「あな、うれしいの」、「日本三大美肌の湯」の嬉野温泉
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2015年1月8日(木)
仕事が一段落したので、佐賀の武雄温泉と嬉野温泉に行ってきた。
まず武雄神社に参拝し、武雄の大楠も見学。それから武雄温泉の楼門の近くの元湯に入浴。
そして嬉野へ。まず豊玉姫神社に参拝。
嬉野温泉の「シーボルトの湯」に入浴のあと、和楽園の「露天茶風呂」にゆっくり入浴し、最後に大村屋名物の「抹茶プリン」を食す。
▼嬉野温泉の位置

◆嬉野温泉の由来と歴史
嬉野温泉は、浸かるだけでつるつるスベスベのお肌になる!と全国的にも注目を集めている。
伝説によると、その昔、神功皇后が戦いの帰りにこの地に立ち寄られ、川中に疲れた羽根を浸していた白鶴が、元気に飛び立つ様子をごらんになった。そこで、戦いで傷ついた兵士を入れてみたところ、実は温泉が沸いていて、たちまち兵士の傷が癒えたのだとか。それを大変喜ばれた皇后が、「あな、うれしいの」と言われたことが、嬉野の地名の起源と伝えられている。
また、1812年(文化九年)のシーボルトの『江戸参府紀行』には、「この源泉を科学的に調査したビュルガー君は次の結果を得た。・・・中略・・・この水の中には主として硫酸塩と少量の塩酸塩が溶解して含まれていると考えられている。注目すべきことは、源泉から遠くないところの石膏床に天然の硫黄色が存在していることである。」と泉質についてかなり詳しく述べられている。「東西遊記」や「西遊雑記」など、多くの紀行文・旅日記にも嬉野温泉のことが書かれていて、江戸時代にはかなり知られた温泉であったようだ。

◆シーボルト [1796~1866年]

ドイツ・ヴュルツブルク生まれ。長崎オランダ商館付医師・博物学者。1820年ヴュルツブルク大学卒業。出島付医師として来日し、1826年に商館長の江戸参府に同行。日本各地の歴史・地理・動植物などの資料を集めた。長崎郊外に鳴滝塾を開き、多くの門人に教えた。帰国後、日本紹介の本を多数著す。1862年に日本を去り、4年後にミュンヘンで死去
◆◆嬉野温泉
九州屈指の名泉として知られ、「日本三大美肌の湯」で知られる嬉野温泉。
佐賀・嬉野温泉は、温泉旅行博士の称号を持つ藤田聡氏により、島根県の斐乃上温泉、栃木県の喜連川温泉と並んで『日本三大美肌の湯』に選ばれた。嬉野温泉のぬめりのあるお湯は、ナトリウムを多く含む重曹泉。皮脂や分泌物を乳化して洗い流し、湯上りはまるで一皮むけたようなつるつるスベスベの肌に!
『肥前風土記』(713年)に「東の辺に湯の泉ありて能く、人の病を癒す」と記され、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄えた嬉野温泉。ぬめりのあるお湯は、ナトリウムを多く含む重曹泉で、角質化した皮膚をなめらかにし、みずみずしい肌をよみがえらせる。また、飲めば胃腸や肝臓等の機能を活性化させる効果もあるとか。源泉は17ヶ所で湯量も豊富。食塩と炭酸を含有したアルカリ性の湯は良質で、汲み上げ時の温度は約100度ある。
江戸時代の嬉野温泉は長崎街道の宿場町として栄え、今でも嬉野川の清流に沿って60軒余の宿が建つ。
嬉野温泉の名物はお茶と、とろける温泉湯豆腐。

◆シーボルトの湯
大正ロマンを感じさせるゴシック風建築物「シーボルトの湯」は、木造2階建て、約750平方メートル。嬉野温泉公園の対岸に、嬉野温泉の歴史が甦るオレンジ色のとんがり屋根が目印のレトロな建物。



▼嬉野川の遊歩道を歩く・・・





◆嬉野温泉旅館「茶心の宿 和楽園」へ
和楽園では日本初のお茶を利用した露天風呂や、こだわりの貸切露天風呂などを楽しめる。






▼和楽園の「露天茶風呂」 <緑泉>に入浴




◆創業天保元年の老舗旅館「大村屋」へ







▼大村屋名物の「抹茶プリン」を食す

▼今まで食したプリンの中で最高に美味かった!・・・「あな、うれしいの」

◆◆嬉野の豊玉姫神社
嬉野の地で古くから宗廟の神社と尊崇されている神社。海神の娘で、竜宮城の乙姫・豊玉姫を祀る。境内には、豊玉姫の遣いとされる白なまずを祀ったなまず社もあり、美肌を願う女性が参拝するという。

▼豊玉姫神社の「白なまず」
「白なまず」は豊玉姫大神の遣いであり、ご利益を願い創建された。

▼つるつるスベスベの白い肌の「白なまず」













