【宇宙の神秘】 「無」と「真空」と「ゆらぎ」
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「人間 は考える葦である。」
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規整からである。
私は多くの土地を所有したところで、優ることにならないだろう。空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私は宇宙をつつむ。
— ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)(満39歳没)、『パンセ』 より—
◆「無」とは何か
古典物理学において、物理的に何も無い空間を「真空」と呼び、真空は完全な無であると考えられてきた。
現代物理学においては、「真空のゆらぎ」によって、何も無いはずの真空から電子と陽電子のペアが、突然出現することが認められている。
このことによって、現代物理学では完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しないとされている。
◆「真空」とは何か・・・真空の定義
宇宙空間は空気のない真空であるとよく聞く。真空という言葉を文字どおりに解釈すれば、「真に空っぽ」ということになる。
ところが国際宇宙ステーションのまわりにもごく薄い空気が存在する。空気とは窒素や酸素などの分子が飛びまわっている状態である。
大気圧で1気圧なら1立方センチメートルあたり10の19乗程度の分子がある。
空気の濃い薄いの比較には一般的には分子の数より気圧を使う。
ジェット機が飛ぶ上空10km付近では、気圧は約0.2気圧。
国際宇宙ステーションの周回軌道は高度約400kmで、気圧は約100億分の1気圧。
静止衛星の静止軌道は上空約36000kmで、気圧は約1兆分の1のさらに1000分の1気圧。
これでも、1立方センチメートルあたり1万個ほどの分子が存在するという。
◆古典論における真空
古典論において、真空は「何も無い状態」である。実用的には次の二つに大別される。
【絶対真空】:物質・圧力が 0 の仮想的状態。
◆絶対真空とは空間中に分子が一つも無い状態を示すが、地球の表面上の圧力(1気圧)は100 kPa時に1 cm3中の気体分子は0 ℃時で2.69×1019個も存在する。人工に作り出せる真空状態は10-11 Pa程度である。この圧力下でも1 cm3に数千個の気体分子が存在することになる。外宇宙と呼ばれる銀河と銀河の間でも気体分子は存在するとされている。
【負圧】:標準大気圧より圧力が低い状態。JIS によって圧力の段階ごとに区分されている。
◆負圧は、しばしば俗に「真空度が良い」「真空度が悪い」「真空度が駄目」などという使い方をされる。真空度とは圧力でも表されるがその場合は言葉のイメージと表現が逆になるので注意が必要である(例:真空度が良い=圧力が低い)。真空ポンプを用いて真空を得ることができる。真空度の単位は Torr(トル)が用いられてきたが、SI単位系への統一に伴い、Pa(パスカル)に移行しつつある。1 atm=1.01325×105 Pa=760 Torrである。
◆量子論における真空
量子論における真空は、決して「何もない」状態ではない。例えば常に電子と陽電子の仮想粒子としての対生成や対消滅が起きている。
ポール・ディラックは、真空を負エネルギーを持つ電子がぎっしりと詰まった状態(ディラックの海)と考えていたが 、後の物理学者により、この概念(空孔理論)は拡張、解釈の見直しが行われている。
現在の場の量子論では、真空とは、十分な低温状態下を仮定した場合に、その物理系の最低エネルギー状態として定義される。
粒子が存在して運動していると、そのエネルギーが余計にあるわけであるから、それは最低エネルギー状態でない。よって十分な低温状態下では粒子はひとつもない状態が真空である。
ただし、場の期待値はゼロでない値を持ちうる。それを真空期待値という。
たとえば、ヒッグス場がゼロでない値をもっていることが、電子に質量のあることの原因となっている。
◆宇宙空間の「真空」
人工的につくりだすことができる真空は、1000兆分の1気圧程度までである。
これは1立方センチメートルの空間に、分子が1万個程度存在している状態である。
では宇宙空間には分子や原子がまったく存在しない場所はあるのだろうか。
実は宇宙空間にも、非常にわずかだが、ガスやちりがただよっている。星が生まれるのは、それらのガスがみずからの重力によって互いに引き合い、圧縮されるためだ。
さて、太陽から最も近い恒星は、約4光年はなれたケンタウルス座α星である。太陽とケンタウルス座α星の間の宇宙空間には、1立方センチメートルあたり1個の原子(おもに水素原子)が存在していると考えられている。
私たちの銀河系ととなりのアンドロメダ銀河は230万の距離がある。その間には星はほとんどない。しかし、このような空間でさえも、1立方メートルあたり1個の原子(おもに水素原子)が存在している。
◆◆原子や分子のまわりの「真空」、原子の中の「真空」
銀河どうしの間には1立方メートルあたり1個の原子しか存在していない。
ここで1つの疑問がわく。
1立方メートルの中に原子が1個ぽつんと存在しているのであれば、その原子のまわりの空間は当然何も存在しないはずである。
また気圧が1気圧であったとしても気体分子は1立方メートルあたり約1個程度の存在である。
この気体分子と気体分子のまわりには何もない空間が広がっているはずである。
◆原子や分子のまわりの空間は、「完全な真空」なのだろうか?
もう1つ不思議な場所がある。
原子の中の空間である。
原子は原子核と電子から成り、原子核のまわりを電子がまわっている。これ以外に原子を構成する要素はなさそうだ。
仮に中心の原子核を半径1mの球に例えると、原子は半径100㎞の巨大な球ということになる。
この中に大きさがほとんどないとされる電子が存在している。
それはつまり、原子の中はほとんど空っぽのスカスカだということである。
◆原子の中の空間も、「完全な真空」ではないだろうか?
確かに、これらの空間には分子や原子は存在しない。
その意味では「完全な真空」とよんでもよさそうである。
ところが、現在の物理学では、
◆◆実は、その空間には素粒子が満ち溢れている。らしい。
このような空間には「素粒子」が満ち溢れていると考えられている。
小さな小さな超ミクロの素粒子レベルで考えると、
何もないはずの原子のまわりや原子の中は、電子や光子などの素粒子が突然飛び出す不思議な空間だという。
しかもこの素粒子は無数に誕生し、一瞬にして消滅するということをくりかえしているという。
さて、次はその素粒子の世界を探っていくことにしよう。
◆◆素粒子の世界への踏み込む準備
素粒子の世界では、
◎ほんの一瞬であれば、エネルギーの量が変動しうる。
◎素粒子はエネルギーに、エネルギーは素粒子に変換可能である。
◎素粒子がある状態と真空のちがいを、エネルギーの差で考える。
◆素粒子にとってみれば、宇宙空間はもちろん、金属のような物質の塊の中でさえも広大な「真空」である。
つまり素粒子の世界は、広大な宇宙空間から我々の身体の細胞の原子の中まで、ありとあらゆる「真空」にかかわる話である。
そこでは素粒子が突然あらわれたり、消えたりする。
つまり無と有の区別がはっきりつかないような、常識破りの世界であるらしい。
まず素粒子とは何か確認しておくと、
原子の中には原子核と電子があり、原子核の中には陽子と中性子がある。
さらに陽子と中性子はクォークからなる。このうち電子とクォークは素粒子である。
つまり素粒子とは、それ以上分けることができない究極の粒子のことである。
ただし時代によって素粒子とされるものは変化してきた。科学の進歩により“素粒子”の内部から、さらに基本的な粒子が発見されてきたからである。
◆素粒子の位置と速度を同時には決定できない。
素粒子理論の土台となる量子力学によると、素粒子は「粒子であると同時に波でもある」。素粒子は粒子でもあり、波でもあるという不思議な二重の性質をもつ。
また、ある空間を飛んでいる素粒子の「位置と運動量(速度)」を同時に決定することができない」いう性質もある。(不確定性原理)
このような性質は、「時間」と「エネルギー」についてもあてはまる。
つまり時間を正確に決める(時間の幅を短くとる)とエネルギーの量が決定できなくなる。
別の言い方をすれば、素粒子の世界では、「ほんの一瞬の間であれば、エネルギーの量が変動しうる」ということでもある。
◆粒子とエネルギーはたがいに変換可能
アインシュタインが導き出した「相対性理論」によると、エネルギーと質量は等価のもので互いに変換することが可能なのだという。
つまり、エネルギーから素粒子が生まれたり、その反対に素粒子がエネルギーになったりする場合があるのだ。ということで、実は素粒子はエネルギーの塊なのである。
実際に、原子力発電では、ウランの原子核の質量の一部をエネルギーとして取り出している。
◆「場の振動」で真空と素粒子を考える
現代の素粒子理論では、空間が「場」で満たされていると考えている。
「電場」「磁場」などと同じように「場」を使って素粒子について考える理論を「場の量子論」といい、素粒子理論の根底を流れる基本的な考え方となっている。
「場」の量子論では、素粒子を場の振動によってあらわす。場が大きく揺れたときは、エネルギーがたくさんあり、素粒子が存在している状態だと考える。
逆にエネルギーがなくなると場の振動はおさまり、素粒子がないと考える。
この「場の振動」がおさまった状態が「真空」と定義される。
ただし、この「真空」が本当に何も存在しない「完全な真空」なのかどうかについては議論をしない。
真空の中には私たちの知らない何かが隠されているかもしれず、またそれを確かめる方法もないからである。
大切なのは、素粒子の世界では、素粒子が存在する状態と真空とのちがいをエネルギーの差であらわすという点である。
「ほんの一瞬の間であれば、エネルギーの量が変動しうる」という素粒子の性質は、「場の量子論」についてもあてはまる。
このことが原因でとなって、素粒子の世界の「真空」では、めまいを覚えるような現象がおきている。
さらに素粒子と「真空」への疑問をつきつめていけば、素粒子はどこからきたのかという疑問にぶつかる。
現代の宇宙論では、宇宙誕生直後におきた「ビッグバン」のエネルギーが素粒子となり、原子や分子などができたとされる。
このビッグバンがおきた原因に、どうやら真空が深く関わっているらしい。
◆真空から素粒子を生み出す加速器での実験
真空と素粒子の関係について具体的に加速器での実験をみてみよう。
◆真空から陽電子を“拾って”くる。
加速器には電子と陽電子を衝突させるタイプのものも多い。陽電子は電子の双子のような存在で、電荷の符号だけが正負逆の素粒子である。
陽電子のような粒子を「反粒子」とよぶ。ところが反粒子は自然界にはほとんど存在しない。
陽電子はエネルギーを与えて真空からつくりだしている。まず、加速させた電子を金属のかたまりに打ち込む。すると、金属原子の中の空間で、電子は高エネルギーのガンマ線(光)を放出する。このガンマ線から、陽電子と電子のペアが誕生する。(対生成)
「もともと存在しなかった陽電子と電子のペアを、真空から“拾って”くる」というイメージらしい。
ただし、この反応をおこすには、金属原子の原子核からでている別のガンマ線の手助けが必要になる。
そのために加速させた電子を金属原子に打ち込む。金属といえども、その中は素粒子にとってはスカスカの真空である。
つまり、これは真空から陽電子と電子を生み出したといえる。
◆さまざまな素粒子が真空から誕生する
ところで高エネルギー加速器研究機構の素粒子実験の加速器「Bファクトリー」に要求される気圧は、なんと1兆分の1気圧以下という。
このBファクトリーでは、こうしてつくった陽電子と電子を加速させて衝突させる。
両者が衝突すると、その質量がエネルギーとなり、さらにそのエネルギーから通常では存在しないようなさまざまな素粒子が誕生する。
この過程も、真空から素粒子が誕生しているといえる。
つまり、加速器では、実験の素材をつくる段階でも、実験そのものでも、外部からエネルギーをあたえることによって、真空から素粒子を誕生させている。
それにしても真空の中で、なぜこのようなことがおきるのか、実に不思議である。その根本的な答えはよくわかっていないというが、少なくても真空は素粒子のつくり方を知っていることになる。
つまり、「真空」はあらゆる素粒子をつくる能力を秘めているらしい。
◆◇◆ 「無の空間」に、素粒子が沸き立っている
エネルギーさえあれば、空間から素粒子が誕生する。
では、
すべての原子や分子、そして素粒子も取りのぞいた 「無の空間」 を考えてみよう。
もちろん、加速された粒子も存在しない空間である。
実はこのような 「無の空間」 であっても、やはり、素粒子は誕生するという。
しかも1個や2個ではない、まるで沸騰しているお湯の中で無数の泡が沸き立つかのように、そこら中から飛び出してきているという。
そんなことが本当にあるのだろうか。今問題にしているのは「無の空間」なのだから、当然、原子も分子も素粒子も取りのぞいたはずだし、素粒子のもとになるエネルギーを外部から持ち込んでもいない。その空間にあるエネルギーの値はゼロのはずである。
それなのに、せっかく「無の空間」をつくっても、次の瞬間にはすでにもう無数の素粒子が“沸き立って”いるというのである。
この謎のカラクリも、超ミクロの世界の物理法則の量子力学にある。
実は超ミクロの世界では、外部からエネルギーを加えなくても、ほんの一瞬であればエネルギーが存在できるのだという。そして、このエネルギーを使って「無の空間」から素粒子が生み出されているというのだ。
これは「不確定性原理」とよばれる性質によって引きおこされているのだという。
不確定性原理によって「無の空間」から素粒子が誕生する際、
素粒子は必ず「粒子」と「反粒子」のペアで誕生する。(対生成)
そして対生成した両者はすぐに衝突して消えてしまう。(対消滅)
このようにして「無の空間」から“沸き立つ”素粒子は「仮想粒子」とよばれている。
仮想粒子の寿命は非常に短い。
たとえば、電子と陽電子の仮想粒子の場合、その寿命は10の-22乗分の1秒、つまり1秒の1兆分の1のさらに100億分の1秒程度の短さである。
私たちには、仮想粒子を直接観測することはできない。
ただし「仮想」とはいうものの、このような摩訶不思議な素粒子の対生成・対消滅は、私たちの身のまわりの空間でも、現実に起こっていることだという。
なお、原理的にすべての種類の素粒子が誕生しうるという。
また素粒子だけではなく、陽子や中性子といった内部に構造をもつ粒子も対生成・対消滅をくりかえしていると考えられている。
◆仮想粒子の対生成、対消滅を証明するカシミール効果
私たちのいる空間で、絶えず仮想粒子が生成され、消滅しているという話はにわかには信じがたい。ところが、この仮想粒子の対生成、対消滅を示した実験がある。
2枚の金属板を平行に置き、1000分の1ミリはどまで近づけると、これらの金属板が引き合うことを示した実験である。
これは「カシミール効果」とよばれる現象である。
2枚の金属板が引き合うのは、金属板の外側の空間と、金属板にはさまれた間の空間とで、空間自体がもっているエネルギー(真空のエネルギー)の大きさに差があるためである。
なぜ、空間のもつエネルギーに差が生じるのであろうか。
これは、仮想粒子に原因がある。
仮想粒子は、粒子としての性質とともに、波としての性質もあわせもつ。仮想粒子ごとに、波の波長は異なる。
金属板に挟まれた限られた空間では、ある特定の波長しか存在できない。金属板上では、波の振幅がゼロでなければならないため、金属板に挟まれたちょうどそのような形におさまる波長しか存在できない。
このため、限られた仮想粒子しか存在できず、この空間内の仮想粒子の数は少なくなる。
一方で、金属板の外側の空間では、そのような制限はなく、どのような波長の仮想粒子でも存在できる。
この仮想粒子の数の差が、金属板の間と外側とでエネルギーの差を生み、引力(カシミール力)としてあらわれるのだ。
この実験は仮想粒子の対生成、対消滅の証拠を示すものであると同時に、
真空がエネルギーをもつことを証明する実験でもあった。
カシミール効果は、1948年に、オランダのフィリップス研究所の物理学者ヘンドリック・カシミール (Hendrik BG Casimir、ドイツ)(1909~2000)によって提唱されていた。
1997年、ロスアラモス国立研究所のラモロー(Steve K. Lamoreaux)らによって、カシミール効果が実験的に計測された。
◆カシミール効果と負のエネルギー
ワープやワームホールの論文においては、その実現性の論拠としてしばしばカシミールエネルギーという言葉が登場するが、それはこの現象のことを指している。カシミール効果の引力作用は二枚の金属板の内外の真空のエネルギー差に起因し、金属板間の真空のエネルギーは負の値をとる。ワームホールなどの維持には「負の重力」を生み出す負のエネルギーが必要となるので、負のエネルギー状態が確認された唯一の例としてこの効果が取り上げられるのである。
Morris, Thorne, Yurtsever の指摘によれば、時空に局所的に負の質量領域を生み出すために量子力学でのカシミール効果を用いることができる。ただし、あくまで真空のエネルギー状態を負にまで引き下げることができると確認されたというだけで、実際に負のエネルギーを形として取り出せたというわけではない。
◆カシミール効果と斥力について
カシミール効果は、電荷を持っていない二つの物質の間の斥力として現れる場合がある。エフゲニー・リフシッツ(Evgeny Lifshitz) は、ある状態(一般的には流体を含むとき)では斥力が生じることを理論的に示し、物体を浮上させる方法としての発展性から注目を集めた。 浮上実験はいまだに達成されていないが、最近の実験で斥力が立証された。
◆ 「真空のゆらぎ」と「無のゆらぎ」
量子論の「不確定性原理」によると、ミクロな視点で自然界をみると、「真空」と考えられる空間でも、私たちが認識できないようなごく時間(10の-20乗秒後程度以下)では、物質が「ある」「ない」という存在自体も定まらなくなるという。
何もないはずの真空中でも、粒子と反粒子がペアになって生まれたかと思えば(対生成)、すぐに消滅するとという。(対消滅)
空間のエネルギーもゼロのままではいられない。
ごく短時間でみると、場所ごとのエネルギーの大きさの値はそれぞれ1つに定まることがなく(エネルギーと時間の不確定性関係)、非常に高いエネルギーをもつ場合がある。
相対性理論にによると、エネルギーは物質の質量に転換可能である。
このため、瞬間的に高いエネルギーをもった場所では、そのエネルギーが粒子にかわり、粒子が生まれることができる。しかし、できた粒子はすぐに消滅して元の状態にもどる。
このように物理的な状態が一つに定まらないことを「ゆらいでいる」という。
何もないはずの真空中でも、粒子と反粒子がペアになって生まれたかと思えば(対生成)、すぐに消滅するとという。(対消滅)
◆このゆらぎは「真空のゆらぎ」といわれる。
またすべての原子や分子、そして素粒子も取りのぞいた「無の空間」を考えても、
「無の空間」から“沸き立つ”素粒子は“仮想粒子”とよばれるが、ここでも“仮想粒子”の対生成、対消滅という現象が起こっているという。
◆これを「無のゆらぎ」という。
この「ゆらぎ」と同じようなことが宇宙が誕生するときにも、おこっていたようなのだ。
宇宙の大きさが10の-33乗㎝より小さいときには、宇宙の存在自体がゆらいでおり、宇宙自体が生成、消滅をくりかえしていたのではないかと考えられている。
この宇宙のはじまりの「無と有のゆらぎ」「有と無のゆらぎ」を想像するとき・・・・
あの 『般若心経』の『唯識論』 の「空即是色」「色即是空」という言葉が浮かんでくる・・・・