2017年 07月 01日
【八幡朝見神社】 別府温泉の総鎮守
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◆八幡朝見神社 (はちまんあさみ じんじゃ)
大分県別府市朝見
2017年4月4日(火)参拝
4月3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、
佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社 を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、石貫階段と大山祇陵、船引神社の清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝見神社を参拝。

◆八幡朝見神社の由緒
八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建された。
創建から800年を越える古社である。
豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志した。家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着した。
能直公は龍ヶ岡に社地を定め十月九日御鎮座申し上げた。現在の乙原の地であり、豊後八幡宮七社の一である。 鶴岡八幡宮の社家、福田土佐守源高政が神輿の供をして着任すると、能直公は高政を神主とし、子孫相継ぐ。その後、真応二葵未年(一二二三)、福田をあらためて神(こう)と称し現在にいたっている。守護職大友氏の歴代の尊崇厚く、この年大友親秀公は朝見庄のうち千三百石を神領に寄進している。
正平三年(一三四八)鶴見山噴火の災いがあり社地等が崩壊したので、現在の朝見の地へと御遷座した。慶長三年(一五九八)別府湾に震災が起こり、久光島陥没などの変事と共に、御本殿や什宝旧記の多くが壊滅したといわれている。 寛文十年(一六七〇)に社殿が再興され、元禄九年(一六九六)御神殿と楽堂が新築、同年四月晦日に還宮の祭事が斎行された。文化十一年(一八一四)には拝殿と回廊が造営された。慶応四年(一八六八)、明治新政府の神仏分離令により神仏を分離した。
戦後、温泉神社を合祀して、名実ともに別府温泉の総鎮守となった。平成八年(一九九六)の御創建八百年を記念し八幡臺(ばはんだい)や三の宮(光の宮、匂の宮、秋の宮)、朝見文庫が新設された。 八幡朝見神社は、別府市民はもとより全国から訪れる観光客の尊崇の的となっている。 (八幡朝見神社HPより)

【ご祭神】
●大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)
●誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)
●足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
●気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
●大歳神(おおとしのかみ、農耕・水の神)
大分県別府市朝見
2017年4月4日(火)参拝
4月3日、4日と記紀ゆかりの神社参拝へ。
3日は宮崎の木花神社、住吉神社、田元神社、小戸神社、皇宮神社、高屋神社、
佐野原神社、巨田神社、銀鏡神社 を参拝、西米良温泉に泊まる。
4日は石貫神社、石貫階段と大山祇陵、船引神社の清武の大クスを見学のあと、佐賀関の海鮮丼を食し、早吸日女神社を参拝。大分の西寒多神社、別府の八幡朝見神社を参拝。

◆八幡朝見神社の由緒
八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)十月九日に、大友能直公により御創建された。
創建から800年を越える古社である。
豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志した。家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着した。
能直公は龍ヶ岡に社地を定め十月九日御鎮座申し上げた。現在の乙原の地であり、豊後八幡宮七社の一である。 鶴岡八幡宮の社家、福田土佐守源高政が神輿の供をして着任すると、能直公は高政を神主とし、子孫相継ぐ。その後、真応二葵未年(一二二三)、福田をあらためて神(こう)と称し現在にいたっている。守護職大友氏の歴代の尊崇厚く、この年大友親秀公は朝見庄のうち千三百石を神領に寄進している。
正平三年(一三四八)鶴見山噴火の災いがあり社地等が崩壊したので、現在の朝見の地へと御遷座した。慶長三年(一五九八)別府湾に震災が起こり、久光島陥没などの変事と共に、御本殿や什宝旧記の多くが壊滅したといわれている。 寛文十年(一六七〇)に社殿が再興され、元禄九年(一六九六)御神殿と楽堂が新築、同年四月晦日に還宮の祭事が斎行された。文化十一年(一八一四)には拝殿と回廊が造営された。慶応四年(一八六八)、明治新政府の神仏分離令により神仏を分離した。
戦後、温泉神社を合祀して、名実ともに別府温泉の総鎮守となった。平成八年(一九九六)の御創建八百年を記念し八幡臺(ばはんだい)や三の宮(光の宮、匂の宮、秋の宮)、朝見文庫が新設された。 八幡朝見神社は、別府市民はもとより全国から訪れる観光客の尊崇の的となっている。 (八幡朝見神社HPより)

【ご祭神】
●大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)
●誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)
●足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
●気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
●大歳神(おおとしのかみ、農耕・水の神)
その後別府神社の総鎮主となったことで迦具土命(かぐつちのみこと、火の神)、大穴牟遅命(おおなむちのみこと、国土づくりの神)、少彦名命(すくなひこなのみこと、医の神、薬の神)もご祭神となった。
◆八幡朝見神社・参道









◆萬太郎清水
「朝見の祠に詣づ、祠の西数町に井水有り、石間に出づ。茶に宜しと相伝え、里中第一と為す。山を下り長松寺に至り、瓶を洗ひ、石井の水を試む。果して佳し。・・・」と、かの画聖・田能村竹田も書きのこしているように、その味を古来より、煎茶の水としても粋人にもてはやされた萬太郎清水。いかなる干ばつにも涸れることなく、長雨にも濁らず、常に湧きつづける御神水。名前の由来は、不治の病の父親が孝行息子萬太郎が汲んできた朝見の清水を飲むと、たちまち全快したという伝説による。
表参道側と裏参道側の2ヶ所に「萬太郎清水」がある。




◆夫婦杉(一名 門杉)
表参道の階段を登ると、門のように二本のスギの巨木が空へと並んで伸びている。まるで寄り添うように、しかも、まっすぐ凛としているその様子から「夫婦杉」と呼ばれ親しまれてきた。
この二本のスギの下を二人で通り抜けると結ばれるという言い伝えで親しまれている。






◆朝見八幡臺(ばはんだい)
御創建八百年記念事業のなかでも最大の事業がこの「八幡臺」の御造営。拝殿前の参詣広場につながる大舞台で、清水の舞台を思わせる。
丹塗りの欄干が鮮やかで脚高5.8m、広さ300平方m。
別府の市街地や別府湾、さらには四国・国東半島まで一望でき、音楽会や各種の催しなど市民のステージにもなっている。







◆八幡朝見神社・拝殿
【ご祭神】
●大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)
●誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)
●足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
●気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
●大歳神(おおとしのかみ、農耕・水の神)




























◆八幡朝見神社・参道









◆萬太郎清水
「朝見の祠に詣づ、祠の西数町に井水有り、石間に出づ。茶に宜しと相伝え、里中第一と為す。山を下り長松寺に至り、瓶を洗ひ、石井の水を試む。果して佳し。・・・」と、かの画聖・田能村竹田も書きのこしているように、その味を古来より、煎茶の水としても粋人にもてはやされた萬太郎清水。いかなる干ばつにも涸れることなく、長雨にも濁らず、常に湧きつづける御神水。名前の由来は、不治の病の父親が孝行息子萬太郎が汲んできた朝見の清水を飲むと、たちまち全快したという伝説による。
表参道側と裏参道側の2ヶ所に「萬太郎清水」がある。




◆夫婦杉(一名 門杉)
表参道の階段を登ると、門のように二本のスギの巨木が空へと並んで伸びている。まるで寄り添うように、しかも、まっすぐ凛としているその様子から「夫婦杉」と呼ばれ親しまれてきた。
この二本のスギの下を二人で通り抜けると結ばれるという言い伝えで親しまれている。






◆朝見八幡臺(ばはんだい)
御創建八百年記念事業のなかでも最大の事業がこの「八幡臺」の御造営。拝殿前の参詣広場につながる大舞台で、清水の舞台を思わせる。
丹塗りの欄干が鮮やかで脚高5.8m、広さ300平方m。
別府の市街地や別府湾、さらには四国・国東半島まで一望でき、音楽会や各種の催しなど市民のステージにもなっている。







◆八幡朝見神社・拝殿
【ご祭神】
●大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、仁徳天皇)
●誉田別命(ほむだわけのみこと、応神天皇)
●足仲彦命(たらしなかつひこのみこと、仲哀天皇)
●気長足姫命(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
●大歳神(おおとしのかみ、農耕・水の神)




























by yascovicci
| 2017-07-01 15:49
| 【神社・神宮・参拝】












