神代三山陵 (2) 高屋山上陵 彦火火出見尊の陵墓
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可愛山陵・・・ 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の陵墓
高屋山上陵・・・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦の陵墓
吾平山上陵・・・鵜葺草葺不合(ウガヤフキアヘズ)の陵墓
神代三山陵は、神武天皇の曽祖父・祖父・父にあたる神代三代の陵墓である。
2017年3月15日(水)参拝
鹿児島まで走り、高屋山上陵を参拝。(鹿児島県霧島市)
今回で神代三山陵をすべて参拝した。
◆◇◆高屋山上陵
高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ)は、山幸彦のホオリ(天津日高彦火火出見尊)の陵とされる。ホオリの命は神代三代の第二代目で、神武天皇の祖父に当たり、御霊は鹿児島神宮に祀られている。古事記によれば、命の御陵は日向の高千穂山の西に在ると記されており、日本書紀には、高屋の山に葬るとある。
高屋山上陵は、可愛山陵、吾平山上陵とともに神代三山陵の一つ。
1920年(大正9年)3月30日には当時の皇太子(昭和天皇)が東郷平八郎を伴って参拝している。1962年(昭和37年)5月には当時の皇太子(今上天皇)と皇太子妃(美智子さま)が参拝された。
現在、宮内庁書陵部が管轄している。
▼高屋山上陵の参道入り口

◆彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)=山幸彦
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)とは瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト)に一夜の交わりで妊娠したのを疑われた大山祇神(おおやまつみ)の娘である木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が疑いを晴らすために産屋に火を放ってその中で生まれた三柱の御子の末弟で海幸彦・山幸彦の神話の「山幸彦」のことである。
火が消えかけた時に生まれたので火遠理命(ホオリノミコト)と呼ばれる。
兄に火照命(ホデリノミコト)(海幸彦)、火須勢理命(ホスセリノミコト)がいる。
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は高千穂宮で亡くなったとある。
海神・大綿津見神(豊玉彦)の娘の豊玉姫(トヨタマビメ)を妻とし、二神の間の子が鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズ)である。
鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズ)は豊玉姫の妹である玉依姫に育てられ、後に結婚して神日本磐余彦尊(神倭伊波礼琵古命・カムヤマトイワレヒコ)=(神武天皇)らの兄弟神4皇子を生んでいる。
◆海幸彦と山幸彦の物語
兄の海幸彦は海で魚をとり、弟の山幸彦は野や山で狩りをして暮らしていたが、ある日兄弟は道具を交換し海幸彦は山に、山幸彦は海に出かけた。ところが、弟の山幸彦は兄の海幸彦が大切にしていた釣り針を失くしてしまった。
山幸彦は釣り針はたくさん作って返すと謝ったが、海幸彦はもとの釣り針でなければ嫌だといって受け取らず、困り果てた山幸彦が海辺で泣いていると塩土老翁が現れ、山幸彦に海神の宮に行くように教えた。そこで豊玉姫と結婚し、3年間暮らしたが、釣り針のことを思い出すと憂鬱になった。すると海神はすべての魚を集めて鯛の喉から釣り針を見付け出し「オボチ、ススチ、マジチ、ウルチと唱えながら、手を後ろにまわして兄に返しなさい」といい、そして塩満珠と塩乾珠という2つの玉を授けて鰐の背に乗せて地上に送り返した。いわれた通りに呪文を唱えて返すと兄の海幸彦は貧しくなってしまった。弟を憎んだ海幸彦が攻めてきた時には塩満珠で兄を溺れさせ、兄が許しを請うと塩乾珠を使って助けて海幸彦を降伏させた。
海幸彦・山幸彦の神話では兄の海幸彦は隼人の祖先とされており、大和朝廷側の山幸彦が隼人族を支配する
◆高屋山上陵の杉林の参道をぽれぽれと歩く・・・



▼宮内庁の管理事務所の建物が見えてきた。

◆高屋山上陵






▼宮内庁書陵部の管理事務所


◆宮内庁の管理事務所の奥の丘へ



▼昭和天皇が皇太子の頃に東郷平八郎を伴って御参拝された記念碑

▼昭和天皇お手植えの記念樹

▼皇太子(今上天皇)と皇太子妃(美智子妃)の御参拝記念碑


















