巨木・ご神木(9) 【住吉神社の武内宿禰お手植の大楠】
|
山口県下関市一の宮住吉
【住吉神社・住吉荒魂本宮の起源】
『日本書紀』によれば、熊襲、隼人など大和朝廷に反抗する部族が蜂起したとき、神功皇后が神がかりし、「反乱軍の背後には三韓の勢力がある。まず三韓を征討せよ」との神託を得た。しかし天皇はこの神託に従わず、翌年の仲哀天皇の9年(200年)、天皇は崩御した。その翌月、再び同様の神託を得た神功皇后は、自ら兵を率いて三韓へ出航した。
その三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に
住吉三神(住吉大神)の『吾 和魂(にぎみたま)は 玉身(みみ)に服いて寿命を守り、荒魂(あらみたま)は先鋒となりて 師船(みいくさのふね)を導かん』との神託により大神を守神として進軍し、神助により交戦することなく戦勝した。
凱旋の折には、大神の「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、神功皇后は現在の地に祠を建てて、「荒魂」を鎮祭したのが住吉神社の起源である。
◆◆武内宿禰命お手植の大楠
武内宿禰は孝元天皇(人皇第8代)の曽孫で、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に仕えたといわれる。
仲哀天皇に従って熊襲を討ち、天皇が崩御になると、神功皇后をたすけて新羅をしたがえるなどの偉功(てがら)があった。
本社では第三殿に祀られている。その手植の楠の古株から新根が生え、根周りは60m余にも及ぶ大木となっている。
▼武内宿禰命お手植の大楠①
▼武内宿禰命お手植の大楠②
▼武内宿禰命お手植の大楠③