2017年 06月 18日
【武雄温泉】 「殿様湯」
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◆2017年6月10日(土)
この日は佐賀県の武雄散策
川古の大楠、塚崎の大楠を見学、そして武雄温泉「殿様湯」に入湯。
・・・そして最後に「刺身御膳」
▼武雄温泉の位置

◆武雄温泉
開湯は約1300年前である。伝説によると神功皇后が凱旋の途、太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ、たちどころに湯が湧き出たと言われており、よって昔は柄崎温泉と呼ばれていた。また、蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉とも呼ばれていたという。 また、嬉野と同じく、この武雄も「肥前国風土記」にその名が登場する。
武雄温泉の歴史は古く、1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中にも「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と登場し、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている。また、朝鮮出兵の際、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れたので、兵士に対して地元の入浴客に迷惑をかけないようにと、豊臣秀吉が示した朱印状「入浴心得」が残されている。
江戸時代は街道の宿場町としても栄え、幕末には長崎を往来した勤皇志士や文人らが盛んにこの湯を訪れたという。著名な人物を挙げると、佐賀藩城主の鍋島氏、江戸時代初期には伊達政宗、宮本武蔵が、また幕末にはシーボルト、吉田松陰らが入湯したといわれる名湯である。
アルカリ性単純温泉でサラッとしている泉質は、無色透明で疲労回復に抜群の効果があると言われる。













◆これが「殿様湯」







◆湯上りで寛ぐ・・









◆そして最後に「刺身御膳」を食す





この日は佐賀県の武雄散策
川古の大楠、塚崎の大楠を見学、そして武雄温泉「殿様湯」に入湯。
・・・そして最後に「刺身御膳」
▼武雄温泉の位置

◆武雄温泉
開湯は約1300年前である。伝説によると神功皇后が凱旋の途、太刀の柄(つか)で岩を一突きしたところ、たちどころに湯が湧き出たと言われており、よって昔は柄崎温泉と呼ばれていた。また、蓬莱山の麓に湧くことから蓬莱泉とも呼ばれていたという。 また、嬉野と同じく、この武雄も「肥前国風土記」にその名が登場する。
武雄温泉の歴史は古く、1300年も前に書かれた「肥前風土記」の中にも「郡の西の方に温泉の出る巌(いわや)あり、・・・」と登場し、古くは神功皇后も入浴されたと伝えられている。また、朝鮮出兵の際、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れたので、兵士に対して地元の入浴客に迷惑をかけないようにと、豊臣秀吉が示した朱印状「入浴心得」が残されている。
江戸時代は街道の宿場町としても栄え、幕末には長崎を往来した勤皇志士や文人らが盛んにこの湯を訪れたという。著名な人物を挙げると、佐賀藩城主の鍋島氏、江戸時代初期には伊達政宗、宮本武蔵が、また幕末にはシーボルト、吉田松陰らが入湯したといわれる名湯である。
アルカリ性単純温泉でサラッとしている泉質は、無色透明で疲労回復に抜群の効果があると言われる。








◆武雄散策の最後は殿様気分
【武雄温泉】の「殿様湯」をゆっくり貸切で味わう・・・
◆ 武雄温泉の「殿様湯」へ
透明で柔らかな湯ざわりが特徴の武雄温泉は1300年の歴史ある温泉。 泉質はさまざまな成分が程よく入った弱アルカリ単純泉。保温性に優れ、肌になじんでしっとりすることから、昔から「美人の湯」と呼ばれている。
「殿様湯」は江戸時代中期、領主 武雄鍋島氏の専用風呂として造られた総大理石の見事な風呂。「江戸散歩紀行」には、武雄を訪れたシーボルトが殿様湯に入浴した様子が紹介されているという。
◆ 武雄温泉の「殿様湯」へ
透明で柔らかな湯ざわりが特徴の武雄温泉は1300年の歴史ある温泉。 泉質はさまざまな成分が程よく入った弱アルカリ単純泉。保温性に優れ、肌になじんでしっとりすることから、昔から「美人の湯」と呼ばれている。
「殿様湯」は江戸時代中期、領主 武雄鍋島氏の専用風呂として造られた総大理石の見事な風呂。「江戸散歩紀行」には、武雄を訪れたシーボルトが殿様湯に入浴した様子が紹介されているという。





◆これが「殿様湯」







◆湯上りで寛ぐ・・









◆そして最後に「刺身御膳」を食す






by yascovicci
| 2017-06-18 23:51
| 【温泉巡り・日帰り温泉】












