ギリシア神話 (1)
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ギリシア神話(ギリシア語: ΜΥΘΟΛΟΓΊΑ ΕΛΛΗΝΙΚΉ)は、古代ギリシアより語り伝えられる伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語である。ギリシャ神話とも言う。

古代ギリシア市民の教養であり、さらに古代地中海世界の共通知識でもあったが、現代では、世界的に広く知られており、ギリシャの小学校では、ギリシャ人にとって欠かせない教養として、歴史教科の一つになっている。
ギリシア神話は、ローマ神話の体系化と発展を促進した。プラトーン、古代ギリシアの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の一つとなった。中世においても神話は伝承され続け、その後のルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、ギリシア神話は霊感の源泉であった。
概説
口承
今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。当時のヘレネス(古代ギリシア人による彼ら自身の呼称)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた。
しかし当時の人々のなかで、特に、どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを語り広めたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する真実の知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった。そのため、ホメーロス等の作品においては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた。
口承から文字記録へ
口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的にまとめたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである[注釈 4]。彼が歌った『神統記』においても、その冒頭には、ヘリコン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っており、ヘーシオドスは現存する文献のなかでは初めて系統的に神々の系譜と、英雄たちの物語を伝えた。このようにして、彼らの時代、すなわち紀元前9世紀から8世紀頃に、「体系的なギリシア神話」がギリシア世界において成立したと考えられる。
それらの神話体系は地域ごとに食い違いや差異があり、伝承の系譜ごとに様々なものが未だ渾然として混ざり合っていた状態であるが、オリュンポスを支配する神々が誰であるのか、代表的な神々の相互関係はどのようなものであるのか、また世界や人間の始源に関し、どのような物語が語られていたのか、などといったことは、ギリシア世界においてほぼ共通した了解のある、ひとつのシステムとなって確立したのである。
しかし、個々の神や英雄が具体的にどのようなことを為し、古代ギリシアの国々にどのような事件が起こり、それはどういう神々や人々・英雄と関連して、どのように展開し、どのような結果となったのか。これらの詳細や細部の説明・描写などは、後世の詩人や物語作者などの想像力が、ギリシア神話の壮麗な物語の殿堂を飾ると共に、複雑で精妙な形姿を構成したのだと言える。
次いで、ギリシア悲劇の詩人たちが、ギリシア神話に奥行きを与えると共に、人間的な深みをもたらし、神話をより体系的に、かつ強固な輪郭を持つ世界として築き上げて行った。ヘレニズム期においては、アレクサンドリア図書館の司書で詩人でもあったカルリマコスが膨大な記録を編集して神話を肉付けし、また同じく同図書館の司書であったロドスのアポローニオスなどが新しい構想で神話物語を描いた。ローマ帝政期に入ってからも、ギリシア神話に対する創造的創作は継続していき、紀元後1世紀の詩人オウィディウス・ナーソの『変身物語』が新しい物語を生み出し、あるいは再構成し、パウサニアスの歴史的地理的記録やアプレイウスの作品などがギリシア神話に更に詳細を加えていった。
体系的記述
紀元前8世紀のヘーシオドスの『神統記』は、ギリシア神話を体系的に記述する試みのさきがけである。ホメーロスの叙事詩などにおいて、聴衆にとっては既知のものとして、詳細が説明されることなく言及されていた神々や、古代の逸話などを、ヘーシオドスは系統的に記述した。『神統記』において神々の系譜を述べ、『仕事と日々』において人間の起源を記し、そして現在は断片でしか残っていない『名婦列伝』において英雄たちの誕生を語った。
このような試みは、紀元前6世紀から5世紀頃のアルゴスのアクーシラーオスやレーロスのペレキューデースなどの記述にも存在し、現在は僅かな断片しか残っていない彼らの「系統誌」は、古代ギリシアの詩人や劇作家、あるいはローマ時代の物語作家などに大きな影響を与えた。
古代におけるもっとも体系的なギリシア神話の記述は、紀元後1世紀頃と考えられるアポロドーロスの『ギリシャ神話』(3巻16章+摘要7章)である。この体系的系統本は、紀元前5世紀以前の古典ギリシアの筆者の文献等を元にギリシア神話が纏められており、オウィディウスなどに見られる、ヘレニズム化した甘美な趣もある神話とは、まったく異質で荒々しく古雅な神話系譜を記述していることが特徴である。
神話の資料
文献資料と著者
ホメーロス以前の古代ギリシアには文字がなかった訳ではなく、ミュケーナイ時代にすでに線文字Bが存在していたが、暗黒時代においてこの文字の記憶は失われた。しかし紀元前8世紀頃より、フェニキア文字を元に古代ギリシア文字が生まれる。ギリシア神話は基本的にはこの文字で記録された。また後にはローマの詩人・文学者がラテン語によってギリシア神話を記述した。
- 古代ギリシア詩
- 系譜学者たち(紀元前6世紀 - 紀元前5世紀頃)
- アルゴスのアクーシラーオス [著作は散逸]
- レーロスのペレキューデース[著作は散逸]
- 古典劇作家詩人
- 古典悲劇詩人
- アイスキュロス(紀元前525年頃 - 紀元前456年)
- ソポクレース(紀元前496年頃 - 紀元前406年)
- 『アイアース』『アンティゴネー』『オイディプース王』『エーレクトラー』『コローノスのオイディプース』
- エウリーピデース(紀元前480年頃 - 紀元前406年)
- 古典喜劇詩人
- アリストパネース(紀元前448年頃 - 紀元前380年)
- 歴史学者
- ヘレニズム期
- カッリマコス(紀元前310年頃 - 紀元前240年頃) - 詩人、アレクサンドレイア図書館司書、文献学者
- ロドスのアポローニオス(紀元前295年?/270年頃 - 紀元前215年)
- 詩人、アレクサンドレイア図書館司書、『アルゴナウティカ』(全4巻)
- シケリアのディオドロス(紀元前1世紀頃) - 『歴史叢書』(全40巻、うち15巻が伝存)
- ローマ帝政期
考古学的資料
ギリシア神話のありようを知るには、近代になって発達した考古学が大きな威力を発揮した。考古学では古代の遺跡が発掘され研究された。
これらの遺跡において、装飾彫刻や彫像、神々や人物が描かれ彩色された古壺や皿などが見つかった。考古学者や神話学者は、彫刻の姿や様式、古壺や皿に描かれた豊富な絵を分析して、これらがギリシア神話で語られる物語の場面や出来事、神や英雄の姿を描いたものと判断した。それらの絵図は意味を含んでおり、(学者によって解釈が分かれるとしても)ここから神話の物語を読み取ることが可能であった。
他方、発掘により判明した考古学的知見は、文献に記されていた事象が実際に存在したのか、記述が妥当であったのかを吟味する史料としても重要であった。更に、文献の存在しない時代についての知識を提供した。19世紀末にドイツのハインリヒ・シュリーマンは、アナトリア半島西端のヒッサルリクの丘を発掘し、そこに幾層もの都市遺跡と火災で滅びたと考えられる遺構を発見してこれをトロイア遺跡と断定した。彼はまたギリシア本土でも素人考古学者として発掘を行い、ミュケーナイ文化の遺構を見いだした。
20世紀に入って以降、アーサー・エヴァンズはより厳密な発掘調査をトロイア遺跡に対し行った。またクレータ島で見いだされていたクノーソスなど、文明の遺跡の発掘も行われ、ここで彼は三種類の文字(絵文字、線文字Aと線文字B)を発見した。線文字Bは間もなく、ギリシア本土のピュロスやティーリュンスでも使用されていたことが見いだされた。20世紀半ばになって、マイケル・ヴェントリスがジョン・チャドウィックの協力のもと、この文字を解読し、記されているのがミケーネ語であることを確認すると共に、内容も明らかにした。それらはホメーロスがうたったトロイア戦争の歴史的な像を復元する意味を持った[18]。また数々の英雄たちの物語のなかには、紀元前15世紀に遡るミュケーナイ文化に起源を持つものがあることも、各地の遺跡の発掘研究を通じて確認された。
構成
ギリシア神話は、以下の三種の物語群に大別できる。
第一の「世界の起源」を物語る神話群は、分量的には短く、主に三つの系統が存在する(ヘーシオドスが『神統記』で記したのは、主として、この「世界の起源」に関する物語である)。
第二の「神々の物語」は、世界の起源の神話と、その前半において密接な関連を持ち、後半では、英雄たちの物語と絡み合っている。英雄たちの物語において、人間の運命の背後には神々の様々な思惑があり、活動が行われ、それが英雄たちの物語にギリシア的な奥行きと躍動を与えている。
第三の「英雄たちの物語」は、分量的にはもっとも大きく、いわゆるギリシア神話として知られる物語や逸話は、大部分がこのカテゴリーに入る。この第三のカテゴリーが膨大な分量を持ち、夥しい登場人物から成るのは、日本における神話の系統的記述とも言える『古事記』や、それに並行しつつ歴史時代にまで記録が続く『日本書紀』がそうであるように、古代ギリシアの歴史時代における王族や豪族、名家と呼ばれる人々が、自分たちの家系に権威を与えるため、神々や、その子である「半神」としての英雄や、古代の伝説的英雄を祖先として系図作成を試みたからだとも言える。
神話的英雄や伝説的な王などは、膨大な数の子孫を持っていることがあり、樹木の枝状に子孫の数が増えて行く例は珍しいことではない。末端の子孫となると、ほとんど具体的エピソードがなく、単なる名前の羅列になっていることも少なくない。
しかし、このように由来不明な多数の名前と人物の羅列があるので、歴史時代のギリシアにおける多少とも名前のある家柄の市民は、自分は神話に記載されている誰それの子孫であると主張できたとも言える。ウェルギリウスの『アエネーイス』が、ローマ人の先祖をトロイエー戦争にまで遡らせているのは明らかに神話的系譜の捏造であるが、これもまた、広義にはギリシア神話だとも言える(正確には、ギリシア神話に接続させ、分岐させた「ローマ神話」である)。ウェルギリウスは、ギリシア人自身が、古代より行なって来たことを、紀元前1世紀後半に、ラテン語で行なったのである。
神話1:世界の始まり
古代ギリシア人は他の民族と同様に、世界は原初の時代より存在したものであるとの素朴な思考を持っていた。しかし、ゼウスを主神とするコスモス(秩序宇宙)の観念が成立するにつれ、おのずと哲学的な構想を持つ世界の始原神話が語られるようになった。それらは代表的に四種類のものが知られる(ただし、2と3は、同じ起源を持つことが想定される)。
神々の系譜や人間の起源などを系統的な神話に纏めあげたヘーシオドスは、『神統記』において二つの主要な起源説を伝えている。
- ヘーシオドスは古代オリエントなどの神話の影響を受けたと考えられ、後に「混沌」と解釈されるカオスが最初に存在したとしている。ただし、彼はカオスを混沌の意味では使っていない。それは空隙であり、カズムとも呼ばれる[22]。その後、大地(ガイア)が万物の初源としてカオスのなかに存在を現し、天(ウーラノス)との交わりによって様々な神々を生み出したとされる。ウーラノス、クロノス、そしてゼウスにわたる三代の王権の遷移がここで語られることになる。
- 他方、ヘーシオドスは、上記とは起源が異なると考えられる、自然哲学的構想を備えた世界の始源神話を同じ『神統記』においてうたっている。胸広きガイアが存在し、それと共に、地下の幽冥タルタロスと何よりも美しいエロース(愛)が生まれたとする。原初にエロースが生まれたとするのは、オルペウス教の始原神話に通じている。エロースは生殖にあって大きな役割を果たし、それ故、愛が最初に存在したとする。
- 第三の宇宙観は哲学的・宗教的に体系化されていたと考えられ、オルペウス教が基盤を置いた、あるいはこの宗教が提唱した世界の初源神話である。オルペウス教は多様な神話を持っており、断片的な複数の文書が伝える内容には異同がある。その特徴としては、原初に水や泥があり、大地(ガイア)も存在し、クロノス=時 Chronos(ウーラノスの子のクロノス Kronos とは異なる)やエロースが原初にあった。そして「原初の卵」が語られ、他のギリシア神話では語られない、パネース(Φανης)あるいはプロートゴノス(Πρωτογονος)が存在したとする。
- 以上に挙げた世界の始原神話以外に、第四のものとして、ホメーロスが『イーリアス』でうたっている、より古く単純とも言える始原についての神話がある。それは万物のはじめにオーケアノス(海洋・外洋の流れ)が存在したという神話で、彼と共に妻テーテュースが存在したとされる。この両神の交わりより、多数の神や世界の要素が生み出されて来たとする。これは素朴な神話で、海岸部の住民が信じていた始原神話と考えられる。
自然哲学的な始原の神々
ヘーシオドスがうたう第二の自然哲学的な世界創造と諸々の神の誕生は、自然現象や人間における定めや矛盾・困難を擬人的に表現したものとも言える。このような形の神々の誕生の系譜は、例えば日本神話(『古事記』)にも見られ、世界の文化で広く認められる始原伝承である。『神統記』に従うと、次のような始原の神々が誕生したことになる。
まず既に述べた通り、カオス(空隙)と、そのうちに存在する胸広きガイア(大地)、そして暗冥のタルタロスと最も美しい神エロースである。ガイアより更に、幽冥のエレボス(暗黒)と暗きニュクス(夜)が生じた。ガイアはまた海の神ポントスを生み、ポントスから海の老人ネーレウスが生まれた。またポントスの息子タウマースより、イーリス(虹)、ハルピュイアイ、そしてゴルゴーン三姉妹等が生まれた。
一方、ニュクスよりはアイテール(高天の気)とヘーメラー(昼)が生じた。またニュクスはタナトス(死)、ヒュプノス(睡眠)、オネイロス(夢)、そして西方の黄金の林檎で著名なヘスペリデス(ヘスペリス=夕刻・黄昏の複数形)を生み出した。更に、モイライ(運命)、ネメシス(応報)、エリス(闘争・不和)なども生みだし、この最後のエリスからは、アーテー(破滅)を含む様々な忌まわしい神々が生まれたとされる。
神話2:オリュンポス以前
ゼウスの王権が確立し、やがてオリュンポス十二神を中心としたコスモス(秩序)が世界に成立する。しかし、このゼウスの王権確立は紆余曲折しており、ゼウスは神々の王朝の第三代の王である。
最初に星鏤めるウーラノス(天)がガイア(大地)の夫であり、原初の神々の父であり、神々の王であった。しかしガイアは、生まれてくる子らの醜さを嫌ってタルタロスに幽閉した夫、ウーラノスに恨みを持った。ウーラノスの末息子であるクロノスがガイアにそそのかされて、巨大な鎌を振るって父親の男根を切り落とし、その王権を簒奪したとされる。このことはヘーシオドスがすでに記述していることであり、先代の王者の去勢による王権の簒奪は神話としては珍しい。これはヒッタイトのフルリ人の神話に類例が見いだされ、この神話の影響があるとも考えられる。
クロノスとティーターン神
ウーラノスより世界の支配権を奪ったクロノスは、第二代の王権を持つことになる。クロノスはウーラノスとガイアが生んだ子供たちのなかの末弟であり、彼の兄と姉に当たる神々は、クロノスの王権の下で、世界を支配・管掌する神々となる。とはいえ、この時代にはまだ、神々の役割分担は明確でなかった。クロノスの兄弟姉妹たちはティーターンの神々と呼ばれ、オリュンポス十二神に似て、主要な神々は「ティーターンの十二の神」と呼ばれる。
これらのティーターンの十二の神としては、通常、次の神々が挙げられる。まず1)主神たるクロノス、2)その妻である女神レアー、3)長子オーケアノス、4)コイオス、5)ヒュペリーオーン、6)クレイオス、7)イーアペトス、8)女神テーテュース、9)女神テミス(法)、10)女神ムネーモシュネー(記憶)、11)女神ポイベー、12)女神テイアーである。アポロドーロスは女神ディオーネーをクロノスの姉妹に挙げているが、この名はゼウスの女性形であり、女神の性格には諸説がある。
ティーターンにはこれ以外にも、子孫が多数存在した。後にティーターンはオリュンポス神族に敗れ、タルタロスに落とされるが、全員が罰を受けた訳ではない。広義のティーターンの一族には、イーアペトスの子であるアトラース、プロメーテウス、エピメーテウスや、ヒュペリーオーンの子であるエーオース(暁)、セレーネー(月)、ヘーリオス(太陽)などがいた。
神々の王クロノスはしかし、母ガイアと父ウーラノスから呪いの予言を受ける。クロノス自身も、やがて王権をその息子に簒奪されるだろうというもので、クロノスはこれを怖れて、レアーとのあいだに生まれてくる子供をすべて飲み込む。レアーはこれに怒り、密かに末子ゼウスを身籠もり出産、石を産着にくるんで赤子と偽りクロノスに渡した。
オリュンポス神の台頭と勝利
ゼウスが成年に達すると、彼は父親クロノスに叛旗を翻し、まずクロノスに薬を飲ませて彼が飲み込んでいたゼウスの姉や兄たちを吐き出させた。クロノスは、ヘスティアー、デーメーテール、ヘーラーの三女神、そして次にハーデースとポセイドーン、そしてゼウスの身代わりの石を飲み込んでいたので、順序を逆にしてこれらの石と神々を吐き出した。
ゼウスたち兄弟姉妹は力を合わせてクロノスとその兄弟姉妹たち、すなわちティーターンの一族と戦争を行った。これをティーターノマキアー(ティーターンの戦争)と呼ぶ。ゼウス、ハーデース、ポセイドーンの三神はティーターノマキアーにおいて重要な役割を果たし、特にゼウスは雷霆を投げつけて地球や全宇宙、そしてその根源であるカオスまでも焼き払い、ティーターンたちに大打撃を与え、勝利した[22]。その後ティーターン族をタルタロスに幽閉し、百腕巨人(ヘカトンケイレス)を番人とした。こうして勝利したゼウスたちは互いにくじを引き、その結果、ゼウスは天空を、ポセイドーンは海洋を、ハーデースは冥府をその支配領域として得た。
しかしガイアはティーターンをゼウスたちが幽閉したことに怒り、ウーラノスと交わって、ギガース(巨人)たちを生み出した。ギガースたち(ギガンテス)は巨大な体と獰猛な気性を備え、彼らは大挙してゼウスたちの一族に戦いを挑んだ。ゼウスたちは苦戦するが、シシリー島をギガースの上に投げおろすなど、激しい争いの末にこれを打破した。これらの戦いをギガントマキアー(巨人の戦争)と呼称する。
しかし、ガイアはなお諦めず、更に怒ってタルタロスと交わり、怪物テューポーンを生み出した。テューポーンは灼熱の噴流で地球を焼き尽くし、天に突進して全宇宙を大混乱の渦に叩き込むなど、圧倒的な強さを誇ったが、オリュンポス神族の連携によって遂に敗北し滅ぼされた[36]。
かくして、ゼウスの王権は確立した。
神話3:オリュンポスの世界
神々は、ホメーロスによれば、オリュンポスの高山に宮敷居まし、山頂の宮殿にあって、絶えることのない饗宴で日々を過ごしているとされる。神々は不死であり、神食(アムブロシアー)を食べ、神酒(ネクタル)を飲んでいるとされる。
十二の神々
ゼウスの王権の下、世界の秩序の一部をそれぞれ管掌するこれらの神々は、オリュンポスの神々とも呼ばれ、その主要な神は古くから「十二の神」(オリュンポス十二神)として人々に把握されていた。十二の神は二つの世代に分かれ、クロノスとレアーの息子・娘(ゼウスの兄弟姉妹)に当たる第一世代の神々と、ゼウスの息子・娘に当たる第二世代の神々がいる。
時代と地方、伝承によって、幾分かの違いがあるが、主要な十二の神は、第一世代の神、1)秩序(コスモス)の象徴でもある神々の父ゼウス、2)ヘーラー女神、3)ポセイドーン、4)デーメーテール女神、5)ヘスティアー女神の5柱に、第二世代の神として、6)アポローン、7)アレース、8)ヘルメース、9)ヘーパイストス、10)アテーナー女神、11)アプロディーテー女神、12)アルテミス女神の7柱である。また、ヘスティアーの代わりに、ディオニューソスを十二神とする場合がある。ハーデースとその后ペルセポネーは、地下(クトニオス)の神とされ、オリュンポスの神ではないが、主要な神として、十二神のなかに数える場合がある。
それぞれの神は、崇拝の根拠地を持つのが普通で、また神々の習合が起こっているとき、広範囲にわたる地方の神々を取り込んだ神は、多くの崇拝の根拠地を持つことにもなる。アテーナイのパルテノン神殿小壁には、十二の神の彫像が刻まれているが、この十二神は、上記の一覧と一致している(ディオニューソスが十二神に入っている)。
オリュンポスの神々 1
オリュンポスを代表する十二の神と地下の神ハーデース等以外にも、オリュンポスの世界には様々な神々が存在する。彼らはオリュンポスの十二神や他の有力な神が、エロースの力によって互いに交わることによって生まれた神である。また、広義のティーターンの一族に属する者にも、オリュンポスの一員として神々の席の一端を占め、重要な役割を担っている者がある。
神々のあいだの婚姻あるいは交わりによって生まれた神には次のような者がいる。
ゼウスの息子と娘
神々の父ゼウスは、真偽を知る知恵の女神メーティスを最初の妻とした。ゼウスはメーティスが妊娠したのを知るや、これを飲み込んだ。メーティスの智慧はこうしてゼウスのものとなり、メーティスよりゼウスの第一の娘アテーナーが生まれる。ゼウスの正妻は神々の女王ヘーラーである。ヘーラーとのあいだには、アレース、ヘーパイストス、青春の女神ヘーベー、出産の女神エイレイテュイアが生まれる。また、大地の豊穣の女神デーメーテールとのあいだには、冥府の女王ペルセポネーをもうけた。
ゼウスはまた、ティーターン神族のディオーネーとのあいだにアプロディーテーをもうける。アプロディーテーは、クロノスが切断した父ウーラノスの男根を海に投げ入れた際、そのまわりに生じた泡より生まれたとの説もあるが、オリュンポスの系譜上はゼウスの娘である。ゼウスは、ティーターンの一族コイオスの娘レートーとのあいだにアルテミス女神とアポローンの姉弟の神をもうけた。更にティーターンであるアトラースの娘マイアとのあいだにヘルメースをもうけた。最後に、人間の娘セメレーと交わってディオニューソスをもうけた。
アテーナーはメーティスの娘であるが、その誕生はゼウスの頭部から武装して出現したとされる。また、これに対抗して妃ヘーラーは、独力で息子ヘーパイストスを生んだともされる。
ゼウスは更に、ティーターンの女神達と交わり、運命や美や季節、芸術の神々をもうける。法律・掟の女神テミスとのあいだに、ホーライの三女神とモイライの三女神を、オーケアノスとテーテュースの娘エウリュノメーとのあいだにカリテス(優雅=カリス)の三女神を、そして記憶の女神ムネーモシュネーとのあいだに九柱の芸術の女神ムーサイ(ムーサ)をもうけた。
十二神の息子と娘
オリュンポスの十二の神々は、ゼウスを例外として、子をもうけないか、もうけたとしても少ない場合がほとんどである。ポセイドーンは比較的に息子に恵まれているが、アンピトリーテーとのあいだに生まれた、むしろ海の一族とも言えるトリートーン、ベンテシキューメー、ヘーリオスの妻ロデーを除くと、怪物や馬や乱暴な人間が多い。
美の女神アプロディーテーは人気の高い女神であったからか数多くの神話に登場し、多くの子どもを生んだが、その父親は子どもの数と同じくらい多かった。彼女の夫は鍛冶の神ヘーパイストスとされるが、愛人のアレースとのあいだに、デイモス(恐慌)とポボス(敗走)の兄弟がある。またヘーシオドスが、原初の神として最初に生まれたとしている愛神エロースはアプロディーテーとアレースの息子であるとされることもある。この説はシモーニデースが最初に述べたとされる。しかしエロースをめぐっては誰の息子であるのかについて諸説あり、エイレイテュイアの子であるとも、西風ゼピュロスとエーオースの子であるとも、ヘルメースの子、あるいはゼウスの子であるともされる。エロースと対になる愛神アンテロースもアレースとアプロディーテーの子だとされる。
他のオリュンポスの有力な神々、ハーデース、ヘルメース、ヘーパイストス、ディオニューソスには目立った子がいない。アポローンは知性に充ちる美青年の像で考えられていたので、恋愛譚が多数あり、恋人の数も多いが、神となった子はいない。ただし、彼の子ともされるオルペウスやアスクレーピオスが、例外的に死後に神となった。
オリュンポスの神々 2
広義のティーターンの子孫も、オリュンポスの神々に数えられる。ティーターンたちはティーターノマキアーでの敗北の後、タルタロスに落とされたが、後にゼウスは彼らを赦したという話があり、ピンダロスは『ピューティア第四祝勝歌』のなかで、ティーターンの解放に言及している。戦いに敗れたティーターンはその後、神話に姿を現さないが、その子供たちや、ウーラノスの子孫たちは、オリュンポスの秩序のなかで一定の役割を受けて活動している。
イーアペトスの子アトラースは、天空を背に支え続けるという苦役に耐えている。兄弟のプロメーテウスは戦争には加わらなかったが、ゼウスを欺した罪でカウカソスの山頂で生きたまま鷲に毎日肝臓を食われるという罰を受けていたところ、ヘーラクレースが鷲を殺して解放した。ヒュペリーオーンとテイアーの子エーオース、セレーネー、ヘーリオスは、オリュンポスの神々のなかでも良く知られた存在である。エーオースは星神アストライオスとのあいだに、西風ゼピュロス、南風ノトス、北風ボレアースなどの風の神と多数の星の神を生んだ。またアテーナーの傍らにあるニーケー(勝利)もティーターンの娘であるが、ゼウスに味方した。
原初の神でもあったポントスとその息子の海の老人ネーレウスは、ポセイドーンに役職を奪われたように見えるが、彼らの末裔は、数知れぬネーレイデス(海の娘たち)となり、ニュンペーとして、あるいは女神として活躍する。ポントスの一族である虹の女神イーリスは神々の使者として活躍している。また、広義のティーターン一族に属するアトラースは、オーケアノスの娘プレーイオネーとのあいだにプレイアデスの七柱の女神をもうけた。彼女たちは、星鏤める天にあって星座として耀いている。
ニュンペーと精霊たち
ティーターノマキアーの勝利の後、ゼウス、ハーデース、ポセイドーンの兄弟はくじを引いてそれぞれの支配領域を決めたが、地上世界は共同で管掌することとした。地上はガイアの世界であり、ガイアそのものとも言えた。地上には陸地と海洋があり、河川、湖沼、また緑豊かな樹木の繁る森林や、草花の咲き薫る野原、清らかな泉などがあった。
地上は人間の暮らす場所であり、また数多くの動物たちや植物が棲息し繁茂する場所でもある。そして太古よりそこには、様々な精霊が存在していた。精霊の多くは女性であり、彼女たちはニュンペー(ニンフ)と呼ばれた。nymphee(νυμφη)とはギリシア語で「花嫁」を意味する言葉でもあり、彼女たちは若く美しい娘の姿であった。
ニュンペーは、例えばある特定の樹の精霊であった場合、その樹の枯死と共に消え去ってしまうこともあったが、多くの場合、人間の寿命を遙かに超える長い寿命を持っており、神々同様に不死のニュンペーも存在した。
森林や山野の処女のニュンペーはアルテミス女神に付き従うのが普通であり、また、パーンやヘルメースなども、ニュンペーに親しい神であった。古代のギリシアには、ニュンペーに対する崇拝・祭儀が存在したことがホメーロスによって言及されており、これは考古学的にも確認されている。ニュンペーは恋する乙女であり、神々や精霊、人間と交わって子を生むと、母となり妻ともなった。多くの英雄がニュンペーを母として誕生している。
ニュンペーの種類
ニュンペーはその住処によって呼び名が異なる。
陸地のニュンペーとしては次のようなものがある。1)メリアデス(単数:メリアス)はもっとも古くからいるニュンペーで、ウーラノスの子孫ともされる。トネリコの樹の精霊である。2)オレイアデス(単数:オレイアス)は山のニュンペーである。3)アルセイデス(単数:アルセイス)は森や林のニュンペーである。4)ドリュアデス(単数:ドリュアス)は樹木に宿るニュンペーである。5)ナパイアイ(単数:ナパイアー)は山間の谷間に住むニュンペーである。6)ナーイアデス(単数:ナーイアス)は淡水の泉や河のニュンペーである。
これらのニュンペーは陸地に住処を持つ者たちである。一方、海洋にはオーケアノスの娘たちやネーレウスの娘たちが多数おり、彼女らは美しい娘で、ときに女神に近い存在であることがある。
海洋のニュンペーはむしろ女神に近い。1)オーケアニデス(単数:オーケアニス)は、オーケアノスがその姉妹テーテュースのあいだにもうけた娘たちで、3000人、つまり無数にいるとされる。この二柱の神からはまた、すべての河川の神が息子として生まれており、河川の神とオーケアニスたちは姉弟・兄妹の関係にあることになる。冥府の河であるステュクスや、ケイローンの母となったピリュラー、アトラース、プロメーテウス兄弟の母であるクリュメネーなどが知られる。2)ネーレーイデス(単数:ネーレーイス)は、ネーレウスとオーケアノスの娘ドーリスのあいだの娘で、50人いるとも、100人いるともされる。アンピトリーテー、テティス、ガラティア、カリュプソーなどが知られる。
山野の精霊と河神
ニュンペーは自然界にいる女性の精霊で、なかには神々と等しい者もいた。他方、地上の世界にはニュンペーと対になっているとも言える男性の精霊が存在した。彼らはその姿が、人間とはいささか異なる場合があった。彼らは山野の精霊で、具体的には1)パーン(別名アイギパーン、「山羊の姿のパーン」の意)、2)ケンタウロス、3)シーレーノス、4)サテュロスなどが挙げられる。彼らの姿は、上半身は人間に近いが、下半身が馬や山羊であったり、額に角があったりする。
上記の中でパーンは別格とも言え、ヘルメースとドリュオプスの娘ドリュオペーのあいだの子で、オリュンポスの神の一員でもある。ただしパーンが誰の子かということについては諸説ある。シューリンクスという笛を好み、好色でもあった。ケンタウロスは半人半馬の姿で、乱暴かつ粗野であるが、ケイローンだけは異なり、医術に長け、また不死であった。シーレーノスとサテュロスは同じ種族と考えられ、前者は馬に似て年長であり、後者は山羊に似ていた。粗野で好色で、ニュンペーたちと戯れ暴れ回ることが多々あった。
彼らが山野の精霊であるのに対し、地上の多数の河川には、オーケアノスとテーテュースの息子である河川の精霊あるいは神がいた(『イーリアス』21章。『神統記』)。彼らは普通「河神(river-gods)」と呼ばれるので、精霊よりは格が高いと言える。3000人いるとされるオーケアニデスの兄弟に当たる。河神に対する崇拝もあり、彼らのための儀礼と社殿などもあった。スカマンドロス河神とアケローオス河神がよく知られる。
異形の神・怪物
始原の神や、または神やその子孫のなかには、異形の姿を持ち、オリュンポスの神々や人間に畏怖を与えたため、「怪物」と形容される存在がある。例えばゴルゴーン三姉妹などは、海の神ポントスの子孫で、本来は神であるが、その姿の異様さから怪物として受け取られている。
ゴルゴーン三姉妹はポルキュースとケートーの娘で、末娘のメドゥーサを除くと不死であったが、頭部の髪が蛇であった。また、その姉妹である三柱のグライアイは生まれながらに老婆の姿であったが不死であった。ハルピュイアイはタウマースの娘たちで、女の頭部に鳥の体を持っていた。ガイア(大地)が原初に生んだ息子や娘のなかにはキュクロープス(一眼巨人)や、ヘカトンケイル(百腕巨人)のような異形の者たちが混じっていた。またガイアは独力で、様々な「怪物」の父とされる、天を摩する巨大なテューポーンを生み出した。
エキドナは、上半身が女、下半身が蛇の怪物で、ゴルゴーンたちの姉妹とされるが出生には諸説がある。このエキドナとテューポーンのあいだには多数の子供が生まれる。獅子の頭部に山羊の胴、蛇の尾を持つキマイラ、ヘーラクレースに退治されたヒュドラー(水蛇)、冥府の番犬、多頭で犬形のケルベロスなどである。またエジプト起源のスピンクスはギリシアでは女性の怪物となっているが、これもエキドナの子とされる。
それらの多くは、神、あるいは神に準ずる存在である。ポセイドーンとデーメーテールが馬の姿となって交わってもうけたのが、名馬アレイオーンである。他方、ポセイドーンはメドゥーサとのあいだに有翼の天馬ペーガソスや、クリューサーオール(「黄金の剣を持つ者」の意)をもうけた。
セイレーンは『オデュッセイア』に登場する海の精霊・怪物であるが、人を魅惑する歌で滅びをもたらす。ムーサの娘であるともされるが、諸説あり、元々ペルセポネーに従う精霊だったとも想定される。『オデュッセアイア』に登場する怪物としては、六つの頭部を持つ女怪スキュラと渦巻きの擬人化とされるカリュブディスなどがある。
神話4:人間の起源
古代ギリシア人は、神々が存在した往古より人間の祖先は存在していたとする考えを持っていたことが知られている。例えばヘーシオドスの『仕事と日々』にもそのような説明がなされている。他方、『仕事と日々』は構成的には雑多な詩作品を蒐集したという趣があり、『神統記』や『名婦列伝』が備えている整然とした、伝承の整理付けはなく、当時の庶民(とりわけ農民)の抱いていた世界観や人間観が印象的な喩え話のなかで語られている。
古来、ギリシア人は「人は土より生まれた」との考えを持っていた。超越的な神が人間の族を創造したのではなく、自然発生的に人間は往古より大地に生きていたとの考えである。しかしこの事実は、人間が生まれにおいて神々に劣るという意味ではなく、オリュンポスの神々も、それ以前の支配者であったティーターンも、元々はすべて「大地(ガイア)の子」である。人間はガイアを母とする、神々の兄弟でもあるのだ。異なる点は、神々は不死にして人間に比べ卓越した力を持つということである。その意味で、神々は貴族であり、人間は庶民だと言える。
プロメーテウスと最初の女
しかしヘーシオドスは、土より生まれた人という素朴な信念とは異なる、人間と神々のあいだの関係とそれぞれの分(モイラ)の物語を語る。太古にあって人間は未開で無知で、飢えに苦しみ、寒さに悩まされていた。プロメーテウスが人間の状態を改善するために、ゼウスが与えるのを禁じた火を人間に教えた。また、この神は、ゼウスや神々に犠牲を捧げるとき、何を神々に献げるかをゼウスみずからに選択させ、その巧妙な偽装でゼウスを欺いた。
プロメーテウスに欺されたゼウスは報復の機会を狙った。ゼウスはオリュンポスの神々と相談し、一人の美貌の女性を作り出し、様々な贈り物で女性を飾り、パンドーラー(すべての贈り物の女)と名付けたこの女を、プロメーテウスの思慮に欠けた弟、エピメーテウスに送った。ゼウスからの贈り物には注意せよとかねてから忠告されていたエピメーテウスであるが、彼はパンドーラーの美しさに兄の忠告を忘れ、妻として迎える。ここで男性の種族は土から生まれた者として往古から存在したが、女性の種族は神々、ゼウスの策略で人間を誑かし、不幸にするために創造されたとする神話が語られていることになる。
五つの時代と人間の生き方
パンドーラーは結果的にエピメーテウスに、そして人間の種族に災いを齎し不幸を招来した。ヘーシオドスは更に、金の種族、銀の種族、青銅の種族についてうたう。これらの種族は神々が創造した人間の族であった。金の種族はクロノスが王権を掌握していた時代に生まれたものである。この最初の種族は神々にも似て無上の幸福があり、平和があり、長い寿命があった。しかし銀の種族、銅の種族と次々に神々が新しい種族を造ると、先にあった者に比べ、後から造られた者はすべて劣っており、銅(青銅)の時代の人間の種族には争いが絶えず、このためゼウスはこの種族を再度滅ぼした。
金の時代と銀の時代は、おそらく空想の産物であるが、次に訪れる青銅の時代、そしてこれに続く英雄(半神)の時代と鉄の時代は、人間の技術的な進歩の過程を跡づける分類である。これは空想ではなく、歴史的な経験知識に基づく時代画期と考えられる。第4の「英雄・半神」の時代は、ヘーシオドスが『名婦列伝(カタロゴイ)』で描き出した、神々に愛され英雄を生んだ女性たちが生きた時代と言える。英雄たちは、華々しい勲にあって生き、その死後はヘーラクレースがそうであるように神となって天上に昇ったり、楽園(エーリュシオンの野)に行き、憂いのない浄福の生活を送ったとされる(他方、オデュッセウスが冥府にあるアキレウスに逢ったとき、亡霊としてあるアキレウスは、武勲も所詮空しい、貧しく名もなくとも生きてあることが幸福だ、とも述懐している)。
英雄の時代が去っていまや「青銅の時代」となり、人の寿命は短く、労働は厳しく、地は農夫に恵みを与えること少なく、若者は老人を敬わず、智慧を尊重しない……これが、我々がいま生きている時代・世界である、とヘーシオドスはうたう。このような人生や世界の見方は、詩人として名声を得ながらも、あくまで一介の地方の農民として暮らしを立てて行かねばならなかったヘーシオドスの人生の経験が反映しているとされる。世には、半神たる英雄を祖先に持つと称する名家があり、貴族がおり、富者がおり、世のなかには矛盾がある。しかし、神はあくまで善なる者で、人は勤勉に労働し、神々を敬い、人間に与えられた分を誠実に生きるのが最善である。
一方で、武勲を称賛し、王侯貴族の豪勢な生活や栄誉、詩や音楽や彫刻などの芸術の高みに、恵まれた人は立ち得る。しかし庶民の生活は厳しいものであり、そこで人間としていかに生きるか、ヘーシオドスは神話に託して、人間のありようの諸相をうたっていると言える。
神話5:英雄の誕生
ギリシア神話においては、ヘーシオドスが語る五つの時代の最後の時代、すなわち現在である「鉄の時代」の前に、「英雄の時代」があったとされる。英雄とは、古代ギリシア語でヘーロース(hērōs, ήρως)と呼ぶが、この言葉の原義は「守護者・防衛者」である。しかしホメーロスでは、君公、あるいは殿の意味で、支配者・貴族・主人について一般的に使用されていた。
英雄崇拝の歴史
神話学者キャンベルは、英雄神話を神話の基幹に置いたが、彼の描く英雄とは、危険を犯して超自然的領域に分け入り勝利し、人々に恩恵を授ける力(force)を獲得した者である[56]。古代ギリシアの英雄は、守護者の原義を持つことからも分かる通り、超自然の世界に分け入って「力」を獲得する者ではない。文献や考古学によれば、ミュケーナイ時代には存在しなかった「英雄信仰」が、ギリシアの暗黒時代を通じて、ホメーロスの頃に出現する。
ここで崇拝される英雄は「力に満ちた死者」であり、その儀礼は、親族の死者への儀礼と、神々への儀礼の中間程度に位置していた[注釈 22]。祀られる英雄ごとで様々な解釈があったが、祭儀におけるヘーロースは、都市共同体や個人を病や危機から救済し恩恵をもたらした者として理解された。このような崇拝の対象が叙事詩に登場する英雄に比定された。時が経つにつれ、ヘーロースの範型に該当すると判断された人物、すなわち神への祭祀を創始した者や、都市の創立者などには、神託に基づいて英雄たる栄誉が授与され、彼らは「英雄」と見なされた。
ギリシアの英雄は半神とも称されるが、多くが神と人間のあいだに生まれた息子で、半分は死すべき人間、半分は不死なる神の血を引く。このような英雄は、「力ある死者」のなかでも神に近い崇拝を受けていた者たちで、ヘーラクレースの場合は、英雄の域を超えて神として崇拝された。英雄は、都市の創立者として子孫を守護し、またときに、敵対する者の子孫に末代まで続く呪いをかけた。死して勲を残す英雄は、守護と呪いの形で、その死後に強い力を発揮した者でもある。
ゼウスの息子
英雄は古代ギリシアの名家の始祖であり、祭儀や都市の創立者であり名祖であるが、その多くはゼウスの息子である。ゼウスはニュンペーや人間の娘と交わり、数多くの英雄の父となった。数々の王家が神の血を欲した。
数々の冒険と武勇譚で知られ、数知れぬ子孫を残したとされるヘーラクレースはゼウスと人間エーレクトリュオーンの娘アルクメーネーのあいだに生まれた。ゼウスは彼女の夫アンピトリュオーンに化け、更にヘーリオスに命じて太陽を三日間昇らせず彼女と交わって英雄をもうける。また白鳥の姿になってレーダーと交わり、ヘレネー及びディオスクーロイの兄弟をもうけた。アルゴス王アクリシオスの娘ダナエーの元へは黄金の雨に変身して近寄りペルセウスをもうけた。テュロス王アゲーノールの娘エウローペーの許へは、白い牡牛となって近寄り、彼女を背に乗せるとクレータ島まで泳ぎわたった。そこで彼女と交わってミーノースやラダマンテュス等をもうける。
ゼウスはまた、アルテミスに従っていたニュンペーのカリストーに、アルテミスに化けて近寄り交わった。こうしてアルカディア王家の祖アルカスが生まれた。プレイアデスの一人エーレクトラーとの間には、トロイア王家の祖ダルダノスと、後にデーメーテール女神の恋人となったイーアシオーンをもうける。イーオーはアルゴスのヘーラーの女神官であったが、ゼウスが恋して子をもうけた。ヘーラーの怒りを恐れたゼウスはイーオーを牝牛に変えたが、ヘーラーは彼女を苦しめ、イーオーは世界中を彷徨ってエジプトの地に辿り着き、そこで人の姿に戻り、エジプト王となるエパポスを生んだ。エウローペーはイーオーの子孫に当たる。
アトラースの娘プルートーとの間には、神々に寵愛されたが冥府で劫罰を受ける定めとなったタンタロスをもうける。またゼウスはニュンペーのアイギーナを攫った。父親であるアーソーポス河神は娘の行方を捜していたが、コリントス王シーシュポスが二人の行き先を教えた。寝所に踏み込んだ河神は雷に打たれて死に、またシーシュポスはこの故に冥府で劫罰を受けることとなった。アイギーナからはアイアコスが生まれる。同じくアーソーポス河神の娘とされる(別の説ではスパルトイの子孫)アンティオペーは、サテュロスに化けたゼウスと交わりアンピーオーンとゼートスを生んだ。アンピーオーンはテーバイ王となり、またヘルメースより竪琴を授かりその名手としても知られた。プレイアデスの一人ターユゲテーとも交わり、ラケダイモーンをもうけた。彼は、ラケダイモーン(スパルテー)の名祖となった。エウリュメドゥーサよりはミュルミドーン人の名祖であるミュルミドーンをもうけた。
他の神々の息子
アポローンは数々の恋愛譚で知られるが、彼の子とされる英雄は、まずムーサの一柱ウーラニアーとの間にもうけた名高いオルペウスがある(別説では、ムーサ・カリオペーとオイアグロスの子)。ラピテース族の王の娘コローニスより、死者をも生き返らせた名医にして医神アスクレーピオスをもうけた。予言者テイレシアースの娘マントーからは、これも予言者モプソスをもうける。ミーノースの娘アカカリスはアポローンとヘルメース両神の恋人であったが、アポローンとの間にナクソス島の名祖ナクソス、都市の名祖ミーレートス等を生んだ。彼女はヘルメースとの間にも、クレータ島のキュドーニスの創建者キュドーンをもうけた。
他方、ポセイドーンは、アテーナイ王アイゲウスの妃アイトラーとの間にテーセウスをもうけたとされる。またエウリュアレーとの間にはオーリーオーンを(別説では、彼はガイアの息子ともされる)、テューローとの間には双生の兄弟ネーレウスとペリアースをもうけた。エパポスの娘でニュンペーのリビュエー(リビュアー)と交わり、テュロス王アゲーノールとエジプト王ペーロスの双子をもうける。ラーリッサを通じて、ペラスゴス(ペラスゴイ人の祖とは別人)、アカイオス、プティーオスをもうけた。アカイオスはアカイア人の祖とされ、プティーオスはプティーアの名祖とされる。オルコメノスのミニュアース人の名祖とされるミニュアースもポセイドーンの子とされるが、孫との説もある。
鍛冶の神ヘーパイストスは、アテーナイの神話的な王エリクトニオスの父とされる。彼はアテーナーに欲情し女神を追って交わらんとしたが、女神が拒絶し、彼の精液はアテーナーの脚にまかれた。女神はこれを羊毛で拭き大地に捨てたところ、そこよりエリクトニオスが生まれたとされる。
リュカーオーンは、アルカデイア王ペラスゴスとオーケアノスの娘メリボイア、またはニュンペーのキューレーネーの子とされる。彼は多くの息子に恵まれたが、息子たちは傲慢な者が多く神罰を受けたともされる。アルカディアの多くの都市が、リュカーオーンの息子たちを、都市の名祖として求めた形跡がある。また、アプロディーテーは、トロイア王家の一員アンキーセースとのあいだにアイネイアースを生んだ。アイネイアースは後にローマの神話的祖先ともされた。アイアの金羊毛皮をめぐる冒険譚「アルゴー号の航海譚」に登場するコルキス王アイエーテースは、ヘーリオスとオーケアノスの娘ペルセーイスの子である。
トロイア戦争の英雄であり、平穏な長寿よりも、早世であっても、戦士としての勲の栄光を選んだアキレウスは、ペーレウスと海の女神テティスのあいだの息子である。
英雄崇拝とその栄光
ピエール・グリマルによれば、ヘーラクレースとその数々の武勇譚はミュケーナイ時代に原形的な起源を持つもので、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとされる。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼はギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、競ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した。
アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。












