記紀ゆかりの神社参拝(1)・・・4月3日のハイライト
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3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝し帰宅。
2日間で愛車アルファGTの走行距離が1000kmを超えた。
4月3日のハイライト


◆木花神社(きばなじんじゃ)
コノハナサクヤヒメとニニギノミコトを祀り、「木花」はコノハナ(木の花)に由来していると伝えられている。境内には、コノハナサクヤヒメが生んだ3皇子の産湯に使ったとされる「霊泉桜川」や、産屋(うぶや)があったとされる「無戸室(うつむろ)の跡」がある。



◆住吉神社
昔から海の神、航海の安全の神として信仰される古社として知られている住吉神社。
創建は古く、2400年前の考安天皇年間(紀元前427年~紀元前291年)とされ、「元」の文字を円で囲った社紋が受け継がれており、全国に二千余ある住吉神社の元宮を表す標(しるし)であると伝わっている。
主祭神は、イザナギノミコトが黄泉国で受けた穢れを清めようと行ったみそぎによって誕生した住吉三神。
水底で身を清めたときに生まれたソコツツノオノミコト、水の中程で身を清めたときに生まれたナカツツノオノミコト、そして水の表面で身を清めたときに生まれたウワツツノオノミコトの三柱を総じて住吉三神という。




◆田元神社(たもとじんじゃ)
田元神社は本郷南方に鎮座、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命、豊玉彦命を祭神とする。
寛治5年都万神社の祭神を神託により赤江村恒久の地に分祀するにあたり、先ず仮宮を本郷南方の田元と称するところに建造し奉祀した。その後、本殿を恒久に造営し、一の宮大明神と称し鎮祭した。



◆小戸神社
「かけまくも畏き伊邪那岐の大神、筑紫の日向の橘の小戸の檍腹(阿波岐原)に禊ぎ祓えたまいしに……」。全国の神社で奏上されている祓詞に小戸神社の名を見ることができる。この歴史ある神社の祭神はイザナギノミコトで、その社名は黄泉の国から帰ってきたイザナギノミコトが小戸の阿波岐原にて禊ぎをしたことに由来している。



◆皇宮神社(皇宮屋)(こぐうじんじゃ)
皇宮屋(こぐや)は、神武天皇宮崎の宮の皇居跡と顕彰されている。
皇宮神社は、宮崎神宮の西北約六百米の小高い丘に鎮座する宮崎神宮の元宮である。
神武天皇は諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町狭野)で御生誕になられ、十五才にして皇太子に即かれると宮崎にお移りになり、大和地方にご出発になる四十五歳まで当地に宮居されたと云う事である。
この地は、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地か、或は行宮の跡であったのではなかろうかと思われる。仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街を縫い、実に皇居の跡に相応しい聖地である。



◆高屋神社 (たかやじんじゃ)
当社西方の小高い処は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子で、母は木花開耶姫(このはなのさくやびめ)である山幸彦の名で知られ、海神の娘豊玉姫(とよたまひめ)と結婚して鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)をもうけた彦火々出見命(ヒコホホデミノミコト)の山陵と言い伝え、「日本書紀」にいう「日向の高屋の小陵に葬る」とあるのは当地であると伝える。
また景行天皇が六年間ご駐輦された高屋行宮址とも伝えている。このことは「日向五郡八院旧元集」に、「景行天皇が十一月日向の国に到り行宮を起こしてここに居たまう。これを高屋宮という。武内宿祢、彦火々出見命の山陵を知り、そこで御鎮座を定めた。これが村角高屋八幡宮である。」と書かれている。



◆佐野原神社・佐野原聖地(さのばるじんじゃ)
佐野原聖地は神代の昔、鵜葦草葦不合命(うがやふきあえずのみこと)が都於郡(とのこおり)から宮居を遷されて天下を治められた所で、尊は玉依姫命(たまよりひめ)をお后にお迎えになり、この地で佐野尊(のちの神武天皇)がお生まれになったと伝えられている。
中世以後佐土原を領した伊東氏、島津氏は、この地に皇祖を奉祀する佐野原神社を創建しお祀りした。



◆巨田神社 (こたじんじゃ)
天太王命(あめのふとだまのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのみこと) を祀る。
古くは巨田八幡と称し、宇佐八幡宮(大分県)の荘園である田島荘の鎮守として建立された。
本殿は南九州には数少ない中世建築の遺構で三間社流造りの板葺き、木部には朱が塗られ、軒間にみどりの美しい色彩を見せている。この本殿と22枚の棟札が国の重要文化財に指定されている。



◆銀鏡神社 (しろみじんじゃ)
大山祇神(おおやまつみ)の娘で、木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉である岩長姫イワナガヒメが鏡に映った自分の醜い容姿を嘆くあまり、遠くに投げたと伝えられる鏡をご神体として祀っている。鏡は竜房山の頂上の大木に引っかかり、麓の村を明るく照らしたのでそこを白見村と言うようになり、その鏡が銀の鏡だったことから後に「銀鏡」の名が付いたといわれている。
九州山地中央部の山間地、一ツ瀬川支流の登内川と銀鏡川の合流域に位置し、翌等に地蔵岳、オサレ山、北西に雪降山、南東に竜房山がそびえる。
銀鏡神社は、岩長姫・大山祇命・懐良親王を合祀した神社で、ご神体は岩長姫尊の銀の鏡、懐良親王の割符の鏡である。



◆西米良温泉「ゆたーと」
















