【山鹿温泉】 「さくら湯」
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この日は、まず平山温泉へ、次に山鹿温泉に・・・「八千代座」見学のあと「さくら湯」に入浴。
最後に『山鹿灯籠浪漫・百華百彩』を見て歩く・・・
◆山鹿温泉
山鹿温泉は、熊本県山鹿市(旧国肥後国)にある温泉。毎年8月に催される「山鹿灯籠まつり」が有名。
山鹿温泉は熊本県内で最も歴史のある温泉地の一つであると言われ、伝説によると、保元の乱で京都から敗走した宇野親治が山狩りをしていたところ、傷を負った鹿が湯に浸かっているのを見て、この温泉を発見したとされる。温泉名で地域名ともなっている「山鹿」もこの開湯伝説に因む。
承平年間に記された『倭名類聚抄』に既に山鹿の名が載っており、平安の昔から美肌の湯として知られていたといわれている。


宿場町としても繁栄した江戸時代には「山鹿千軒たらい無し」と謳われるほど賑やかであった。宇野親治が鹿を発見した場所に城主の湯屋が設けられ、御前湯が置かれた。
旅館、ホテルは約20軒で、規模は熊本県内有数。また、歴史の古い温泉街として風情を強調しており、明治時代には道後温泉を倣って温泉街を作ったといわれる。市街地の中にありながら、露天風呂や浴室に工夫が凝らされており、情緒豊かである。湯量も多く、「あし湯」、共同浴場のほか温泉プール(現存しない)などが設けられた。
◆さくら湯
今から約370年前の江戸時代に、肥後細川藩初代藩主細川忠利公は山鹿の温泉をたいへん気に入り、寛永17年、山鹿にあった藩の御茶屋を新築した。この御茶屋が“さくら湯の歴史の始まり”である。
明治3年から5年にかけて行われた大改修で「市民温泉」として生まれ変わり、明治31年に「道後温泉」の棟梁・坂本又八郎氏を招いて改修が行われた際、北側に唐破風を備えた玄関が設けられた。
さらに、昭和4年の改修では南側にも唐破風の玄関を設け、「十字クロス構造」と呼ばれるさくら湯の特徴が完成した。
しかし、昭和33年の改修で、浴室は明治以来の雰囲気を喪失し、同48年には再開発ビル(温泉プラザ山鹿)建設のために解体された。
その後、約40年が経過しビルの老朽化が進んだことをきっかけに、市民に親しまれ、現在も記憶に残る往年のさくら湯を再生したいとの想いに応えて、市はさくら湯再生事業に取り組み、平成23年7月着工、平成24年10月に「さくら湯」が完成した。




















