2005年 09月 02日
メムノンの巨像とハトシェプスト葬祭殿
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■メムノンの巨像■
ナイル川と王家の谷の間に広がるテーベの平原にはアメンホテプ3世の神殿へ通じていた道路がある。神殿は現在では失われてしまい、有名な「メムノンの巨像」だけが残っている。
この2体の巨像は高さ20m、足の長さ2m、厚さ1mで、砂岩の塊をブロックに切り取って造られている。
このメムノンの巨像のうち北側(右)の像は、B.C.27年の大地震のあと、毎日、朝日を浴びると長くうめくような音をたてるようになり、傍を通る旅人たちは、その像が悲しく歌っていると信じるようになった。ギリシャの詩人たちはこの哀しく歌う巨像と美しい魅惑的な伝説とを結び付けた。
◆メムノンの伝説
「この哀しく歌う像はエジプトとエチオピアの伝説上の王で、曙の女神エーオースの息子であるメムノンである。メムノンはトロイア戦争で幾多の手柄も立てたが、結局英雄アキレウスに討ち取られてしまう。しかし、母エーオースが少なくとも1日に1度は息子が生き返ることを涙とともにゼウスに願ったために、
毎朝、母が朝日で子を愛撫するとメムノンは甦って呻き声で母に挨拶するのだ。」
その伝説からメムノンの巨像と呼ばれるようになった。


■ハトシェプスト葬祭殿■
王家の谷から約1.5km離れたところの現在「ビアン・エル・アリム」と呼ばれている「王妃の谷」がある。B.C1300年からB.C1100の第19王朝から第20王朝の時代の80余りの墓が発見されている。この谷は王家の谷よりやや開けており、入り口に至る小道にはラムセス3世の業績を讃えた記念柱がある。
軍事以上に芸術を擁護した女王ハトシェプストは、建築家センムートに父王トトメス1世と女王用の葬祭殿をハトル女神の神殿のあったこの「王妃の谷」に造築するように命じた。
神殿は東向きで、祭殿に上っていく坂道が、途中で幾度もテラスを横切る形をとっているのも、この建築家センムートの革新性を物語っている。スフィンクスとオベリスクの並んだ広いテラスの奥には柱廊があり、そこからまた次のテラスへ向かう坂道が延びている。
神殿の壁の一部には浅い浮彫りがみられ、ハトシェプスト女王の誕生や幼年時代、中央アフリカの伝説の国ブントへの遠征の様子がキリンや猿、黒豹の皮、象牙などとともに描かれている。
ヤスコヴィッチがここを訪れたのが1994年。1997年には、ここハトシェプスト女王葬祭殿で観光客を狙った銃撃事件が起きました。新婚旅行などで訪れていた日本人も10人近く犠牲になりました。


by yascovicci
| 2005-09-02 12:21
| エジプト












