2017年 03月 13日
唐津・玉島神社と大分・春日神社と柞原八幡宮と竹瓦温泉
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3月10日(金)
◆神功皇后縁の唐津の玉島神社参拝
記紀によれば、神功皇后が新羅出兵の前に玉島川で釣占いを行った。
その際に「鮎」がかかり「めずらしき物」と仰せられたとの伝承が残っている。
「鮎」の語源は、この故事によるものとされている。また、この地「松浦」の語源は、神功皇后が発した「めずら」であるとも伝えられている。神功皇后が釣り台にした「垂綸石」が今も神社前に残されている。
▼鳥居には「神功皇后宮」とある。


▼釣竿竹の近くに置かれた「舟型石」

▼玉島川
神功皇后が釣り糸を垂れ、「鮎」を釣り上げたと伝えられる川。

3月12日(日)
大分の春日神社と豊後一之宮の柞原八幡宮を参拝。
そして最後に別府の竹瓦温泉に入湯。いい休養日だった。
◆春日神社
春日神社の創建は古く、遠く平安時代にさかのぼる。貞観2年(860年)に国司藤原朝臣世数が、奈良春日大社の四所大神をお迎えしたとされる大分県有数の古社である。




◆柞原八幡宮 豊後一之宮 (ゆすはらはちまんぐう)
大分市街地西方の二葉山(八幡柞原山とも)山麓に鎮座する。境内入口の長い階段を上ると南大門が南東向きに建つ。社殿は、回廊のある桜門と垣に囲まれており、桜門の奥に、拝殿、申殿と繋がり、その奥に、瑞垣に囲まれて八幡造の本殿がある。








▼柞原八幡宮の伝承樹齢3000年の大楠
参道石段を上ると、途中に日暮門(ひぐらしもん)と呼ばれる南大門があり、その少し手前、向かって左手に国天然記念物の大楠が立っている。


◆別府の竹瓦温泉
明治12年(1879)創設で、当初建築されたものは竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名称がついたと伝えられている。
現在の建物は昭和13年(1938)に建設されたもので正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっている。




◆神功皇后縁の唐津の玉島神社参拝
記紀によれば、神功皇后が新羅出兵の前に玉島川で釣占いを行った。
その際に「鮎」がかかり「めずらしき物」と仰せられたとの伝承が残っている。
「鮎」の語源は、この故事によるものとされている。また、この地「松浦」の語源は、神功皇后が発した「めずら」であるとも伝えられている。神功皇后が釣り台にした「垂綸石」が今も神社前に残されている。
▼鳥居には「神功皇后宮」とある。


▼釣竿竹の近くに置かれた「舟型石」

▼玉島川
神功皇后が釣り糸を垂れ、「鮎」を釣り上げたと伝えられる川。

3月12日(日)
大分の春日神社と豊後一之宮の柞原八幡宮を参拝。
そして最後に別府の竹瓦温泉に入湯。いい休養日だった。
◆春日神社
春日神社の創建は古く、遠く平安時代にさかのぼる。貞観2年(860年)に国司藤原朝臣世数が、奈良春日大社の四所大神をお迎えしたとされる大分県有数の古社である。




◆柞原八幡宮 豊後一之宮 (ゆすはらはちまんぐう)
大分市街地西方の二葉山(八幡柞原山とも)山麓に鎮座する。境内入口の長い階段を上ると南大門が南東向きに建つ。社殿は、回廊のある桜門と垣に囲まれており、桜門の奥に、拝殿、申殿と繋がり、その奥に、瑞垣に囲まれて八幡造の本殿がある。








▼柞原八幡宮の伝承樹齢3000年の大楠
参道石段を上ると、途中に日暮門(ひぐらしもん)と呼ばれる南大門があり、その少し手前、向かって左手に国天然記念物の大楠が立っている。


◆別府の竹瓦温泉
明治12年(1879)創設で、当初建築されたものは竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名称がついたと伝えられている。
現在の建物は昭和13年(1938)に建設されたもので正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっている。




by yascovicci
| 2017-03-13 10:09
| 【日本神話の旅】












