王家の谷の物語 ルクソール
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◆ナイルの側の西、テーベ(ルクソール)の背後の山地には小さな谷が数多くあり、「王家の谷」として有名である。元は険しい岩場の中の渓谷に孤立した場所であったが、現在では舗装道路も整い、観光客も容易に訪れることができる。今もこの地の神秘的な魅力は一向に衰えてはいない。

◆この谷の歴史は、トトメス1世が1700年間守られてきた伝統を破って、葬祭殿と墓を分け、墓に遺体を埋葬せずに埋葬場所を秘密にすることを決心したことから始まる。建築家イネニは奥行きの深い岩場を井戸のように掘り、玄室に通じる急な石階段付きの墓を作り、これが以後の王墓の手本となった。

◆しかし、トトメス1世を初めとする王族にとってここは決して安住の地ではなく、この谷の歴史は略奪と盗掘の歴史であった。王達の眠りを妨げる者は、その豊富な財宝を狙って王国時代から盗掘を繰り返してきた盗賊だけではなかった。司祭や家臣が盗掘を防ぐために度々埋葬地を移したため、ラムセス3世などは3度も埋葬地を変えられてしまった。

◆グルナの住民のほとんどは王墓からの盗品を売って生計を立てていた。実際、盗掘は1つの職業で、B.C.13世紀以降は盗掘が家業として代々受け継がれていったという。

◆アブドウル・ラルズ家が、36人のファラオが一箇所に埋葬されている場所を知っている唯一の家系であることが1881年に発覚し、長い訊問の末にカイロ博物館副館長エミール・ブライグシャ・ベイは、その井戸の入り口に連れていかれた。

◆その井戸の中には、松明の光に照らし出されたアフモフ1世、アメンホテプ1世、トトメス3世、ラムセス2世などの古代の偉大なファラオ達の遺体が雑然と横たわっていた。

◆この1週間後、梱包されたミイラは200人の作業員によって谷から運び出され、船でカイロの博物館へと運ばれた。王のミイラが墓から運び出されるという知らせに、近くの農民やその家族達はナイルの川岸に集まってきて、船の傍で男たちは空砲を発砲し、女たちは顔に灰を振りかけながら泣き叫び、古代の王達に追悼の意を捧げる一幕もあったという。













