【石貫神社】 大山祇命(木花咲耶姫の父)を祀る。創建は天平五年
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宮崎県西都市大字三宅
2017年4月4日(火)参拝
4月3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、
佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社 を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、大山祇陵、船引神社参拝、清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝日神社を参拝。

◆石貫神社・由緒
当社は古くは日能若宮又は石貫大明神と称し、創建は天平五年(733)と伝える。社地は創建時の記録『日能若宮元元由来記』によれば、「大山祇命」(中略)阿佐久良山[木患]木原五百世山元筑波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺跡と伝える。往時は、社殿、境内、宏壮森厳で、真に筑波御殿の名に背かざるものであった。弘治二年(1556)六月の『古帳神社知行目録』によれば、神田十二町一反歩を有し、応永二十四年(1417)社殿改修に当たり神饌田が加増され、以来応永二十五年、二十六年、二十七年、永享二年(1430)等、幾度に渡り神饌田の増加の記録が現存する。しかし天正十五年(1587)豊臣秀吉、島津出兵の際、羽柴秀長、兵を率いて都於郡に陣営した時、当時の石貫神社の祠官が軍令に従わなかった事によって社地は没収された。
石貫神社の名は、大山祇命の娘の木花咲耶媛を嫁にほしいと云って来た鬼に、一夜で石造の館を造ればと命じた。鬼は夜明けまでに造ったが、大山祇命は窟の石一個を抜き取り、東の谷に投げ、未完成とした。これで鬼の要求をはねつけたと云うことによると伝わる。
【御祭神】 大山祇命(おおやまつみのみこと)
◆ 途中の風景





◆石貫神社に到着

▼石貫神社の鬼の像

▼記紀の道 「石貫神社」の説明板。

▼石貫神社の石
木花咲耶姫コノハナサクヤ姫の父神大山祇命が、鬼の求婚を断るために、鬼が一夜で作った窟(いわや)から抜き去った「石」と言われている。 石貫神社の一の鳥居のそばに安置してある。

◆石貫神社の参道と鳥居





◆石貫神社・拝殿
【御祭神】 大山祇命(おおやまつみのみこと







◆石貫神社・本殿




















