2017年 04月 23日
【皇宮神社】 神武天皇が皇太子即位から四十五歳まで宮居された地
|
◆皇宮神社 (こうぐうじんじゃ)
宮崎市下北町横小路
2017年4月3日(月)参拝
4月3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝。

◆皇宮屋(こぐや)
皇宮屋は、神武天皇「宮崎の宮」の皇居跡と顕彰されている。


◆皇宮神社(宮崎神宮元宮)
皇宮神社は、宮崎神宮の西北約六百米の小高い丘に鎮座する宮崎神宮の元宮である。
【御祭神】 神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)
【相殿】 吾平津姫命(あひらつひめのみこと)、手研耳命(たぎしみみのみこと)、
渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)
※吾平津姫命は、神日本磐余彦天皇の妃、手研耳命は皇子。渟名川耳命はその弟。


神武天皇は諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町狭野)で御生誕になられ、十五才にして皇太子に即かれると宮崎にお移りになり、大和地方にご出発になる四十五歳まで当地に宮居されたと云う事である。
この地は、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地か、或は行宮の跡であったのではなかろうかと思われる。仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街を縫い、実に皇居の跡に相応しい聖地である。
ご創建は不詳だが、旧社殿は弘化四年(一八四八年)六月藩費を以て再建され、明治十年三月二十一日宮崎神宮摂社に列せられている。
昭和十年十一月十四日の特別大演習の折には、昭和天皇のご巡覧があり、昭和十七年には、紀元二千六百年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立されて顕彰された。
【神武天皇ゆかりの神社】
幼少名狭野尊(さののみこと)がお生まれになった産屋があった地 →皇子原神社
幼少の狭野命を祀る神社→狭野神社
宮崎に宮をかまえる前に過ごされたとされる→駒宮神社
神武天皇が東征の際に船出されたところ→美々津の港と立磐神社
神武天皇を主祭神として祀る→宮崎神宮
◆皇宮神社






▼皇軍発祥の地の碑
昭和17年(1942年)に、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立された。
宮崎市下北町横小路
2017年4月3日(月)参拝
4月3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝。

◆皇宮屋(こぐや)
皇宮屋は、神武天皇「宮崎の宮」の皇居跡と顕彰されている。


◆皇宮神社(宮崎神宮元宮)
皇宮神社は、宮崎神宮の西北約六百米の小高い丘に鎮座する宮崎神宮の元宮である。
【御祭神】 神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)
【相殿】 吾平津姫命(あひらつひめのみこと)、手研耳命(たぎしみみのみこと)、
渟名川耳命(ぬなかわみみのみこと)
※吾平津姫命は、神日本磐余彦天皇の妃、手研耳命は皇子。渟名川耳命はその弟。


この地は、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地か、或は行宮の跡であったのではなかろうかと思われる。仰げば西方遥か高千穂の峰を望み、目を下に転ずれば大淀川の清流延々として帯の如く市街を縫い、実に皇居の跡に相応しい聖地である。
ご創建は不詳だが、旧社殿は弘化四年(一八四八年)六月藩費を以て再建され、明治十年三月二十一日宮崎神宮摂社に列せられている。
昭和十年十一月十四日の特別大演習の折には、昭和天皇のご巡覧があり、昭和十七年には、紀元二千六百年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立されて顕彰された。
【神武天皇ゆかりの神社】
幼少名狭野尊(さののみこと)がお生まれになった産屋があった地 →皇子原神社
幼少の狭野命を祀る神社→狭野神社
宮崎に宮をかまえる前に過ごされたとされる→駒宮神社
神武天皇が東征の際に船出されたところ→美々津の港と立磐神社
神武天皇を主祭神として祀る→宮崎神宮
◆皇宮神社






▼皇軍発祥の地の碑
昭和17年(1942年)に、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により皇軍発祥之地碑が建立された。

by yascovicci
| 2017-04-23 23:20
| 【神社・神宮・参拝】












