ムムターズは、実はヌール・ジャハーンの弟の娘、つまり姪にあたるという美人の家系。
▼王妃ヌール・ジャハーンの館

▼王妃ヌール・ジャハーンの館


◆婦人の庭の展望所からの眺め


◆◆ディワニアーム Diwan-e-Aim (一般謁見所)
ディワニアームは5代皇帝シャー・ジャハーンが1631年に3代アクバル皇帝が建てた宮殿に付属する形で建設した謁見所。この謁見所の裏がアクバル大帝の時代の宮殿となっている。
このディワニアームは皇帝が臣民の謁見を受けたり、裁判を行ったりした場所。40本の円柱をアーチで連結した列柱ホールとなっている。ただ、残念なことに19世紀の砲撃で破壊され、残っているオリジナルの円柱は40本のうち、わずか9本ということらしい。謁見のためのバルコニーは必見。



▼謁見のためのバルコニー




▼ディワニアームの前は広い中庭になっている。

▼ディワニアーム正面

▼2つの大砲はイギリス時代のものらしい。


◆◆ディワニアームの前の広い公園のような緑の中庭





これで世界遺産ラホール・フォートの観光が完了。
次は昼食のあと、5代皇帝シャー・ジャハーンが建造したムガル様式の世界遺産シャリマール庭園の観光です。
by yascovicci
| 2015-08-12 17:52
| パキスタンの旅












