2016年の「桜紀行」 ・・「浅井の一本桜」、「一心行の大桜」
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浅井の一本桜
【2016年4月6日(水)】
【所在地】 福岡県久留米市山本町耳納1151
◆◆浅井の一本桜
昭和天皇御大典記念に植樹されたもの、平成3年の台風で幹折れなどの被害を受け、枝先が枯れるなど樹勢が衰退したが、回復作業を行い、勢いが回復し毎年春には淡いピンクの花を元気よく見せてくれるようになった。 堂々たる風格で花密度も高く、昼間、空の青さの残る日没直後、ライトアップと三様の桜が眺められる。昼間・空の青さの残るため池に映る"逆さ桜"も一見の価値がある。
市の保存樹木
●山桜 ●樹齢 100年
●樹高 18m 幹周 4.3m
◆地元に愛され守られるヤマザクラ
樹齢約100年と言われる幹周り4.3m、高さ18mのヤマザクラ。地元で大切に保護されており、毎年見事な花を見ることができる。
一心行の大桜
【2016年4月6日(水)】
【所在地】 熊本県 阿蘇郡南阿蘇村
◆◆一心行の大桜
田園風景の中に立つ、幹廻り約7.35m、高さ約14m、樹齢400年余りのヤマザクラ。天正8年(1580年)に島津氏との戦いで矢崎城に散った城主、中村(峯)伯耆守惟冬(みねほうきのかみこれふゆ)の菩提樹とされている。戦火に散った城主の死後、妻子は少数の家臣とひそかに故郷の峯村に戻り、戦死した城主と家臣たちの御霊を弔うために桜の苗木を植え、一心に行をおさめたという故事から「一心行」と名づけられた。
樹齢400年余り、樹高14m、枝張東西21m、南北26m、幹囲7mの大桜で、淡い薄紅色の花をつける。桜は菜の花畑に囲まれ、開花時期も桜とほぼ同じなので、桜と菜の花を同時に楽しむことが出来る。2004(平成16)年の台風で大枝が2本折れてしまったため、今では枝を守るための手入れや、開花時期に行われている夜間照明を控えめにするなどの対策がとられている。
ふるさと熊本の樹木登録
・山桜 ・樹齢 400年余
・樹高 14m ・幹囲 7.35m
小国両神社の桜
【2016年4月6日(水)】
【所在地】 熊本県阿蘇郡小国町
熊本県の最北部に位置し大分県に隣接する小国町の役場から1kmほどの静川沿いに鎮座している。
破傷風の血清療法などで有名な北里柴三郎博士は当町のご出身で生家がある。
この日は久留米の一本桜、阿蘇の一心行の桜見物のあと、小国両神社を参拝。最後に黒川温泉へ
◆◆小国両神社の桜
◆◆唐津城と桜
【2016年4月5日(火)】
【所在地】佐賀県唐津市
高速を走り、唐津の「魚半・モーラー邸」へ。大浴場と展望露天風呂に入浴。
そのあと唐津城の桜を鑑賞
◆唐津城
天正18年(1590)天下統一を果した豊臣秀吉は、海外に目を向け朝鮮への侵略支配を企てた。
朝鮮への侵略戦争、文禄・慶長の役(1592~1598)は、ここ唐津より程近い肥前名護屋(現鎮西町、呼子町)を基地とされた。その間全国から大名が集まり肥前名護屋は大阪とならんで日本の政治・外交の中心地となり、わずか5ケ月で築城させた名護屋城は秀吉の権威の象徴とも言えよう。
秀吉が没し(1598)、文禄・慶長の役は終止符を打つこととなる。その後、関が原の合戦(1600)によって支配体制を確立した徳川幕府により、廃城後石垣までの取り壊しを命ぜられた難攻不落の城郭を持つ名護屋城の解体資材を用いて、慶長13年(1608)築城されたのがここ「唐津城」である。