【松森神社】 菅原道真を祀る天満宮で、長崎三社のひとつ
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長崎県長崎市上西山町4-3
2017年4月24日(月)参拝

◆松の森通り
諏訪神社の参道の4つ目の鳥居を上がった所から右に曲がった通り。
5、6分歩くと、突き当たりに松森神社の正門がある。


◆長崎歴史探訪路の碑

▼ラナルド・マクドナルドと森山栄之助
ラナルド・マクドナルドは、英領時代のカナダで生まれたメティ(西洋人と原住民の混血)の船員、冒険家。鎖国時代の1848年に、アメリカの捕鯨船から小船で日本に密入国し、約10か月間滞在した。長崎では日本人通詞たちの英語学習を助け、日本初の母語話者による公式の英語教師になった。
森山栄之助は、文政3年(1820年)、長崎に生まれる。家は代々オランダ通詞を務めていた。英語が話せたことから、偽装漂着のアメリカ捕鯨船船員のラナルド・マクドナルドの取り調べに当たり、英語の母語話者であるマクドナルドから本格的に英語を学び、蘭・英2カ国語を使いこなせる通詞として活躍する。嘉永3年()には「エゲレス語和解」の編集に従事し、嘉永6年(1853年)のプチャーチン来航の際は川路聖謨の通詞として活躍する。また、オランダの地図に樺太の日露国境が北緯50度線となっていることを発見する。これが、日本の対露国境の根拠となる。嘉永7年(1854年)のマシュー・ペリー来航の際も通訳を務め、その後江戸小石川に英語塾を開く。文久2年(1862年)には開港延期問題で渡欧した竹内保徳遣欧使節団の通訳として、オールコックと同船でイギリスに赴き、使節一行とロンドンで合流する。その後、各国を巡り帰国。帰国後は通弁役頭取、外国奉行支配調役などを歴任すると共に、万延元年(1860年)の大統領への英文書の作成にも活躍する。


◆松森神社
諏訪神社の参道の石段の4つ目の鳥居を上がった所から右に曲がった場所にある松森神社は、諏訪神社、伊勢宮と共に長崎三社のひとつ。菅原道真を祀る天満宮で、長崎の学問の神様として古くから人々に親しまれてきた。
はじめは現在の今博多町に創建され、明暦2(1656)、当時諏訪神社が置かれていたこの場所に移された。“松森”の社名は、ここに生えていた3株の松が由来していて、3つの木を併せると森の字になるから と言い伝えられている。
現在、当時の松の木は残されていないが、境内には樹勢のいい美しい7本のクスノキの巨木が点在している。また、天満宮ならではの梅の木も数多くあり、1月下旬から紅梅が咲きはじめ、白梅と共に2月上旬まで美しい花を鑑賞できる。
▼正門





▼松森天満宮の案内




▼手水舎





◆拝殿

▼天満宮に付き物の臥牛像







◆正殿と職人尽(しょくにんづくし)
正殿を囲む瑞籬(みずがき)の欄間には、30種類の職人の作業の様子を描いた浮き彫りが並んでいる。職人尽(しょくにんづくし)と呼ばれている。
本殿の神霊の宿る場所の周囲に木をめぐらした瑞籬(みずかき)と呼ばれる垣の欄間に中世職人風俗を彫刻し、彩色した鏡板をはめ込んだ30枚の職人尽が彫られてる。
これは正徳3年(1713)、社殿の改修が行われた際に奉納されたものらしい。







◆杉森神社のクスノキ群










◆境内社



















