古代エジプト アブ・シンベル神殿
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アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)は、
エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。



◆アブ・シンベル神殿
オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿。大神殿と小神殿からなる。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。
建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。
1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方、ナイル川から210m離れた丘へ、コンクリート製のドームを基盤とする形で移築された。現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる。この大規模な移設工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護する世界遺産が創設された。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、文化遺産として登録されている。

この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすようになっており、観光客の目玉となっている。本来はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)にこの現象が起こるものであった。神殿の移設により、現在は日にちがずれてしまった。
◆ラムセス2世



年代には諸説あるが、24歳で即位し、66年間統治し、90歳で没したとされる。その間、第1王妃ネフェルタリのほか、何人もの王妃や側室との間に、賢者として名高いカエムワセト、後継者となるメルエンプタハなど111人の息子と69人の娘を設け、娘の中には父親であるラムセス2世と親子婚を行った者もいたと伝えられる。もっとも、この大半は養子であり王の息子の称号を与えられただけだという説もある。しかし、非常に大柄(約180cm)であり専用の強弓は王その人以外誰も引くことができなかったと言われる優れた戦士であった王が多くの子を残さなかったとは考えにくく、やはり彼らは王の実子であると考える者もいる。
治世第5年の紀元前1286年、総勢2万の兵を率いてカデシュの戦いに親征し、ムワタリ2世率いるヒッタイトと戦った。エジプトは偽情報に踊らされた結果有力な軍団を壊滅させられるなど苦戦しつつも、ラムセス2世の武勇によって勝利を収めたが、ヒッタイト勢力をパレスチナから駆逐するには到らなかった。両者ともに相手を退けるに到らず、長年戦争を続けたのち、ラムセス2世の第21年(紀元前1269年)、エジプトとヒッタイトは平和条約(en:Egyptian–Hittite peace treaty)を結んで休戦し、ラムセス2世はヒッタイト王女を王妃に迎えた。これは世界史で最初の平和条約と呼ばれる。条約文はヒッタイトの首都ハットゥシャの粘土板やエジプトの神殿の壁面でも発見された。またカデシュの戦いにおけるラムセス2世の勝利の喧伝は、エジプト軍の軍制改革の妨げとなり後に災いを残すことになる。ラムセス2世はこの戦いの栄光を自賛するため宮廷書記ペンタウルに詩を作らせ、カルナック神殿からアブ・シンベルに至るまでの大神殿の壁に詩を彫らせた。
ラムセス2世はまた、ナイル第1滝を越えてヌビアに遠征した。ラムセス2世は戦勝の記念碑を多く築き、現在もっとも記念碑の多く残るファラオとなっている。ヌビアは後にエジプトに同化され、本家エジプトの衰退を救う形で王朝を立てることになる。
カイサリアのエウセビウスなどキリスト教教会史家の間には、ラムセス2世を『出エジプト記』に登場するイスラエル人を奴隷から解放するようにモーセが要求したファラオと同一視する者がある(次代のファラオのメルエンプタハとする説もある)。
ラムセス2世は、紀元前1290年に首都をテーベからナイル川のデルタ地帯の東に作ったペル・ラムセスに遷都した。また、テーベ、ルクソール、カルナックの神殿を整備した。テーベには葬祭用の巨大な「永遠の城」ラメセウスを建てさせた。そして、ヌビアにも多くの記念建造物を建てさせている。
ラムセス2世はアブ・シンベル神殿を造営した。これはアスワン・ハイ・ダムの建設に伴って移転され、これを機に世界遺産の制度が制定された。現在アブ・シンベル神殿は世界遺産に登録されている。他にも「カルナック神殿」や「ラムセス2世葬祭殿(ラムセウム)」等多数の建造物を残している。
◆アブ・シンベル大神殿
大神殿の四体の像はラムセス2世で、その前に並んでいるのは家族の像である。
奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラー・ホルアクティ神、そしてラムセス2世の像がある。像の脚にはヌビア遠征に赴いたギリシャ人傭兵による古代ギリシャ語の落書きが彫られている。
ラムセス2世像のうち向かって左から2体目は神殿完成の数年後に起きた地震によって崩れ、頭部の一部が2体目の前に転がっている。

アブ・シンベル大神殿はラメセス2世がヌビア人に対してエジプトの力を示すために造られた記念碑的神殿と考えられている。
壁には神聖化された聖なる船の前で儀式を行う場面が描かれている。浮き彫りに王の業績、北の壁にはカディシュの戦い、南の壁にはシリア・リビア・ヌビアとの戦いが描かれている。
古代エジプトではアスワンより南のナイル河流域はヌビアと呼ばれていた。
ヌビアは金などの鉱物資源に恵まれているだけでなく、アフリカ奥地からの象牙等の交易の中継地点としても重要だったため、歴代エジプト王はヌビアへの遠征を繰り返し、紀元前1470年ころにはトトメス3世によりエジプトの支配下に入っていた。




その約200年後のファラオであるラムセス2世は古代エジプトで最も自己顕示欲が強いと言われたファラオである。
ラムセス2世はエジプト中に多くの建造物を建てたことで有名だが、ヌビアにも多くの神殿を造り、その中でもアブ・シンベル大神殿は群を抜いた巨大さを誇っている。
アブ・シンベル大神殿は太陽神ラー・ホルアクティに捧げた神殿で、正面入り口の上部には日輪を頭にした太陽神ラー・ホルアクティと、その左右に正義の女神像を捧げるラメセス2世が彫られている。





ラムセスという名は「太陽神ラーの創りし者」という意味。
しかし、何と言っても、この神殿で特徴的なのは正面にラメセス2世の座像が4体も並んでいることだろう。自分の像を4体並べるという発想は自己顕示欲の強いラムセス2世ならでは。

◆アブ・シンベル小神殿

アブ・シンベル小神殿の正面には、立像が6体あり、そのうちの4体は王、2体はネフェルタリである。脇には王子と王女を配置している。
アブ・シンベル小神殿はハトホル女神に捧げられた神殿で、ラメセス2世がネフェルタリ王妃のために造った神殿である。正面に並ぶのは4体のラメセス2世と2体のネフェルタリ王妃。古代エジプトでは王妃の姿は王の足元に小さく刻まれるのが普通だったのに、ラメセス2世と同じ大きさで刻まれたというのは、異例のことである。
ハトホル女神は愛と喜びの女神と言われ、人々に幸福をもたらすと言われていた。また、音楽とダンスの神でもある。
ハトホル女神のレリーフは牛の耳を持つ女性の顔を正面から描くものが多く、この神殿内部にもハトホル女神の顔が刻まれた柱が並んでいる。

神殿内部に入ると、まず列柱室があり左右に3本ずつハトホル柱(牛の耳をもつハトホル女神の顔を柱頭とする柱)が並んでいる。壁や柱には、レリーフが描かれており王妃とラムセス2世が対等に描かれているのが印象的。
列柱室の先にある前室には、王妃ネフェルタリの戴冠式や牛の姿をしたハトホル女神にラムセス2世とネフェルタリがパピルスを捧げる姿などのレリーフがあり、今も当時の彩色が残っているものもある。
アブ・シンベル小神殿は、王妃ネフェルタリのために建造されたが、同時にハトホル女神に捧げられた神殿でもある。神殿内のレリーフから一説には、ハトホル女神はネフェルタリ王妃を表しているという説もあるという。



photo credit: Ägypten 1999 (111) Im Kleinen Tempel von Abu Simbel via photopin (license)
◆王妃ネフェルタリ
ネフェルタリ(Nefertari, NeFeRTaRi)は、古代エジプト第19王朝、第3代目のファラオ、ラムセス2世(RaMSeS II, 通称:ラムセス大王)の正妃(第一王妃)である。ネフェルタリは、アメン神の神后の称号を持ち、この称号によって、独立した多くの富と権力を授けられた。
ネフェルタリは夫ラムセスに重視されていたと見られ、王妃の谷のなかにあって、もっとも壮麗な彼女の王妃墓-QV66からもそれが窺える。これも彼女は8人の正妃の中で最も有名なものになった。ラムセスはネフェルタリを、「そなたが為、太陽の燿く者」と呼んだ。メリトアモンをはじめ、5人の息子と娘を儲けたが、ネフェルタリは若くして世を去ることとなった。(王24年、46歳ぐらいの時)。その後、ネフェルタリと同時期に迎えた側室イシスネフェルトが正妃となった。
ネフェルタリの出自については、エジプト貴族の一員であったらしいことを除いて不明であるが、彼女が王妃の地位にあった間、ネフェルタリの兄弟アメンモセはテーベ市長の地位に就いている。


ネフェルタリは、ネフェルタリ・メリ・エン・ムト(Nefertari MeRi-eN-MuT)とも呼ばれる。意味は「愛らしき者、ムトに寵愛されし者」で、ムトはアメンの妻である女神である。ネフェルタリはラムセスの即位前、15歳の王子であったときに彼と結婚したが、ラムセスの8人の妃たちのなかでも、上エジプトにおいてもっとも重要な妃の地位にあったと考えられている。
ネフェルタリは少なくとも3人の息子と2人の娘、王子アメンヘルケプシェフ(Amun-her-khepeshef)、王子プレヒルウォンメフ(Pre-hirwonmef)、王子アモンヒルウォンメフ(Amon-hirwonmef)、王女メルトアトゥム(Mert-atum)、王女メリトアモン(Meryt-amon)をラムセスとの間に儲けたが、彼らは誰一人として王位を継ぐことはなかった。
ラムセスの後継者は、イシスネフェルトの子、王子メルエンプタハ(MerenPtah, MeR-eN-PTaH)となった。
ラムセスの愛
ネフェルタリの墓所の壁にも記されているように、彼女へのラムセスの寵愛は大きく、エジプト王妃を迎える婚姻には、便宜上の結婚や政略結婚のみでなく、愛情によるものもあったと見られる。

また、逝去した妃についてラムセスが詠んだ詩は、ネフェルタリの墓所の玄室内の幾つかの壁面を飾っているが、その一つは次のように述べている。
- 我が愛は特别だ、彼女に匹敵する者はいない。なぜなら、彼女の美しさが世界一。擦れ違いだけで、心が盗まれてしまった。
(My love is unique—no one can rival her,for she is the most beautiful woman.Just by passing me,she has stolen my heart.)
ネフェルタリの地位
古代の絵において、ネフェルタリが常にラムセスの付き添いとして描かれていることより、彼女の王妃としての地位は揺るぎないものであったことが窺える。
アブ・シンベルの地において、女神ハトホル(HaT-HoR)とネフェルタリ自身を称え記念して、新しい神殿(アブ・シンベル小神殿)の建造を命じるため、ヌビアに旅した際の航海の様子を描く絵の中にも、ネフェルタリが描かれている。
またネフェルタリは、アブ・シンベルの墓所と神殿の絵の両方にラムセスと同じ大きさで描かれており、こういった構図は極めて稀なものである。
通常、ファラオの妃たちは、王の像や絵の膝ぐらいまでの大きさに描かれるもので、ラムセスと同じ大きさで描かれたネフェルタリの姿は、ラムセスにとって彼女がいかに重要であったかを示している。

ネフェルタリはラムセスとの地上を越えた愛と、その伝説的な美しさで有名であった。彼女の時代より1世紀前の異端のファラオ・アクエンアテンの正妃ネフェルティティの美しさは、20世紀になって発見された胸像によって広く知られたが、ネフェルタリは、古代エジプトの歴史にあって、いまも昔も、愛と美を具現した王妃である。
ネフェルタリの墓 動画→The tomb of Nefertari

1904年にエルネスト・スキャパレッリによって発掘される。 第19王朝、新王国時代のものである。 装飾がとても美しいとして知られている。 階段を下りると大きな入り口があり、その先には一玄室、横に副室がある。 さらに下へと降りると、主玄室があり、四本の柱と三つの付属貯蔵室が飾りを担っている。 ラムセス二世の墓と非常によく似たつくりである。






◆太陽神ラー
ラー (Ra) は、エジプト神話における太陽神である。語源はエジプト語でそのまま、「Ra」(太陽)。ヘリオポリス九柱神の一柱。

ラーは、ハヤブサの頭をもつ姿で描かれることが多い。後にアトゥムと習合し、ヘリオポリスでは、最も重要な神とされる。原始の海ヌンから生まれ、シューやテフヌト(もとは、アトゥムの子供)、バステトの父とされる。またセクメトは、ラーが人間を滅ぼすために、その目から生み出されたとされる。目からは、強烈な光を放ち、敵を焼き滅ぼす。ラーを象徴する元素と色は、それぞれ火と赤。
ラーが自分の子供シューとテフヌトが旅に出て帰って来ずに彼が心配していると、ようやく二人が帰って来たのでラーは涙を流し、その涙から最初の人間が生まれたといわれる。
ファラオは、神々の子孫とされ、「ラーの息子」と捉えられた。ファラオが死ぬとホルスと共に地上に梯子を降ろし、太陽の船にファラオの霊を招くと言われている。
後にラーの権威が衰え彼は、人間が自分の敵になると信じ込むようになり、自分を敬わない人間を滅ぼすためにセクメトを送り込むも、オシリスの意見により取りやめてトートにその座を譲った。別の神話では、息子のホルスに権力を与えたいイシスの計略で彼女がラーの垂らした唾液を含んだ泥をこねて作った毒蛇に噛まれ、毒の苦しみに耐えかねて毒を解除してもらうことと引き換えに自分を支配できる彼自身の本当の名前を教えた。
やがてアメン信仰がエジプト全土で人気を集めるとアトゥム・ラーとしての創造神の地位は、アメンに奪われ、太陽(ラー)は、アメンに作られた存在になった。またアテンもラーと一時的に習合した。
ラーは、アトゥム神と習合し「ラー・アトゥム」、ホルス神と習合し「ラー・ホルアクティ」「パ・ラー・ホルアハティ(鷹(ホルス)の姿の太陽神ラー)」、アメン神と習合し「ラー・アメン」、アテン神と集合し「アテン・ラー」となる。これは、はじめラー信仰が人気を集めアトゥムを取り込んで創造神となり、のちにその地位をホルスやアメンに吸収されたためである。
ラーは、太陽神であり、古代エジプト人は、太陽の運行と共にラー自体も変形すると考えた。日の出の時は、ヌトの腿の間から出てタマオシコガネの姿のケプリとして東に現れ、日中は、ハヤブサの姿、あるいは太陽の船に乗って空を移動する。夜は、雄羊の姿で夜の船に乗り死の世界を旅するとされている。この時、夜の船は、冥界の悪魔からセトによって守られる。これは太陽の動きを神格化したものであるとされている。
◆ハトホル女神
ハトホルあるいは、ハトル(Hathor)、フゥト・ホルは、古代エジプト神話の愛と美と豊穣と幸運の女神。聖獣は牝牛。

その名前の意味は、「顔の家」または、「ホルス神の館(家)」と考えられており、ホルとは、ホルスのことを表しているとされる。ここからホルスの母あるいは、ホルス(「エドフのホルス(ホル・ベヘデティ)」)の妻と見做されるようになった。他にも多くの神の夫となり息子と考えられた神がいる。
その姿は、牝牛か牝牛の頭部を持つ人間で表された。人間の女性の姿で表される時も頭には、牛の角が生えていることがあり、角の間に太陽円盤を載せ、牝牛の耳を持つ。
ラーの娘、母、妻などに位置付けられ太陽円盤は、その名残りであると考えられる。
初期のハトホルは、ラーとヌトの間の娘とされていた。やがてラーの母、妻ともされた。またラーの牡牛と結婚して音楽の神イヒを産んだ。
ラーとの間にホルスを産んだ母と考えられるようになったが通常は、「エドフのホルス」(ホルス・ベフデティ)の妻とみなされた。
多くの場合、イヒの父親は、エドフのホルスである。アメン・ラーを父としてイヒもホルス(「ホル・セマウ(上下エジプトの王ホルス)」)と同一視される場合もあった。
コム・オンボでは、夫がセベク、息子がコンス、死者を守る女神としてアヌビスを夫とする場合、息子は、ウプウアウトとされた。
セトとホルスが戦った時、ホルスの傷を癒した。ここから治療の神とされる。
また死者を冥界に導くとされる。

主にデンデラが信仰の中心地とされた。他にエジプト内では、サイス、ヘルモポリス、ヘリオポリス、クサエ、ヘラクレオポリス、エスナ、エジプト外では、ヌビア、プント、シナイ半島でも信仰されていた。
ハトホルを信仰する宗教儀式において楽器のシストラム(シストルム)とメナトが用いられていた。
世界を生み出した天の牝牛、鉱山の守護神、ホルスのこの世の姿であるファラオに乳を与える牝牛、妊婦を守る女神などの多様な性格を持ちイシスに次いで広く崇拝された。
オシリス信仰が主流となるとハトホルは、死者を養う女神とも考えられるようになった。冥界へ行く者達にパンと水乳とイチジクから作られた食物を与える役割を持ち、そこから「エジプトイチジクの木の貴婦人」または、「南方のイチジクの女主人」、特にメンフィスでは、「イチジクの女主」と呼ばれ、牝牛とともにイチジクも彼女の象徴とされる。
ハトホルの頭部を用いた装飾柱は、ハトホル柱(シストラム型柱)として知られる。他にもシストラムや手鏡の柄の装飾にもハトホルの頭が用いられた。

ハトホルは、他の女神と同一視された。まずイシスは、ホルスの母としてファラオの守護者となった。次にバステトは、歓喜、音楽、踊りの性質を引き継いだことで崇拝は、陽気な雰囲気の儀式で行われた。そしてセクメトは、人々を滅ぼしかねないほどの怒りに捕らわれたハトホルの化身とされた。
母神の性格から女性ファラオが信仰し、ハトシェプスト、クレオパトラなどが知られる。
時代が下るにつれハトホルへの崇拝は、イシスらと共にローマ帝国にまで広がっていった。ギリシアでは、アプロディーテーと同一視された。
◆ホルス神
ホルス(Horus、エジプト語ラテン文字転写:Hr, Hru、古代ギリシア語: Ώρος, Hōros)は、エジプト神話に登場する天空と太陽の隼の神。エジプトの神々の中で最も古く、最も偉大で、最も多様化した神の一つである。

もともとホルスは、同名の神が二柱存在したとされる。それらがラーの息子とオシリスとイシスの息子であり、やがて同一視され習合されたものだとされている[2]。これ以外にも様々な神との習合が見られる。通常は、隼の頭を持ち太陽と月の両目を持つ成人男性として表現される。初期は、隼そのものの姿だったが時代とともに人間の姿(幼児から成人)をとるようになる。
有名なシンボルである「ウジャトの目」とは、ホルスの目のことである。
ホルスの元素は、大気と火。その色は、一般には黒、赤、白である。
「ホルス」の名の由来には、エジプト語で「顔」を意味する「ホル」をラテン語化した名だとする説や、それとは別に「上にあるもの」を意味する「ホル」が由来だとする説などがある。いずれにせよ「ホルス」の名は、リビアから来て上・下の両エジプトの大半を征服した民族の地域神となっていた隼神の名前であり、他の多くの隼神を吸収するほど有力な神であった。
家族
オシリスとイシスの子であり、父の敵である叔父セトを征伐する神話が特に有名である。神話によっては、オシリス、イシス、セト、ネフティスに続く5人目の兄弟となることもある。ヘリオポリスにおいては、ラーの息子とされた。妻としては、ハトホルが有名だが、その他の女神を妻とすることもある。
ハトホルとの間には、イヒやハルソムトスをはじめとする多くの子供をもうけた。また、ホルスの4人の息子は、イシスとの間に生まれたとされている。
ファラオとの関連
古代エジプトにおいてホルスは、「王そのもの」の象徴であった。ファラオは、ホルスの化身、地上で生きる神で現世の統治者と捉えられた。ファラオは、様々な神の名前を自分の即位名に組み込んでいった。ホルスも同時に様々な姿に変わった。まさにホルスとファラオは、一体だったのである。
まずラーがエジプトの主神になるとホルスは、ラーの息子になり、ファラオも「神の息子」に変わった。またホルスがイシスの息子に変わるとイシスは、玉座の守護者、幼いファラオの守護神に変わった。さらにホルスの宿敵セトを信仰する勢力からファラオが即位するとホルスは、セトと習合された。最終的にアメン信仰の中心テーベからファラオが即位してラーがアメンに吸収されるとホルスもファラオも「アメンの息子」になった。
崇拝
ホルスは、様々な地域や時代の間に他の多くの神と習合し、異なる姿と名前で信仰された。
天空神であったことから初期のホルスは、太陽と月がその両目だとされていた。

ホルスを崇拝する人々が上エジプトのベフデト(Behdet)にまで広がるとホルスは、ホルス・ベフデティ(Horus-Behdeti、「エドフのホルス」の意)と呼ばれ、ラーの息子とされ、オシリスの敵たるセトを倒す神とされた。主に国家の守護神、外敵と戦う神として信仰される。その姿は、隼の頭をもつ人間あるいは、隼の頭を着けた杖を携えた鷹の頭をもつ人間として表現された。
ホルアクティ(Harakhte、「地平線のホルス」の意)の名では、ケプリとアトゥムの性質を帯び、隼の頭をもつ人間の姿で表現され、光の神として毎日東から西へと地平を渡り、太陽神ラーと同一視された。
ハルマキス(Hor-em-akhet、「地平線におけるホルス」の意)の名では、スフィンクスの姿で主に表現された。日の出の太陽とみなされ、復活を象徴する者となり、ケプリとも関連づけられた。また彼は、多くの知恵を備えた者とされた。
ホルス・ベフデティと呼ばれたホルスは、まだ太陽神ではなかった上下エジプト王のラーの元で戦い、セトに勝利した。ラーが各神殿に翼のある太陽円盤を置かせたことからホルス・ベフデティは、その太陽円盤の姿で表現されることになり、さらに戦場のファラオの戦車の上を飛ぶ、王権の殻竿などをもつ隼としても表現された。ここに至ってホルスとラーは同一視され、習合したラー・ホルアクティ(Ra-Harakhte、「地上のホルスたるラー」の意)となった。

イシスの息子としてホルスは、ハルシエシス(Harsiesis、「イシスの息子ホルス」の意)と呼ばれた。これは、オシリスへの信仰が高まるにつれ、その息子のホルスに太陽神ホルスの一部が同化したものと考えられている。古い神話では、セトと戦ったのはホルス・ベフデティであったが、新しい神話では、ハルシエシスが戦ったとされた。ハルシエシスは、オシリスの死後に生まれ、父の仇のセトと長い間戦って勝利を得た。そして父神オシリスの後を継いで現世の統治者となった。ファラオは、ホルスを模範として国を治め「生けるホルス」の称号で呼ばれた。
ホルスは、オシリス3神の一員として崇拝されたほか、イシス信仰が発展するにつれて、子供の姿で表現されるハルポクラテス(Har-pa-khered または Heru-pa-khered、「子供のホルス」の意)として崇拝された。ハルポクラテスに授乳するイシスへの崇拝が、初期のキリスト教徒が聖母子を熱烈に信仰する一因であったと考える人もいる。ハルポクラテスは、また母神イシスの膝に乗った幼児(ホルサイセ・ハルポクラテス)として表現されることもあった。

▲『死者の書』の一つ、『フネフェルのパピルス』の一部。死者をオシリスに紹介するホルス。着座したオシリスの前にはホルスの4人の息子がいる。
ホルスは、死者と共に埋葬される『死者の書』にも描かれている。死者の王国に着いた死者を最初に迎えるのは、アヌビス、マアト、ホルスのいずれかであった。死者の心臓と真理の羽毛とを天秤にかけるのもアヌビスまたは、ホルスとされた。そしてホルスは、計量を無事に終えた死者をオシリスに紹介して永遠の命を受けるべきことを伝えるのである。あるいは、オシリスの次に自分とセトのどちらが王位に就くべきか論争し、勝利したことから裁判の神ともなった。












