神代三山陵 (3) 吾平山上陵 鵜葺草葺不合尊と玉依姫の陵墓
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可愛山陵・・・ 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の陵墓
高屋山上陵・・・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦の陵墓
吾平山上陵・・・鵜葺草葺不合(ウガヤフキアエズ)の陵墓
神代三山陵は、神武天皇の曽祖父・祖父・父にあたる神代三代の陵墓である。
2016年9月1日参拝
早朝から鹿屋市吾平町の吾平山上稜を参拝。
◆◇◆吾平山上陵 (あいらさんりょう)
吾平山上陵は、
ウガヤフキアエズノミコト(天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)とタマヨリヒメ(玉依姫)の陵。
全国でも珍しい岩屋の陵(塚墓)で、神武天皇の御父君と御母君の御陵である。
500mほど続く参道は、緑が美しく、姶良川のせせらぎがやさしく、まさに神々しい雰囲気を醸し出している。
可愛山陵、高屋山上陵とともに神代三陵(かみよさんりょう)の一つ。
明治政府により1874年(明治7年)、鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を「吾平山上陵」(現・鹿児島県鹿屋市吾平町上名)に治定した。
現在、宮内庁書陵部が管轄している。
◆鵜葺草葺不合尊 (ウガヤフキアエズノミコト)
彦火火出見尊(ヒコホホデミのミコト)=火遠理命(ホオリノミコト)=山幸彦と海神・大綿津見神の娘の豊玉姫の子。
母の妹・玉依姫(タマヨリヒメ)を妻とし、神日本磐余彦尊(神倭伊波礼琵古命・カムヤマトイワレヒコ)=(神武天皇)らの兄弟神4皇子を生んでいる。
名前は母の豊玉姫が海辺に産屋をつくり,鵜の羽で屋根を葺こうとしたところ,葺きおわらないうちに生まれたことによる。
宮崎県鵜戸神宮の祭神。
◆吾平山上稜参道


▼吾平山陵を流れる姶良(あいら)川。
日本書紀の記述が「吾平」で、続日本紀の記述が「姶羅」らしい。

▼昭和天皇の行幸記念碑
刻まれているのは30代島津家当主、島津忠重公爵の揮毫。


▼吾平山上陵の説明



▼宮内庁の掲示版

◆聖域へ入っていく・・・








▼岩屋の陵(塚墓)が見えてきた。


◆吾平山上陵
神武天皇の御父君と御母君であるウガヤフキアエズノミコト(天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊)とタマヨリヒメ(玉依姫)の陵である。全国でも珍しい岩屋の陵(塚墓)である。















