2017年 04月 06日
記紀ゆかりの神社参拝(2)・・・4月4日のハイライト
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3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝し帰宅。
2日間で愛車アルファGTの走行距離が1000kmを超えた。
4月4日のハイライト



◆石貫神社
石貫神社は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父の大山祇命(オオヤマツミノカミ)が祭神である。古くは日能若・石貫大明神と称された。古い神社である。鬼と「一晩で岩屋を完成させれば娘を嫁にやる」と約束したオオヤマツミが、鬼が完成させた岩屋から1枚抜き取って投げた石が落ちた場所と伝えられている。参道入口にはそのときの物とされる石が据えられている。



◆石貫階段と大山祇陵
石貫神社から西都原古墳に向かう途中の坂道に差し掛かったあたり、左手の急斜面にある長い階段(約170段)が通称「石貫階段」である。この階段を上ると、西都原の広大な古墳群。中でも、石貫神社と縁の深い、大山祇塚が鎮座している。大山祇陵は前方後円墳で、山の神オオヤマツミノカミの御陵といわれている。




◆船引神社
船引神社は堀河天皇の御代、寛治元年(1087)九月十五日の創建と伝えられ、当初は正八幡大神と称した。東海道相模国湯井郷の鎌倉八幡宮の霊神を祀る。また境内には国指定天然記念物(昭和二十六年六月九日指定)の大クスがあり、通称を八幡クスと呼ばれている。



◆清武の大クス
船引神社の境内にある大楠は、樹齢およそ900年。
高さ25m、幹回り13.2m、根回り18mの堂々とした姿は、県下最大の楠として知られ、昭和26年に国の天然記念物に指定された。
主幹の内部は9mほどの高さまで空洞になっており、底は8畳ほどの広さがある。
幹にはテイカカズラやノキシノブなどの植物が寄生している。



◆佐賀関の海鮮丼



◆早吸日女神社 (はやすひめじんじゃ)
紀元前667年、神武天皇が東征の際に、速吸の瀬戸(豊後水道)の海底に大蛸が住みつき、潮の流れを鎮めるために守っていた神剣を、関に住む海女姉妹が海底深く潜って大蛸よりもらい受け、神武天皇に献上したと言われている。
早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)は、その神剣をご神体とした神社で、古くより厄除開運の神として地元の人の信仰を集めている。また、神剣を守っていた蛸も崇められており、蛸の絵を奉納して一定期間蛸を食べずに願い事をすると成就すると言われる「蛸断ち祈願」を行っている全国でも珍しい神社である。




◆西寒多神社
主祭神は西寒多大神 (ささむたのおおかみ)で天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命の総称としている。豊後国一宮。
「大分郡志」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという。その後、南北朝~室町時代の守護大名 大友親世により社殿を現在地に遷された。
歴代の国司や武将の尊崇が厚く、大分県内では宇佐神宮につぐ神社として知られている。
西寒多神社には、豊後キリシタン大名の大友宗麟が愛用したといわれる印章などが所蔵されている。



◆八幡朝日神社
八幡朝見神は、大分県別府市にある神社である。別名朝見八幡宮。別府温泉の総鎮守である。
誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)を祭神とする。
建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。当社はそのときに創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けた。



3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝し帰宅。
2日間で愛車アルファGTの走行距離が1000kmを超えた。
4月4日のハイライト



◆石貫神社
石貫神社は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の父の大山祇命(オオヤマツミノカミ)が祭神である。古くは日能若・石貫大明神と称された。古い神社である。鬼と「一晩で岩屋を完成させれば娘を嫁にやる」と約束したオオヤマツミが、鬼が完成させた岩屋から1枚抜き取って投げた石が落ちた場所と伝えられている。参道入口にはそのときの物とされる石が据えられている。



◆石貫階段と大山祇陵
石貫神社から西都原古墳に向かう途中の坂道に差し掛かったあたり、左手の急斜面にある長い階段(約170段)が通称「石貫階段」である。この階段を上ると、西都原の広大な古墳群。中でも、石貫神社と縁の深い、大山祇塚が鎮座している。大山祇陵は前方後円墳で、山の神オオヤマツミノカミの御陵といわれている。




◆船引神社
船引神社は堀河天皇の御代、寛治元年(1087)九月十五日の創建と伝えられ、当初は正八幡大神と称した。東海道相模国湯井郷の鎌倉八幡宮の霊神を祀る。また境内には国指定天然記念物(昭和二十六年六月九日指定)の大クスがあり、通称を八幡クスと呼ばれている。



◆清武の大クス
船引神社の境内にある大楠は、樹齢およそ900年。
高さ25m、幹回り13.2m、根回り18mの堂々とした姿は、県下最大の楠として知られ、昭和26年に国の天然記念物に指定された。
主幹の内部は9mほどの高さまで空洞になっており、底は8畳ほどの広さがある。
幹にはテイカカズラやノキシノブなどの植物が寄生している。



◆佐賀関の海鮮丼



◆早吸日女神社 (はやすひめじんじゃ)
紀元前667年、神武天皇が東征の際に、速吸の瀬戸(豊後水道)の海底に大蛸が住みつき、潮の流れを鎮めるために守っていた神剣を、関に住む海女姉妹が海底深く潜って大蛸よりもらい受け、神武天皇に献上したと言われている。
早吸日女神社(はやすひめじんじゃ)は、その神剣をご神体とした神社で、古くより厄除開運の神として地元の人の信仰を集めている。また、神剣を守っていた蛸も崇められており、蛸の絵を奉納して一定期間蛸を食べずに願い事をすると成就すると言われる「蛸断ち祈願」を行っている全国でも珍しい神社である。




◆西寒多神社
主祭神は西寒多大神 (ささむたのおおかみ)で天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命の総称としている。豊後国一宮。
「大分郡志」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという。その後、南北朝~室町時代の守護大名 大友親世により社殿を現在地に遷された。
歴代の国司や武将の尊崇が厚く、大分県内では宇佐神宮につぐ神社として知られている。
西寒多神社には、豊後キリシタン大名の大友宗麟が愛用したといわれる印章などが所蔵されている。



◆八幡朝日神社
八幡朝見神は、大分県別府市にある神社である。別名朝見八幡宮。別府温泉の総鎮守である。
誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)、気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)、足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)を祭神とする。
建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。当社はそのときに創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けた。



by yascovicci
| 2017-04-06 06:51
| 【日本神話の旅】












