【鉾納社】 夫婦杉とケヤキと鉾と伎楽面
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2015年11月11日(水)参拝
小国町の「鍋ヶ滝」見学のあと、「鉾納社」を参拝。
近くには、坂本善三美術館、国指定天然記念物阿弥陀杉がある。
◆鉾納社 ほこのうしゃ
昔、この付近から出土した鉾を収めて奉っていた社だったというのが、この神社の名前の由来。残念ながらその鉾は現在行方不明となっているが、全国的にも珍しく、九州では唯一といわれている貴重な平安時代の伎楽面が保存されている。また、境内には夫婦杉の大杉が2本立っており、荘厳な雰囲気を漂わせている。
平安時代の伎楽面もある深緑につつまれた神社
▼夫婦杉の大杉
推定樹齢700年、幹周り・・男杉6.4m 女杉5.7m

▼鉾納社の鳥居



◆伎楽面(ぎがくめん)が伝わる神社
久漏牟田で二振りの鉾が掘り出された。洗ってみると光り輝く矛だった。その夜、この矛を掘り出した村長の枕元に神息長足姫命が立ちお告げがあったので、村の守り神としてお宮を建て二振りの鉾をお祀りした。これが鉾矛納社の由来に関する伝説。
鉾納社については、伝説で語りがれているだけで古い記録が無く、いつからこの地で祀られるようなったかは分からない。名前の由来となったと言われる鉾は、現在、お宮には伝えられていない。現在の神社の正式な名前は宝来吉見神社。明治初年に吉見神(国龍命)を祀るようになり神社の名前も変わったという。吉見神(国龍命)は阿蘇神社の健磐龍命の妃阿蘇都姫命の父であり、高森町の草部吉見神社に祀られている神様。
しかし、地元では昔の社名の「鉾納社」のほうが通りが良いようだ。境内から土器の破片が出土し、社の前の丘からは石棺も出土している。これらのことから、この付近は古代より人々が住んでいたところであると思われる。ちなみに、境内の大ケヤキ2本は小国町の天然記念物となっている。
鉾納社には木製の仮面が伝えられている。これは平安時代に伝えられて伎楽のコンロン面であると言われている。伎楽とは推古天皇12(612)年、百済の味摩之により伝えられた芸能で、大きな寺院の法会などで演じられたもの。今、伎楽の面が残されているのは法隆寺、東大寺などごく一部の寺院だけだそうだ。九州では、太宰府で外国人をもてなすために伎楽が舞われたという記録があるが、面は残っていない。どういう経緯でこの面が鉾納社に伝えられているか分らないが、九州でただ一つ残る貴重な文化財となっている。
参考文献
禿迷廬 『小国郷史』 河津泰雄 1960
▼鉾納社の神門

▼鉾納社の神門

▼鉾納社の神門と扁額

▼鉾納社の紅葉

▼鉾納社の紅葉




◆夫婦杉と神門

▼「鉾納社」の扁額


◆鉾納社の拝殿


◆鉾納社の本殿



▼この鳥居をくぐると願いが叶うというミニ鳥居
















