武雄温泉「元湯」と武雄神社と大楠
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2015年1月8日(木)
仕事が一段落したので、佐賀の武雄温泉と嬉野温泉に行ってきた。
まず武雄神社に参拝し、武雄の大楠も見学。それから武雄温泉の楼門の近くの元湯に入浴。
▼武雄温泉の位置

◆◆武雄温泉
開湯は約1300年前である。伝説によると神功皇后が凱旋の途、太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ、たちどころに湯が湧き出たと言われており、よって昔は柄崎温泉と呼ばれていた。また、蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉とも呼ばれていたという。 また、嬉野と同じく、この武雄も「肥前国風土記」にその名が登場する。
武雄温泉の歴史は古く、1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中にも「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と登場し、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている。また、朝鮮出兵の際、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れたので、兵士に対して地元の入浴客に迷惑をかけないようにと、豊臣秀吉が示した朱印状「入浴心得」が残されている。
江戸時代は街道の宿場町としても栄え、幕末には長崎を往来した勤皇志士や文人らが盛んにこの湯を訪れたという。著名な人物を挙げると、佐賀藩城主の鍋島氏、江戸時代初期には伊達政宗、宮本武蔵が、また幕末にはシーボルト、吉田松陰らが入湯したといわれる名湯である。
アルカリ性単純温泉でサラッとしている泉質は、無色透明で疲労回復に抜群の効果があると言われる。

◆武雄温泉の「楼門」
温泉の入口に立つ朱塗りの楼門、竜宮を連想させる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれ釘一本も使用していない建築物。平成15年3月に復原された武雄温泉新館と楼門は東京駅を設計した辰野金吾博士の設計で、大正4年に建てられた。平成17年7月22日に国の重要文化財に指定された。
▼武雄温泉の「楼門」

▼武雄温泉の「楼門」


◆武雄温泉新館
大正4年に辰野金吾博士の設計により造られた。長い年月で傷んでいたものを復元し、平成15年4月に武雄温泉新館として、当時の華麗な姿が蘇った。当時最も貴重だったマジョリカタイルや陶板デザインタイルを見学することができる。
▼武雄温泉新館







◆武雄温泉「元湯」
高い天井と広い浴槽のこのお風呂は、ゆったりとしたその雰囲気の中にレトロな浪漫が漂う温泉情緒豊かなお風呂。

▼武雄温泉「元湯」


▼鷺乃湯



◆武雄神社
武雄神社は武雄五社大明神ともいわれ、市内で最も古い神社。
神社の裏手には樹齢3000年の「武雄の大楠」があり、武雄神社の神木となっている。
【御祭神】
武内宿禰(たけうちのすくね)
武雄心命、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、
五柱の神を総じて武雄大明神といわれる。
主祭神である武内宿禰は、政治を補佐する大臣として5代の天皇に仕え、実に360歳を誇る日本一長寿の神様として知られている。

◆武雄の大楠
武雄神社左脇より、裏山の方へ続く遊歩道を5分程歩いたところに「武雄の大楠」はある。
武雄神社の御神木で推定樹齢3000年。根廻り26m、目通し14m、樹高27m。
樹根の部分に広さ12畳の空洞があり中には天神様が祭られている。
平成元年の環境庁の調査では、全国で6位の巨木である。













