【追憶のユーラシア大陸横断】 後編 ベラルーシからロカ岬まで
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▼バイクによるユーラシア大陸横断15000kmの旅のルート
◆ベラルーシ◆ 2002年
<ロシア>から<ベラルーシ>へ
ベラルーシとは、ベーラヤ・ルーシ=白ロシアという意味。
■7月28日
スモレンスク出発 ミンスク (ベラルーシの首都 人口180万人)到着 350km
▼首都ミンスクへと向う道 きれいな道を快適に走る。
▼カリングラードのライダー イーゴリ(男性)とオルガ(女性)
■7月29日
ミンスク出発 ブレスト (対独ブレスト要塞の「英雄都市」)到着 346km
▼お別れの挨拶をするロシア語圏ガイドのアレックス(アレキサンダー) 彼は日本文学の翻訳者で三島由紀夫を翻訳中だとか
▼1941年8月激しい抵抗の末、独軍の猛攻撃で全滅したブレスト要塞の記念碑のある公園にて
◆<ベラルーシ>から<ポーランド>へ
■ 7月30日 ブレスト出発 ワルシャワ (ポーランドの首都)人口164万人 202km
■ 7月31日 ワルシャワ出発 ポズナン 人口58万人 (湖のあるリゾートの宿) 303km
◆<ポーランド>から<ドイツ>へ
■ 8月1日 ポズナン出発 ベルリン (ドイツの首都) 到着 183km
■ 8月2日 ベルリン出発 (フリー走行始まる) ヴュルツブルグ (ロマンティッシュストラーセ=ロマンチック街道起点の町) 到着 490km
◆<ドイツ>から<フランス>へ
■ 8月 3日 ヴュルツブルグ 出発 アウトバーンを走る。 ベルフォール到着 433km
ヨーロッパ中央部を流れるライン河を越え、ワインで有名なフランス・アルザス地方を抜ける
■ 8月 4日 ベルフォール 出発 モンリュッソン到着 428km
ワインとエスカルゴで知られるブルゴーニュ地方を通り、ロワール川を渡る。
■ 8月 5日 モンリュッソン 出発 ペリグー到着 354km
陶磁器で知られるリモージュを通り、トリュフ・フォアグラで有名な美食の街ペリグーへ
◆お気に入りのフランスの田舎の田園風景
静かな心地よい風が吹いていた。 なぜか、しあわせな気分だった。
◆ 休憩時に一緒だったファミリー
◆美食の街ペリグーでフォアグラを食す。
美食の街ペリグーのこのホテルで、フル・コースのフォアグラ付のフランス料理を2時間かけて食す。
夕食前、このホテルの庭で伴在さん、掛下さん、佐藤さんと4人でツーリング途中に買ったワインで優雅に歓談。ワイングラスは、レストランで借りる。
■ 8月 6日 ペリグー 出発 バイヨンヌ到着 296km
ガスコーニュ地方を通り、 フレンチ・バスク地方の中心バイヨンヌへ
▼ハスキーな声が魅力的なマダム。仕事も人生も楽しんでいる様子だった。
◆ スペイン
■8月7日 バイヨンヌ出発 ブルゴス到着 347km
ピレネー山脈を越え、霧の中、ピスケー湾を右手にスペインへ入国
■8月8日 ブルゴス出発 レオン到着 208km
巡礼の道時代に栄えた歴史の街レオン カテドラル(大聖堂)が有名
■8月9日 レオン出発 サンチャゴ・デ・コンポステーラ到着 328km
セブレイロ峠を越え、巡礼の道の終点サンチャゴ・デ・コンポステーラへ
◆ポルトガル
■8月10日 サンチャゴ・デ・コンポステーラ発 ポルト到着 352km
■8月11日 ユーラシア大陸最西端のロカ岬にゴール エストリル泊
◆◆◆ ユーラシア大陸最西端のロカ岬に到着
ウラジオストクを7月2日出発してから41日目
ユーラシア大陸を15000km走破して、ここポルトガルのロカ岬でゴール。
ゴールを祝福するかのような澄みきった青空だった。
ロカ岬で食べたマンゴーとバニラのソフト・クリームは、最高に美味かった。
◆ これがユーラシア大陸最西端のロカ岬
◆詩人カモン・エスの 「ここに地 終わり、海 始まる… 」の
ロカ岬の詩碑の前で、
隊長の賀曽利さんとヤスコヴィッチが熱い固い握手。
◆ロカ岬に全員無事到着したユーラシア軍団の雄姿
◆◇◆とにかく、なんともいえない満足感、達成感が込み上げてきた。
◆ バイクのボディーがサイン帳
サイン帳の代わりにわがジェベルのボディーに直接、この旅で出会ったバイカー達のサインを書いて貰った。
ロシア人、イタリア人、ドイツ人、フランス人など様々な国の人々のサインでいっぱい。
ユーラシア大陸横断の証であり、ささやかな国際友好親善の証でもあるかな?
国際ナンバー・プレートも長旅によって、少し曲がっている。
■8月12日 エストリルからメリダ(スペイン)へ 390km
■8月13日 メリダからマドリッドへ 341km
■8月14日 マドリッド16:20発 アムステルダム経由のJAL4404機で帰国。
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