山口と防府の神社参拝ハイライト
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4月19日(水)
関門大橋を越え、高杉晋作と中原中也の山口県へ。
防府の玉祖神社、防府八幡宮、山口の野田神社、豊栄神社、今八幡宮を参拝。
最後に下関で海鮮丼を食す。
▼関門大橋

◆玉祖神社
玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は、山口県防府市大崎にある神社。周防国一宮。
社伝によれば、祭神の玉祖命がこの地で亡くなったため、社殿を造営して祀ったのに始まるとされ、附近には玉祖命の墳墓と伝えられる「玉の石屋」がある。平安時代には周防国一宮として崇敬を受け、中世以降も歴代領主から崇敬された。
日本書紀によれば、景行天皇が熊襲征伐のために西行する途中、この地の神夏磯媛(かみかしひめ)を長とする一族が神器を捧げ恭順を示し、このとき天皇は玉祖神社で戦勝祈願したという。



◆防府天満宮
学問の神様としてあがめられている菅原道真を祀った「日本最初の天満宮」で、道真が亡くなった翌年である延喜2年(904年)に創建された。
京都の北野天満宮,福岡の太宰府天満宮とともに日本の三大天神といわれている。
防府市は、この天満宮を中心に栄えてきた都市であり、年間を通して天満宮の行事での来訪者が多い。
道真は学問の神とされているため、ここで筆を買ったり、受験のお守りを買う受験生や合格のお礼参りの参拝も多いという。
菅公を崇敬した高杉晋作辞世の句の碑もある。






◆野田神社
豊榮神社(とよさかじんじゃ)と野田神社(のだじんじゃ)は、山口県山口市に隣接して鎮座する神社である。
両神社は東に豊榮神社、西に野田神社と隣接する。
野田神社は長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を「毛利敬親公」として祀り、敬親の養嗣子の元徳を「毛利元徳公」として配祀する。




◆豊栄神社
戦国時代に中国地方に覇を唱え後の長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を「毛利元就公」として祀る。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの敗戦により、同年安芸国から長門国に移封された毛利輝元が、萩江向村の春日神社境内に祖父元就の霊(元就公)を祀ったのが前身である。




◆今八幡宮
野田神社の南、小高い丘にある。
今八幡宮は応神天皇の御子で、仁徳天皇の弟である宇治皇子を祀った神社だったが、大内義興が文亀3年(1503)の創建と伝えられ、大内氏が山口にきた時に応神天皇が祭神となった。
他に仲哀天皇、神功皇后、玉依姫命の三柱も合わせて祀られた。
今八幡宮は山内氏の館の鬼門(北東)に位置することで山口を守護する産土神社とされ、「山口総鎮守」の称号を与えられた。
楼門、拝殿および本殿を具備し、山口地方特有の社殿配置として有名な神社で、国の重要文化財の指定をうけている。




▼最後に下関で美味しい海鮮丼













