【鎮懐石八幡宮】 神功皇后の「鎮懐石」伝説の地
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2015年3月10日(火)参拝
◆3月10日(火)
この日の糸島の神社巡りは鎮懐石八幡宮、松末稲荷神社、生松天神社、綿積神社、
花掛神社、大祖神社、六所神社の7社を参拝。
◆春の海・・・綿積の海
穏やかな引津湾に面している志摩船越の綿積神社。その境内には万葉集の歌にまつわる万葉の里公園がある。万葉の里公園からすぐ海岸に出られ。ロマン溢れる「綿積の海」を眺めることができる。
◆春の海・・・芥屋の海
芥屋海水浴場は『快水浴場100選』に選ばれ、透明度が高く大変美しい海岸で知られている。
近くには国指定天然記念物『芥屋の大門』がある。けっこう強い風が吹いていた。
◆春の海・・・二見ヶ浦の海
「夕日の二見ケ浦」として有名な桜井二見ヶ浦は、「日本の渚100選」「日本の夕日100選」に選ばれており、玄界灘サンセットの名勝地の一つ。古くから桜井神社の社地として神聖な場所とされている。
▼鎮懐石八幡宮の位置
◆◇◆鎮懐石八幡宮
糸島市二丈深江にある鎮懐石八幡宮(ちんかいせきはちまんぐう)は、神功皇后伝説にまつわる石、「鎮懐石(ちんかいせき)」を祀った神社。
神功皇后が新羅征伐に出兵した際、出産を遅らせるよう祈り肌身に抱いていた2つの石を、凱旋の後、願いが叶って皇后自らがこのお宮のある丘に奉納したことから、その石は「鎮懐石」と呼ばれ、人々の崇敬を集めるようになったという。
「鎮懐石(ちんかいせき)」は、奈良時代には既に伝説として伝えられており、その伝説に感銘を受けて詠まれた山上憶良(やまのうえのおくら)の歌は、万葉集にも記載されている。この万葉歌を記念して江戸時代の安政6年(1859年)に建てられた歌碑が、鎮懐石八幡宮の万葉歌碑。九州では最も古い万葉歌碑であることから、市指定の文化財になっている。
▼参道の注連柱
▼社頭の鳥居
◆鎮懐石八幡宮・由緒
鎭懐石八幡宮御實紀などによると、神功皇后(息長足日女命)は応神天皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ船を出された時に、卵形の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎭懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って帰国後宇美の里で、応神帝をご安産された。
そこで、神功皇后が経尺の璧石を、子負ケ原の丘上にお手ずから拝納されてより、世人は鎖懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。
昔は、深江字津ノ上の石垣で築かれた高台に、ご社殿があり、数百年の年輪を刻んだ大きな松の木々が鬱蒼と生い茂っていたが、場所が狭かったために、昭和十一年(一九三六)南側山手の、字萩ノ原の広い土地にご遷座し、幣殿、拝殿などを新築した。
拝殿の床板は、八十五センチを越える幅の広い松坂が使われており、当時この周辺に大きな松の木々が多かったことを物語っている。
大きな松の木も、昭和二十五年頃から、松食虫の被害が広がり、伐採されたため、昔の面影は薄れて寂しくなった。
◆◆山上憶良 「鎮懐石を詠める謌」と九州最古の萬葉歌碑
▼九州最古の萬葉歌碑
山上憶良 鎮懐石を詠める謌 (万葉集)
阿米都知能 等母尓比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
訓読 天地の共に久しく言ひ継げとこの奇(く)し御魂(みたま)此(し)かしけらしも
(天地とともに 永く久しく語り継げと この不思議な霊石を ここに据え置かれたらしい 今も眼前にある貴い御魂の石よ)
安政六年(一八五九)六月に建てられた九州最古の萬葉歌碑である。碑陰に彫られた説明に、「幸い願主あり 福井浦の住 釘本良人長房 同久平長邦乞うて 之を鐫り且在縣の好士 自他の信人 各其志を副 以て之を建つ 祠 官 久 我 信 俊 安政六年巳未六月」とある。
書は、豊前中津藩の深江在住の儒学者であり、書役に任じられた日巡武澄という人である。
また、近世の深江は、寺沢氏の唐津藩や公領など数度の変遷を経て、享保二年(一七一七)七月二十七日から、明治四年の廃藩置県まで百五十四年間、飛地として中津藩に属していた。
◆鎮懐石碑
文化十一年(一八一四)に建てられた碑で、鎮座の由来を書いている。文は亀井南冥の高弟、苓州江上源伯。書は福岡藩の藩医であった米山上村樗という人で、その子孫は神奈川県に住んである。
鎭懐石碑の文を書いた苓州江上源伯の孫の、江上伝一郎と、後に萬葉歌碑を建てた久我(靭負)信俊は、相携えて安政二年(一八五五)に、江戸の平田門下に入門したという不思議な巡りあわせもあった。
(平成五年発行、福岡県史)
▼船繋石
◆鳥居と参道
◆境内
◆◇◆鎮懐石八幡宮・拝殿
【御祭神】
•神功皇后(息長足姫命)
•応神天皇(八幡大神)
•武内宿禰
◆拝殿・内部
◆◆鎮懐石八幡宮・本殿
◆鎮懐石八幡宮から眺めた玄界灘の風景