2006年 07月 06日
ユーラシア大陸横断 (67) ポルトを散歩した静かな夜
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◆◆◆ 2002年、バイクでユーラシア大陸横断 ポルトガル編 ◆◆◆
■8月9日 レオン出発 サンチャゴ・デ・コンポステーラ到着 328km
セブレイロ峠を越え、巡礼の道の終点サンチャゴ・デ・コンポステーラへ
■8月10日 サンチャゴ・デ・コンポステーラ発 ポルト 到着 352km
■8月11日 ユーラシア大陸最西端のロカ岬にゴールイン。

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● この日8月10日は、霧が深く、高速の標識も見えない状況で、佐藤賢次さんと二人で道に迷いに迷って、少々焦りました。探していたポルトのホテルへの道がこれまた歩行者天国で、バイクで乗って入れないという特殊な場所だった。
地元の原チャリの若者に道案内をしてもらって、なんとかホテルに到着。それでも4番手くらいだったので、早いほうだった。 ホテルを見つけたときは、ほっとするやら、うれしいやら。
ゴール1日前の苦労もいまでは楽しい思い出の1つ。
▼ 途中で出会ったイタリア人カップル

▼ ポルトのホテル前で
似顔絵描きのジーノさん

【 ポルトとポルトガル 】
「ポルト」は首都リスボンにつぐポルトガル第2の都市で、この国の商業の中心です。紀元前8世紀頃に発祥したとされ、当初から地中海とを結ぶ重要な港町でした。
そしてドウロ川河口の街が港(Portus)の役割を持っていたことから、ここはポルタス・カーレと呼ばれ、これがポルトガルの語源となったのです。
大航海時代の先駆者エンリケ親王(航海王子)のモロッコのセウタへの攻撃もここが出発点でした。
ここから、マデイラ島を含む大西洋諸島でのサトウキビ栽培、アフリカのギニア湾への進出、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰経由のインド航路の開拓、アジアの香辛料獲得、ブラジルの領有
と続くポルトガル全盛時代の端緒が生まれました。時代とともに国土は南へ拡がり、現在の面積になりました。
ポルトガルの全てがポルトから出発したのです。
■長崎と姉妹都市
迷路のような石畳の坂の道や街の建物や風景の感じが長崎に似ているなと思って調べてみたら、ポルトと長崎市は姉妹都市でした。
◆ ポルトの夕景

エッフェルの弟子によって1886年に造られた2階建ての橋です。ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの丘の上の街と下の街をそれぞれ結んでいる。
この橋とドロウ川の風景はポルトの景観をより魅力的に見せている。
▲小舟「モリセイロ」が繋留されている。フランスからヨットできていた家族もヨットを繋留してポルト見学に出かけていた。

ブドウの果汁に航海での輸送に耐えられるようブランデーを加え、発酵を途中で止めた甘めのこのワインは「液体の宝石」と呼ばれ、 葡萄本来の自然の甘さがあり、鮮やかなルビーのような色合いが特徴です。18世紀初頭にはすでに国際的商品となっており、特にイギリス市場では七割以上も占める商品でした。
ドウロ河畔の丘にカテドラル、サンフランシスコ教会などを中心とした歴史地区と対岸を結ぶドン・ルイス1世橋、対岸の修道院が1996年にユネスコから世界遺産に登録されました。
◆◆ ポルトの夜

郷愁・哀愁などと訳されるが、ポルトの街を歩いていると、時間のながれがゆったりしていて、
昔どこかで感じたような「懐かしい」風情に出合うことができる。


▲ファドの女王アマリア・ロドリゲスが有名である。
なんとか見つけたファド・レストランだったが開店が夜の10時。散策途中の小さなレストランで、いわし料理にオリーブオイルをたっぷりかけて夕食を終え、ポルトの街をふらり、ふらり歩いて再びこのレストランへ。
ポート・ワインを注文し、ファドを聴く。雰囲気はいまいちだったが、ファドを聴けただけでよしとしよう。

またふらり、ふらりと歩いてホテルへむかう。
by yascovicci
| 2006-07-06 00:47
| 大陸横断 ポルトガル編












