【素盞嗚神社】 国の天然記念物で樹齢620年の「黒木の大藤」
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福岡県八女市黒木町黒木
2016年4月25日(月)参拝
この日は
「黒木の大藤」の素盞嗚神社、大楠の津江神社を参拝
▼素盞嗚神社「黒木の大藤」の位置
◆素戔嗚命 スサノオ
八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を
▲(日本最初の和歌といわれる素戔嗚尊の歌)
『古事記』の記述によれば、素戔嗚命スサノオは「神産み」において伊弉諾尊(イザナギ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で「禊」を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする。
『日本書紀』では、素戔嗚命スサノオは、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊 (イザナミ)の間に産まれた三貴子の末子に当たる。
その与えられた役割は、太陽を神格化した「太陽神」である天照大神(アマテラス)、月を神格化した「月神」である月夜見尊(月読命、ツクヨミ)とは少々異なっているため、議論の的となっている。
スサノオは多彩な性格を有している。母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ子供のような一面があるかと思えば、高天原では凶暴な一面を見せる。出雲へ降りると一転して英雄的な性格となる。
「八岐大蛇退治」の英雄譚は優秀な産鉄民を平定した象徴と見る説も根強く、草薙剣の取得はその象徴であるとの解釈も多い。
しかし、日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。これは多数の伝承をまとめて一つの話にしたためとする説もあるが、彼が成長するにつれて見せる側面であるとする説もある。
神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐に因むとする説、州砂(=砂鉄)の王という説から、初期の製鉄法である「たたら製鉄」の盛んであった意宇郡(おうのこおり)の首長とする説などがある。
◆◆黒木・素盞嗚神社(スサノオ じんじゃ)
【祭神】
素戔嗚命
【御由緒】
素盞嗚神社は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。日本各地にある。
「嗚」の字は「鳴(口に鳥とり)」ではなく「嗚(口に烏からす)」である。
他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社があり、時代や資料によって通用される。
これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され、牛頭天王を祭神としていた。
総本社は京都の八坂神社または広峯神社である。
◆素盞嗚神社・参道
▼素盞嗚神社(スサノオじんじゃ)の鳥居
▼長崎県出身の俳人森澄雄の歌碑
「素盞嗚に大藤匂ふ夕べかな」
▼明治の文芸評論家「石橋忍月」の歌碑
「八雲たつ神のみむろも浮かぶかとみゆるばかりに匂う藤なみ」
▼手水舎
▼素盞嗚神社の阿形の狛犬
▼素盞嗚神社の吽形の狛犬
▼狛犬と藤
◆ 「黒木の大藤」
「黒木の大藤」は素盞嗚神社境内にあり、樹齢620年、藤棚面積は約3,000㎡(東西約50m/南北約80m)。応永2年(1395年)後征西将軍良成親王により植栽(故事)と伝えられる。
◆まるで藤の紫と香りのシャワーを浴びているような・・・
1395年、後征西将軍良成親王のお手植えと伝えられる黒木の大藤は、これまでの歴史の中で幾多の戦いと大火をくぐり抜け、これまで樹齢約620年を保ってきた。いまでも力強く、また、華麗に、そしてたくましく生き続ける長寿の大藤として全国に名が知れるようになり、国の天然記念物に指定されている。毎年約20万人の来訪があり、多くの方が気品に満ちた花と香りを楽しんでいる。
◆団伊玖磨の『パイプの煙の石碑』
大藤棚の中に団伊玖磨の『パイプの煙の石碑』があった。
『パイプのけむり』の中で「黒木の大藤」が紹介されているという。
▼団伊玖磨の『パイプの煙の石碑』の説明板
◆◆素盞嗚神社・拝殿
▼注縄柱と拝殿
▼拝殿の注連縄と彫刻
▼ユニークな黒木の素盞嗚神社の神紋
▼「素盞嗚神社」の神額
◆境内社
▼淡島神社
▼恵比寿神
▼天照大神
▼素戔嗚神社を後にする。
これから、大楠で有名な津江神社へ向かう・・・
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