【薬王寺温泉】 鬼王荘の「田舎の昼ごはん」と日帰り温泉
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福岡県古賀市薬王寺
2016年4月7日(木)
◆◆薬王寺温泉
薬王寺温泉(やくおうじおんせん)は、福岡県古賀市(旧国筑前国)薬王寺にある温泉。
古賀市南東部の犬鳴山地の麓の山間部に位置している。
「偕楽荘」という公衆浴場と、「鬼王荘」「福龍荘」「快生館」という3軒の旅館がある。
弘法大師の薬湯があったという伝説が古くから存在した。1918年に、ボーリングを実施して温泉が発見された。その効能から、戦前は満州からも湯治客が来たという。
薬王寺温泉 - 古賀市公式ウェブサイト
▼薬王寺温泉の位置


◆薬王寺霊泉の伝説
この里は、昔より清らかな谷川をはさんで、三方、山に囲まれ、春は桜、秋は紅葉と絵に見る様に美しい平和な山里だった。
ある日、この地に医主尊王薬師如来の尊像を背負い鬼王、京王という二人の子供を連れた、一人の立派なお侍がこの里にたどりつき、心優しい里人の情にほだされて、この地に住みつくことになった。
実はこの侍は清和天皇の御子孫で、代々多田の城主という身分の高い人だったが、故あって都を追われる身となった。八久保の雪がやっと解けはじめた八年目の春、この侍は不意に腹痛をおぼえ、重い病の床に伏してしまったが、ある夜、日頃信仰する薬師如来が夢枕に立たれ
「この山里の谷川に薬水を流す。これを浴びるもよし。飲むもよし。必ず病は癒えるであろう。」
とのお告げがあったので、早速その通りにしてみると、不思議な事に拭う様に病が癒え、同時に鬼王が何となく不思議に感じていた事であるが、父が病の床についた頃から、毎日家の前の谷川に来ては水を浴びていた一羽のやせ衰えた鷹も、元気よく飛び立って行った。
鬼王からその話を間いた父は、
「この鷹こそ薬師如来の化身であって我々に暗示を与えていたのに違いない。有り難いことだ。」
と言って、それ以後、近くにある清瀧寺に出家し、墨染めの衣をまとってひたすら精進をした後、里人の勧めにより小さなお寺を建てて、薬師如来をまつり『薬王寺』と名付けたそうだ。
その後、永い間に、お寺は朽ちてしまったが、「薬王寺」と言う名前は、いつの間にかこの山里の名前となって残り、また霊泉は今日に至るも尚こんこんと湧き出ているという。
神功皇后三韓征伐の折の「みそぎの地」としても知られているらしい。


◆薬王寺鉱泉発祥の由来
王寺鉱泉は1918(大正7)年、福岡県嘉穂郡出身の古書神学の研究家、清水大晃により発見された。
信仰深かった清水大晃は、古書にある「筑紫の不老不衰の薬泉を以もって難病業者に実験し効験顕著なりき」という記述を研究するうち、薬師如来のお告げにより、発見に至ったとされている。

◆◆旅館:鬼王荘(おにおうそう)
緑の山々に囲まれ、野鳥の声や川のせせらぎが心地よい癒やしの宿。自慢の日本庭園は、四季折々の自然を楽しむことができる。
採れたての新鮮野菜を使った体に優しい料理と、心からのおもてなしで迎えてくれる。
薬王寺の里山の風景と美味しい食事と「癒しの湯はおすすめ。






◆美味しい「田舎の昼ごはん」のコースを食す









◆鬼王荘の部屋と眺め



◆鬼王荘の「癒しの湯」

▼ゆったり流れる時間と薬王寺の里山の風景と美味しい食事と「癒しの湯」に満足しながら「鬼王荘」を後にする・・・・














