ユダヤ教
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ユダヤ教(ヘブライ語: יהדות)は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(יהוה)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。
ただしメシア思想は、現在ではハバド・ルバヴィッチ派などを除いて中心的なものとなっていない。
『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』に当たる書物)が重要な聖典とされる。
◆タナハ tanakh
『タナハ』 (ヘブライ語ラテン文字転記:tanakh)、『ミクラー』 (miqra') と呼ばれる書を聖典とする。
タナハ(タナク、タナフ、ヘブライ語: תנ״ך、Tanakh)は、ユダヤ教の聖書のことであり、すなわちヘブライ語のヘブライ語聖書を指す言葉である。

ユダヤ教では聖書を3つの部分に分け、それぞれを以下のように呼ぶ。
タナハとは、この3つを指す
תורה, נביאים וכתובים
(トーラー、ネイビームおよびクトビーム)
のことであり、3つの頭文字 T・N・K に母音を付した語である。
タナハは本来セーフェルー・トーラー (Sefer Torah) として巻物の形であった。
なお、「旧約聖書(Old Testament, הברית הישנה)」というのはキリスト教徒や彼らの影響を受けた異教徒の呼び方、考え方であり、ユダヤ教、つまりユダヤ人はキリスト教徒の言う「新約聖書」を認めないため(「古い契約」とも考えないため)、旧約聖書とは呼ばれない。
◆ヘブライ語聖書(タナハ tanakh)(: תַּנַ"ךְ、תּוֹרָה, נביאים ו(־)כתובים))
ヘブライ語聖書とは、ユダヤの「聖書」。
聖書ヘブライ語 (Biblical Hebrew) で書かれており、ユダヤ教の「聖書正典」である。

最初の5書(: חֻמָשׁ, Pentateuch, 狭義の「トーラー」)とタナフ全体(トーラー、ヘブライ語: תּוֹרָה)は、「成文トーラー、成文律法(ヘブライ語: תּוֹרָה שֶׁ(־)בִּכְתָב, Written Torah, Written Law)」として、口伝トーラー(ヘブライ語: תּוֹרָה שֶׁ(־)בְּעַל־פֶּה, Oral Law)と主に「二重のトーラー (Dual Torah)」の一部とされる。「トーラー(תּוֹרָה)」は教え、指図、理論、学説の意味であり、算術(תּוֹרַת הַ(־)חֶשְׁבּוֹן)、論理学(תּוֹרַת הַ(־)הִגָּיוֹן)、認識論(תּוֹרַת הַ(־)הַכָּרָה)、のように一般名詞としてもつかわれる。口伝トーラーは「タルムード(「学び」)」の代名詞となった。
【タナハの内容】

しかし、ユダヤ教は信仰、教義そのもの以上に、その前提としての行為・行動の実践と学究を重視し、キリスト教、特にルター主義とは違う。例えば、ユダヤ教の観点からは、信仰を持っていたとしても、アミーダー・アーレーヌー・ムーサーフなどを含んだシャハリート・ミンハー・マアリーブを行わないこと、シェマア・イスラーエールを唱えないこと、ミクラーを読まないこと、食事の前とトイレの後の手洗いと祈りを行わないこと、戸口のメズーザーに手を当てて祈りを行わないこと、カシュルートを実行しないこと、タルムード・トーラー、ベート・ミドラーシュ、イェシーバー、コーレールなどミクラーとラビ文学の研究を行わないこと、シャッバートを行わないこと、パーラーシャーを読まないことなどは、ユダヤ教徒としてあるべき姿とは言えない。
「信じるものは救われる」などという講義をするラビはとても考えられない。そのため改宗にも時間がかかり、単なる入信とは大きく異なる。
ユダヤ教では、改宗前の宗教に関係なく、「地上の全ての民が」聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができる、と考える。「改宗者を愛せ」という考え方は、次のようなことばにもみることができる。
| 「 | וַאֲהַבְתֶּם, אֶת-הַגֵּר: כִּי-גֵרִים הֱיִיתֶם, בְּאֶרֶץ מִצְרָיִם 寄留者(ゲール)を愛しなさい:あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである (ミツワー、典拠は申命記10:19) | 」 |
すなわち、血縁よりも教徒としての行動が重要視されることも多い。非ユダヤ人も神の下僕となり、神との契約を守るならユダヤ教徒になることができるとされる。ユダヤ人が神の祭司であるのに対し、非ユダヤ人は労役に服するという差別性がある。
ユダヤ教を信仰する者をユダヤ人と呼ぶ一方、形式的に考えれば初期のキリスト教徒はすべてユダヤ人だったのであり、「ユダヤ人キリスト教徒」という矛盾を含んだ呼称も成立する。世界中の全ての民族は「ユダヤ教」に改宗することによってユダヤ人となりうるのであり、ユダヤ人は他宗教に改宗することによって、もはや狭い意味での「ユダヤ人」ではなくなってしまう。これは民族の定義を血縁によるのか、宗教によるのか、「ユダヤ教」が「民族宗教」なのか、あるいは「ユダヤ人」が「宗教民族」ともいえるのか、といった問題につながる。
このように、内面的な信仰に頼らず行動・生活や民族を重視し、また唯一の神は遍在(ヘブライ語ラテン文字転記:maqom)すると考える傾向(特にハシディズムに良く現れる概念)があるため、ユダヤ教の内部にはキリスト教的、またイスラム教的な意味での排他性は存在しない。
7つの戒めとは、タルムードの記載によれば神がノアを通じて全人類に与えたものといわれる七つの戒めのことである。7つの戒めを守る道もユダヤ教並の神へ帰る道であるとされる。
◆ノアの7つの戒め
ノアの7つの戒め(Hebrew: שבע מצוות בני נח Sheva mitzvot B'nei Noach)とは、タルムードの記載によれば神がノアを通じて全人類に与えたものといわれる七つの戒めのことである。英語では、Noahide Lawとも表記する。 ノアの7つの戒めを教える団体は、アメリカ合衆国及びヨーロッパ、イスラエル、その他の国に存在する。ちなみにノアの七つの戒めに関する書籍は英語版をはじめ良書が見受けられるが、日本語版は皆無である。
【ノアの7つの戒め】
1.偶像崇拝の禁止。
2.殺人の禁止。
3.盗難の禁止。
4.性的不品行の禁止。
5.冒涜の禁止。
6.まだ生きている動物の中から取られる肉を食べることの禁止。
7.法的手段を提供するために裁判所を維持するための要件。

▲箱舟の建設を指揮するノア

▼ノアの箱舟が大洪水の後、流れ着いたとされるアララト山 (標高5,137m)

◆『創世記』のノアの箱舟とアララト山
神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のヤニで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。
— 『創世記』より
▼ホルヴィラップ修道院とアララト山

アララト山は、トルコ共和国の東端にある標高5,137mの山(成層火山)。トルコ語ではアール山と呼ぶ。主峰の東南にあたる標高3,896mの頂上を小アララト山と呼んでおり、それに対して標高5,137mの主峰は公式には大アララト山という。アルメニアとの国境から32km、イランとの国境から16kmである。
ユダヤ戒律を破らなければ、ユダヤ教と習合することができるとされる。
たとえばユダヤ仏教、ユダヤ=ヒンドゥー教などがある。
ユダヤ教の教え・信仰
ユダヤ教徒はタルムードと呼ばれる教典に従って行動すると知られているが、これはラビ的ユダヤ教徒に限られる。タルムードは2世紀頃からユダヤ人の間で幾たびも議論の末に改良を重ねられてきた生活および思想の基礎であり、家族やユダヤ人同士でタルムードの内容について討議する事もある。
教育
ユダヤ教において最も特徴のある分野は教育であり、ユダヤ教徒は教育こそが身を守る手段と考え、国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべきとされている。そのため一般大衆のほとんどが文盲だった紀元前からユダヤ人の共同体では授業料を無料とする公立学校が存在していた。平均的なユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をよい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。家庭では特に父親の存在が重要で、先導して子供に勉強、タルムードなどを教え、子供を立派なユダヤ人に育てたものは永遠の魂を得ると信じられている。また子供が13歳に達するとバル・ミツワー(成人式)の儀式が行われ完全に大人と同様と扱われる。
死生観
一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済など)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。
カバラ神学では、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神はすべての生命に内在し、ただ唯一神様は永遠の魂(命の木)である。個体が善悪を分かち、銘々の記憶は神様へ帰っている。神様はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。神様では、善の記憶が再創造の素材になり、悪の記憶がなくなる。
カバラではそのような寓話がある:毎年贖罪の日ではすべての生命は死んで、生き返り、悪もなくなる。(あるいは、毎年角笛吹きの祭から贖罪の日までの間にすべての生命は死んで、記憶が神様へ帰った。贖罪の日から光の祭りまでの間に神様は再創造し、善の記憶がすべての生命へ帰った。)死亡はただ贖罪の日と同じである。
労働
労働は神の行った行為のひとつであるため、神聖な行為と考えられている。そして、安息日と呼ばれる休日を週1回は必ず行うべきであり、安息日の間は労働はしてはならず、機械に触れてもいけない。自分自身を見つめ、自分と対話したり、家族と対話したりする。
人間は創造主の代わりに労働をする存在として作られたとされる。 労働により得た賃金や物質は一部を創造主に捧げなければならない。
性
ユダヤ教では性衝動や性行為は自然なもので、必要悪と見なすことは無い。 夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。 また、快楽を伴わない性交は罪とされる。
ただし妊娠・出産を重視する教義のために、保守的な派閥の一部には、自慰行為を悪とみなす意見が存在する。
男性の同性愛は戒律を破ることとされる。女性の同性愛は戒律を破らない。
信徒分布
歴史
ユダヤ教の成立

▲モーセ像(ミケランジェロ作)
◆モーセ五書
モーセ五書(モーセごしょ)、時にはトーラ(ヘブライ語: תורה)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。モーゼの五書、律法、ペンタチュークとも呼ばれる。これらはモーセが書いたという伝承があったのでモーセ五書と言われるが、近代以降の文書仮説では異なる時代の合成文書であるという仮説を立て、モーセが直接書いたという説を否定する。ただし保守的なキリスト教会と学者は今日もモーセ記者説を支持している。
モーセ五書一覧
◆『創世記』
『創世記』(ヘブライ語:בראשית、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。
『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取ってבראשית(ベレシート)と呼ばれているおり、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとってΓένεσις(ゲネシス)と呼ばれており、「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。

主な内容
内容は、「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の大きく3つに分けることができる。
- 天地創造と原初の人類
- 太祖たちの物語
- アブラハムの生涯 12章 - 25章
- ソドムとゴモラの滅亡 18章 - 19章
- イサクをささげようとするアブラハム 22章
- イサクの生涯 26章 - 27章
- イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章 - 36章
- アブラハムの生涯 12章 - 25章
- ヨセフの物語
- 夢見るヨセフ 37章 - 38章
- エジプトでのヨセフ 38章 - 41章
- ヨセフと兄弟たち 42章 - 45章
- その後のヨセフ 46章 - 50章
ユダヤ人の歴史の物語は、聖書で『創世記』の次に置かれている『出エジプト記』へ続いていく。
◆『出エジプト記』
『出エジプト記』(ヘブライ語: שמות、英語: Exodus)は、旧約聖書の二番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。モーセ五書(トーラー)のひとつであり、ユダヤ教では本文冒頭の言葉から『シェモース』と呼ぶ。全40章から成る。
エジプト脱出とシナイ山での契約が二つの大きなテーマとなっている。キリスト教において旧約聖書という時、「旧約」すなわち古い契約というのはこのシナイにおける神と民との契約のことをさしている。
- エジプト脱出
- 神と民の契約
成立
『出エジプト記』はエジプト脱出の物語に後から契約の内容と細かい規定が組み合わされて完成したと考えられている。モーセ五書の配列で『出エジプト記』の次にあたるのは『レビ記』であるが、『レビ記』は全編が宗教的規定に関しての書であるため、『出エジプト記』は内容的にはその次の『民数記』へ繋がっているといえる。
なお、22章18節にある「呪術を使う女はこれを生かしておいてはならない」という部分が『欽定訳聖書』では「魔女」(witch)と訳され、この『聖書』が広く読まれたことで、魔女狩りの『聖書』における根拠とみなされることになった。
◆『レビ記』
『レビ記』(ヘブライ語: ויקרא、英: Leviticus)とは旧約聖書中の一書で、伝統的に三番目に置かれてきた。モーセ五書のうちの一書。ヘブライ語では冒頭の言葉から「ワイクラー」と呼ばれるが、これは「神は呼ばれた」という意味である。内容は律法の種々の細則が大部分を占めている。
内容は大きく二つに分けられる。
- 1章から16章および27章 - 儀式の方法、形式、清浄と不浄の規定など祭司のための規定集。
- 17章から26章 - 神聖法集と呼ばれるすべての民に向けた規定集。
レビ記の規定はユダヤ教における律法の核となった。
- 祭司の規定
- 献げ物に関する規定(1章~7章)
- アロンの故事とそれにちなむ祭司の聖別などの規定(8章~10章)
- 清浄と不浄に関する規定(11章~16章)
- 神聖法集
- 献げ物と動物の扱いに関する規定(17章)
- 厭うべき性関係に関する規定(18章)
- 神と人との関係におけるタブーに関する規定(19章)
- 死刑に関する規定(20章)
- 祭司の汚れに関する規定(21章)
- 献げ物に関する規定(22章)
- 祝い日に関する規定(23章)
- 幕屋に関する規定(24章1-9節)
- 神への冒涜などに関する規定(24章10-23節)
- 安息年とヨベルの年に関する規定(25章)
- 偶像崇拝の禁止と祝福と呪いに関する規定(26章)
- 誓いと関係する献げ物の規定(27章)
古代、ユダヤ教では『レビ記』の内容を神がシナイ山でモーセに語ったことであるとみなし、律法の源泉として尊重してきた。キリスト教にモーセ五書が受け継がれたとき、ユダヤ教の儀式から離れたキリスト教徒たちは、『レビ記』を「イエス・キリストの祭司職の予型」として新たに解釈しなおした上で受け入れた。このような『レビ記』解釈は『ヘブライ人への手紙』などに見ることができる。
近代に入って批判的な学術的研究が進められた結果、モーセ五書がいくつかの資料が組み合わされて成立したという新資料仮説がリベラル派で広く認められるようになった。『レビ記』に関しては祭司資料(P資料)に由来するもので、古代からの規定をまとめていった過程で成立したものであるとされている。また、かつては祭司の規定と神聖法集は別個の書物であったが、いずれかの時点でまとめられたのであろうと主張されている。
◆『民数記』
『民数記』(ヘブライ語: במדבר、英語: Numbers)とは旧約聖書中の一書で、伝統的に四番目に置かれてきた。モーセ五書のうちの一書。イスラエルの民の人口調査に関する記述があることから、七十人訳聖書では『アリスモイ』(数)と呼ばれ、そこから民数記という名称が生まれた。ヘブライ語では冒頭の語から『ベミドバル』と呼ばれるが、これは「荒野にて」という意味である。
物語は出エジプトの出来事から二年二ヶ月後に始まり、ヨルダン川にたどりつくのが40年目であるとしている。
大きく分けて以下の三つに分けられる。
- シナイ山における人口調査と出発に至るまでの記述、ナジル人など種々の規定(1章~10章10節)
- シナイ山からモアブにいたる道中の記述、カナンへの斥候の報告にうろたえる民の姿(10章11節~21章20節)
- カナンの民との戦い、ヨルダン川にたどりつくまで(21章21節~36章)
- 1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
- 2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
- 3章 レビ人の祭司としての職務
- 4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
- 7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
- 10章~12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
- 13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
- 15章~17章 コラの反逆、アロンの杖
- 18章~19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
- 20章~21章 メリバの出来事、ミリアムとアロンの死、カナン人アラドの王の死、青銅の蛇による罰、アモリの王シホンとオグとの戦い
- 22章~24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
- 25章~27章 カナン入りを前にした人口調査。後継者ヨシュアの任命
- 28章~29章 献げ物に関する規定
- 30章~32章 ミディアンへの勝利、逃れの街の規定
- 33章~36章 エジプトを出てからの旅程、イスラエルの嗣業の土地、レビ人の町、相続人が女性である場合の規定
◆『申命記』
『申命記』(ヘブライ語: דברים)とは旧約聖書中の一書で、モーセ五書のうちの一書で5番目に置かれてきた。
ヘブライ語では冒頭の語から『デヴァリーム』と呼ばれるが、これは「言葉」という意味である。『第二法の書』とも呼ばれ、七十人訳聖書では『デウテロノミオン』(Δευτερονόμιον)、ヴルガータ聖書では『デウテロノミウム』(Deuteronomium)の名称で呼ばれている。これは七十人訳の訳者が17章18節になる「律法の写し」という言葉を「第二の律法」という意味に誤訳したことからつけられた名称である。日本語の『申命記』という言葉は漢語訳聖書の名称から来ており、「繰り返し命じる」という意味の漢語である。
『申命記』は、伝承では死を前にしたモーセがモアブの荒れ野で民に対して行った3つの説話をまとめたものであるとされている。
- 第1の説話(1章~4章)では、40年にわたる荒れ野の旅をふりかえり、神への忠実を説く。
- 第2の説話(5章~26章)は中心部分をなし、前半の5章から11章で十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章で律法が与えられている。
- 最後の説話(27章~30章)では、神と律法への従順、神とイスラエルの契約の確認、従順なものへの報いと不従順なものへの罰が言及される。
- 最後の説話の後、モーセは来るべき死への準備をし、ヨシュアを自らの後継者として任命する。その後、補遺といわれる部分が続く。
- 32章1節~47節は、『モーセの歌』といわれるものである。
- 33章では、モーセがイスラエルの各部族に祝福を与える。
- 32章48節~52節および34章では、モーセの死と埋葬が描かれて、モーセ五書の幕が閉じられる。
古代以来、伝承ではモーセ五書はすべてモーセが書いたとされていた。タルムードは、初めてモーセがモーセ五書のすべてを書いたという伝承に関する議論を提起した。どうやってモーセが自らの死を記述しえたのかという疑問が示されたのである。あるラビはモーセが自らの死と埋葬を予言的に記述したという見解を述べたが、多くのラビたちはモーセの死と埋葬に関する部分のみヨシュアが書いたということで、この疑問への答えとした。
中世の解釈
中世に入ると12世紀のユダヤ人聖書学者アブラハム・イブン・エズラがモーセ五書に関する初の学術的研究を行って、『申命記』は記述のスタイルや語法が他の四書と異なっていることに気づいた。彼は古代以来の伝承に従っておそらくスタイルの違いはモーセとヨシュアの違いによるものだろうと考えたが、15世紀のドン・アイサック・アブラヴァネルは『申命記詳解』の序文で申命記のみ他の四書と違う(ヨシュアでもない)別個の著者の手によるものという見解を示した。
近代自由主義の解釈
近代に入ってから、旧約聖書とイスラエルの歴史に関する学術的な研究がすすむと『列王記下』の終盤と『歴代誌』34章であらわれヨシヤ王治下での宗教改革と『申命記』を結びつける説が18世紀初頭W・M・L・デ・ヴェッテにより初めて唱えられた。
[1]その部分の記述によれば紀元前621年、ヨシヤ王は聖所から偶像崇拝や異教の影響を排除した。その過程で大祭司ヒルキヤの手によって律法の失われた書物が発見されたというのである。ヒルキヤはヨシヤ王にこの書物を見せ、2人は女預言者フルダにこれが失われた律法の書であることの確認を求めた。フルダがこれこそが本来の律法であると告げたため、王は民衆の前でこの書を読み上げて、神と民の契約の更新を確認し、以後の儀式がこの書にもとづいて行われるむねを告げた。タルムードの中のラビたちの伝承と同じく、近代の研究者たちもこの「失われた書物」は『申命記』に他ならないと考えた。『申命記』はモーセ五書の中で唯一、「ただひとつの聖所」の重要性を訴えている。当時、多くの場所にあった聖所を一箇所にまとめること、それによって王権を強化することがヨシヤ王の改革の狙いだったのではないかと考えられたのである。このことから、ヨシヤの改革を「申命記改革」(「申命記革命」「申命典革命」とも)と呼ぶ。
ラビたちはなぜヨシヤ王とヒルキヤが女預言者フルダにのみ書物を見せ、同時代のもっと有名な預言者エレミヤとゼカリヤに見せなかったのかという非常に重要な疑問も示している。これに対するラビたちの解答は、ゼカリヤは病気であったから、エレミヤは遠出していたからというものであった。
デ・ヴェッテのモーセの著者性を否定する文書仮説をリベラル派でそのまま受け入れる人は少ない。
[2]しかし、申命記を前7世紀のものとする立場はほとんどの批評学者が受け入れている。ウェインフェルトは、その根拠として申命記の構成が前7世紀のアッシリヤ国家の条約文の表現形式に影響されていることを挙げている。 それに対し、保守的聖書学者のK・A・キッチンは申命記1章-32章の構造は前2千年期後半の宗主権条約の形式に合致しており、申命記の著作年代を前7世紀にする必要はないと考える。
現代の保守的解釈
ユダヤ教正統派やキリスト教福音派では『申命記』の著者がモーセであり、実際に失われてヨシヤの時代に再発見されたとされている。
1章1節の翻訳と議論
申命記1章1節の各翻訳における記述は以下のようになっていて、その訳出は安定していない。 これはヨルダンの向こうの荒野、(中略)スフの前にあるアラバにおいて、モーセがイスラエルのすべての人に告げた言葉である。— 日本聖書協会、
口語訳聖書 申命記1章1節モーセはイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、(中略)スフに近いアラバにおいてであった。 — 日本聖書協会、
新共同訳聖書 申命記1章1節是はモーセがヨルダンの此旁の曠野紅海に對する平野に在てバラン、トベル、ラバン、ハゼロテ、デザハブの間にてイスラエルの一切の人に告たる言語なり。 — 日本聖書協会、
文語訳聖書 申命記1章1節これは、ヨルダン地方の荒野、スフに面する(中略)ディザハブの間でモーセが全イスラエルに話した言葉である。 — ものみの塔聖書冊子協会、
新世界訳聖書 申命記1章1節モーセが著者であるという説を採用した場合、口語訳の表現は「著者がヨルダン川のこちら側にいる」ということになる。モーセはヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された国を目にしながらこの世を去ったため矛盾する。
◆預言者(ネイービーム)8巻
預言者(英語: prophet)とは、「自己の思想やおもわくによらず、霊感により啓示された神意 (託宣) を伝達し、あるいは解釈して神と人とを仲介する者。祭司が預言者となる場合もあり、しばしば共同体の指導的役割を果す。」
預言者。
- 前・預言者4巻。ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
- 後・預言者4巻。イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、
12の小預言書(ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書)
◆ユダヤ教における預言者
ディアスポラ後のユダヤ教徒たちは、70年にエルサレム神殿が破壊されて以来、預言者はユダヤの民に下されなくなったのだと考えている。
この世に預言者がなくなれば、神との契約は更新されることはありえないとし、ユダヤ教徒はモーセの「旧い契約」に対して、キリスト教で神と結んだ「新しい契約」と主張される新約聖書の内容を認めていない。
前・預言者4巻
◆『ヨシュア記』
『ヨシュア記』(ヨシュアき、ヘブライ語: ספר יהושע)は聖書の書物である。
そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類される。
この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24章26節)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされている。
高等批評をする聖書学者たちは、創世記~申命記のモーセ五書にヨシュア記を加えて「六書」と考え、J, E, D, Pなどの資料から成っていると考える者もいるが、M.ノートなどは申命記とヨシュア記は共にD資料(申命記資料)のみによると考えている。
1952年から1957年まで、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2~7章の物語が)創作されたと考えられる。また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる。
この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24章26節)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされている。
高等批評をする聖書学者たちは、創世記~申命記のモーセ五書にヨシュア記を加えて「六書」と考え、J, E, D, Pなどの資料から成っていると考える者もいるが、M.ノートなどは申命記とヨシュア記は共にD資料(申命記資料)のみによると考えている[2]。
1952年から1957年まで、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2~7章の物語が)創作されたと考えられる。また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる。
この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24章26節)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされている。
高等批評をする聖書学者たちは、創世記~申命記のモーセ五書にヨシュア記を加えて「六書」と考え、J, E, D, Pなどの資料から成っていると考える者もいるが、M.ノートなどは申命記とヨシュア記は共にD資料(申命記資料)のみによると考えている。
1952年から1957年まで、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2~7章の物語が)創作されたと考えられる。また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる。
背景となる出来事
エジプト脱出時に20歳を超えていた者のうち、ヨルダン川を渡ることを許されたのはヨシュアとカレブの2人だけである。モーセはヨルダン川を渡ることを許されなかった。また、ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダン川東岸に定住することを決めるが、仲間を助けるためにヨルダン川西岸に渡って共に戦うことをモーセに確約する。
ヨシュアによる占領(1-11章)
モーセの死後、神はヨシュアにヨルダン川を渡るよう命令する。ヨシュアは民に準備を促す。二人の斥候がエリコに派遣される。エリコの王は斥候を捕らえようと探索するが、娼婦ラハブは斥候たちを匿う。斥候たちに対し、ラハブは、自分と親族の身の安全を保障してくれるよう請願する。斥候たちは身を守る方法をラハブに伝え、ヨシュアの元に帰って報告する。三日目に、ヨシュアはヨルダン川の手前で宿営を張る。その翌日、ヨシュアは神の命令通り、契約の箱を携えた祭司たちをヨルダン川に入らせる。川の上流で水が堰き止められてヨルダン川が干上がり、その間に全員が川を渡る。ルベン、ガド、マナセの半部族のうち、四万人の戦士も共にヨルダン川を渡る。神はギルガルに記念碑を建てるよう命じる。ヨシュアはギルガルとヨルダン川の祭司たちが立っている場所に、それぞれ記念碑を建てさせる。民はヨシュアがモーセの後継者であることを認めるようになる。ギルガルに宿営が張られる。神は民に割礼を施すようヨシュアに命じる。民はギルガルで過越を祝う。過越の翌日、マナの供給が終わる。ヨシュアは聖なる所へと足を踏み入れてしまい、サンダルを脱ぐよう「主の軍の将軍」に命令される。神はヨシュアに詳細な指示を出す。民がその指示通りに行動すると、エリコの城壁が崩れる。エリコの住民と家畜は、ラハブに属するものを除き、すべて滅ぼされる。ヨシュアはエリコに対する呪いの言葉を語る。
アカンはエリコの戦利品を隠し持つ。ヨシュアは斥候の提案に従いアイに三千の兵を差し向けるが、派遣隊は敗北し、民は動揺する。神はヨシュアに、エリコの戦利品を隠し持つ者がいることを告げる。アカンが選び出され、彼は罪を認める。アカンとその家族、および彼の所有する家畜に至るまで石打ちにされる。神は再びアイを攻めるよう、また、都市の背後に伏兵を配置するようヨシュアに命じる。ヨシュアは三万の兵を夜のうちに送り出し、自らは敗走を装う兵を指揮する。アイの兵は都市を出てヨシュアを追撃するが、挟撃されて全滅する。王も捕虜となり殺され、住民も皆殺しにされる。アイは焼かれ、ヨシュアたちは神に命じられた通りアイの町の家畜と分捕り品を自分たちのために奪い取った。ヨシュアはモーセによって命令された通り、エバル山に祭壇を築き、犠牲を捧げる。ヨシュアはその祭壇にモーセの律法の写しを記す。民はエバル山とゲリジム山の前に集められ、彼らの前で律法の全ての言葉が朗読される。
ギブオン周辺に住むヒビ人たちは、侵攻して来たイスラエル人を欺いて協定を結ばせることに成功し、殺されることを免れる。しかし、その策略はすぐに発覚し、彼らは祭壇の「柴刈りまた水くみ」をする者としてイスラエル人に仕えることになる。「アモリ人の五人の王」がギブオンを攻め、ギブオン人はヨシュアに助けを求める。イスラエル人は夜を徹して行軍し、アモリ人を急襲する。敗走するアモリ人を雹が襲う。ヨシュアが太陽と月に命令すると、太陽と月は「まる一日」静止する。五人の王は捕虜となり処刑される。ヨシュアはヨルダン川西岸の都市ギルガルから地中海沿岸の都市ガザに至るまで、また、その南方に広がる荒野に至るまでの地域に点在する諸都市を滅ぼし家畜などを奪っていく。ハツォルの王ヤビンを盟主とする大軍がメロムの水場に集結する。ヨシュアはこれを急襲し、敗走する敵を追撃して全滅させる。ヨシュアはハツォルを滅ぼして都市を燃やす。また、他の都市も滅ぼすが、ハツォル以外の都市は燃やさなかった。北方は、ヘルモン山の麓の都市、バアル・ガドに至るまでのヨルダン川沿いの地域を攻略する。
土地の配分(12-21章)
モーセの占領したヨルダン川東岸の地域。ヨシュアの占領したヨルダン川西岸の地域と王の一覧。神は高齢となったヨシュアに、未征服地を含んだヨルダン川西岸の土地を、九部族とマナセの半部族との間で分配するよう命じる。ヨルダン川東岸の地を相続した二部族と半部族、およびレビ族が相続地を持たないことについての解説。相続地を決めるために「くじ」が用いられる。カレブはヘブロンの相続を求め、許可される。
ユダ族の相続地。カレブによるヘブロン攻略。マナセ族とエフライム族の相続地。相続地が少ないことに対する不満と、それに対するヨシュアの助言。ヨシュアはまだ相続地の決まっていない七部族に対して未征服地の調査を命じ、その調査記録を基に土地を配分する。ベニヤミン族の相続地。シメオン族の相続地。ゼブルン族の相続地。イサカル族の相続地。アシェル族の相続地。ナフタリ族の相続地。ダン族の相続地。ヨシュアはティムナト・セラを相続地として受け取る。
神はヨシュアに逃れの町を定めるよう命令し、六つの都市が定められる。相続地のないレビ族に対し、各部族の相続地から居住のための都市が与えられる。
シケム契約(22-24章)
ヨシュアはルベン、ガド、マナセの半部族の戦士たちを郷里へと帰らせるが、彼らがヨルダン川のほとりに大きな祭壇を築いたことが伝えられ、ヨルダン川東岸の部族に対する軍事行動が検討される。ピネハスらが派遣され、彼らにヨルダン川西岸へと移住するよう勧めるが、彼らの説明する祭壇を築いた目的は好ましいものであったため、軍事行動は起こされなかった。ヨシュアは長老たちを呼び、モーセの律法を守り行うよう諭す。ヨシュアは全イスラエルをシケムに集め、彼らに神の言葉を伝える。民はヤハヴェに仕え続けることを誓い、その証拠として大きな石が立てられる。ヨシュアの死と埋葬。エジプトから運ばれてきたヨセフの骨はシケムに埋葬される。エレアザルの死と埋葬。
◆『士師記』
『士師記』(ししき)は聖書の書物である。
ヨシュアの死後、サムエルの登場に至るまでのイスラエル人の歴史が含まれており、他民族の侵略を受けたイスラエルの民を、「士師」と呼ばれる歴代の英雄達が救済する内容である。この書物は、キリスト教においては旧約聖書に、また、ユダヤ教においては預言者に分類される。この書物の原作者は、伝統的にサムエルであると信じられている。
時代背景(1:1-3:6)
ヨシュアの死後、イスラエルの各部族は各自の相続地を攻略してゆくが、彼らは神の命令通りにカナン人たちを完全に滅ぼすことはせず、彼らとの共存の道を選ぶ。み使いが現れ、『申命記』7章での宣言通り、カナン人たちが「罠となる」ことを告げる。士師たちの時代の概要。罠となる国民の一覧
士師たちの活躍(3:7-16章)
アラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムがイスラエル人を支配する。オトニエルは士師となり、アラム人を追い払う。モアブ人の王エグロンがイスラエル人を支配する。エフドは士師となり、エグロンを暗殺した後、モアブ人を追い払う。シャムガルは士師となり、ペリシテ人に勝利する。ハツォルの王ヤビンがイスラエル人を支配する。シセラが軍を指揮する。女預言者デボラはバラクを士師として任命し、また、彼にシセラの死に様を告げる。バラクはシセラの指揮する軍を壊滅させ、シセラを追跡するが、シセラはデボラの告げた通り、「女の手に」よって殺害される。また、カナン人ヤビンに対しても勝利する。デボラとバラクによって、神への賛美が歌われる。
ミディアン人、アマレク人たちが略奪を繰り返す。ギデオンの前にみ使いが現れ、彼が神から士師として任命されたことを告げる。彼はバアルの祭壇と聖木を壊し、そこにヤハウェの祭壇を築いて犠牲を捧げる。ミディアン人、アマレク人たちの軍が集結する。ギデオンの下に三万二千人が集まるが、神は三百人を選出し、他の者たちを去らせる。その夜、ギデオンと三百人の兵がミディアン人たちを取り囲むように分散し、周囲で角笛を吹き鳴らすと、敵兵は同士討ちを始めて壊走する。周辺のイスラエル人は再び呼び集められて追撃に加わる。またこの時、エフライム族がヨルダンを攻略する。これら一連の戦闘で死亡したミディアン人たちは十二万人を数える。ギデオンと三百人の兵はさらに追撃を続ける。スコトとペヌエル、二つの都市において、ギデオンは兵のために食物を求めるが嘲笑され拒否される。ギデオンはカルコルでミディアン人たちを奇襲し、二人の王、ゼバとツァルムナを捕虜にする。その帰途、二人の王は証拠としてスコトとペヌエルの住民の前に示され、二つの都市はその嘲笑の言葉ゆえに滅ぼされる。また、二人の王も処刑される。民はギデオンが自分たちの支配者となることを望むが、彼はこれを拒否する。ギデオンは戦利品からエフォド(祭司の装身具)を作成する。
ギデオンの息子、アビメレクは、ギデオンの他の息子たちを殺害し、シケムで王となる。ただ一人難を逃れた末の息子、ヨタムは、アビメレクとシケムに対する呪いの言葉を語る。後に、シケムの住民はアビメレクに反感を持つようになり、ガアルがシケムを訪れると、その住民は彼を信頼するようになる。宴席において、シケムの住民がアビメレクの上に災いを呼び求めると、ガアルはそれに乗じて、アビメレクとシケムの事務官ゼブルの二人を嘲笑する。ガアルの嘲笑に怒ったゼブルは、アビメレクとガアルの双方を炊きつけて両者を戦わせる。この戦闘はアビメレクが勝利し、シケムは滅ぼされる。テベツの攻略戦で、女の投げ落とした石臼がアビメレクの頭に当たり致命傷を与えると、彼は従者に自分を殺させる。
アビメレクの死後、トラが士師となる。ヤイルが士師となる。イスラエル人は他の神々を崇拝するようになる。ペリシテ人、アンモン人がイスラエル人を悩ませると、民は再びヤハウェの救いを求めるようになる。アンモン人がギレアドに、イスラエル人がミツパに布陣する。ギレアドの人々はエフタを司令官として任命する。アルノン周辺の境界線に対する、エフタとアンモン人の王、双方の主張。エフタはアンモン人との戦闘に勝利するが、戦闘前に自ら神に誓約したその誓約に従って、自分の一人娘を神に捧げる。エフライム族の者たちがエフタの行動に不満を抱き、ギレアドに攻め込むが、エフタとギレアドの人々は彼らを返り討ちにする。エフタの死後、イブツァンが士師となる。エロンが士師となる。アブドンが士師となる。
ペリシテ人がイスラエル人を支配する。み使いがマノアの妻の前に現れ、彼女が男子を産むこと、その子がイスラエルを救出することを告げる。誕生した男子はサムソンと名付けられる。サムソンはティムナに住むペリシテ人の女と結婚する。サムソンとティムナの人々は険悪となり、サムソンの妻は、彼女の父によって他の者に与えられる。報復に次ぐ報復。サムソンは千人のペリシテ人を倒す。サムソンは、自分の力の秘密をソレクの谷に住むデリラに明かしてしまい、ペリシテ人に捕らえられ両目をくり抜かれる。三千人のペリシテ人がダゴンを崇拝するために集まり、サムソンを見世物にしようとするが、力を回復したサムソンはダゴンの神殿の柱を倒し、ペリシテ人を巻き添えにして神殿の下敷きとなり死亡する。
ダン族の定住(17-18章)
神殿を所有するエフライム族の人、ミカは、モーセの子孫であるレビ人、ヨナタンを祭司として迎える。ダン族はライシュに攻め上る途上、ミカの家で彫刻像などを奪う。その現場に居合わせたヨナタンは、説得されてダン族の祭司となる。ミカは彼らに抗議するが、脅されて退散する。ダン族はライシュを滅ぼし、その都市をダンと改名してそこに定住する。
ベニヤミン族の討伐(19-21章)
ベニヤミンの都市、ギブアでの蛮行。イスラエルの四十万人の戦士がミツパに集結し、ギブアを攻め滅ぼすことを決定する。ベニヤミンの他の都市の者たちはギブアを滅ぼすことに同意せず、二万六千人の戦士がギブアを救うために集結する。最初の二日間はベニヤミンが優位に戦い、イスラエルの四万人が戦死する。三日目に、ベニヤミンの二万五千百人が戦死し、六百人の戦士がリモンの岩場に逃れる。ベニヤミンの全ての都市が滅ぼされる。ベニヤミン族に対する救済。
なお、このエピソードには『士師記』の最後に乗っているが、アロンの孫になるピネハスが出てくる(20:28)など、時系列的には初期の話であり、このためフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』第V巻2-8章では士師記の各話時系列を「1-2章→19-21章→17-18章→3-16章」の順番だと説明している。
扱われている期間
士師たちの活動期間を単純に合計すると、以下の通りとなる。
- アラム人の奴隷下の8年間(3:8)
- オトニエルによる解放後の40年間(3:11)
- モアブ人の奴隷下の18年間(3:14)
- エフドによる解放後の80年間(3:30)
- カナン人の奴隷下の20年間(4:3)
- バラクによる解放後の40年間(5:31)
- ミディアン人たちに侵略された7年間(6:1)
- ギデオンによる解放後の40年間(8:28)
- ギデオンの息子、アビメレクが支配した3年間(9:22)
- トラが裁いた23年間(10:2)
- ヤイルが裁いた22年間(10:3)
- ペリシテ人の奴隷下の18年間(10:8)
- エフタによる解放後の6年間(12:7)
- イブツァンが裁いた7年間(12:9)
- エロンが裁いた10年間(12:11)
- アブドンが裁いた8年間(12:14)
- ペリシテ人の奴隷下の40年間(13:1)
- サムソンが裁いた20年間(15:20, 16:31)
合計410年間。しかし、『列王記』上 6章1節は、出エジプトからソロモンの神殿建設までの期間が480年であることを示しており、ここから
- エジプト脱出後、荒野でさまよった40年間
- ヨルダン川を渡ってからヨシュアが死亡するまでの期間(不明)
- サウルが王として即位した後の40年間(『使徒行伝』13:21)
- ダビデが王として支配した40年(『サムエル記』下 5:4, 『列王記』上 2:11)
- ソロモンが王として即位してから神殿の建設が始まるまでの4年(『列王記』 第一 6:1)
などを差し引くと、その期間は358年より短くなるはずであり、『士師記』から求められる410年という期間はこの枠に収まりきらない。そこで、「ある士師の活動期間は別の士師の活動期間と重なっているはずである」、とする見解が一般的である。
◆『サムエル記』
『サムエル記』は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『列王記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『サムエル記』自体も上下にわかれているが、これはギリシャ語聖書以来の伝統である。また、正教会においては列王記第一、列王記第二と呼称される。内容的には『士師記』のあとを受け、『列王記』へと続いていく。タイトルは最後の士師であり、祭司であったサムエルに由来。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『列王記』と共に「前の預言者」にあたる。 この書物の原作者は、サムエル、ナタン、ガドである。と伝えられている(歴代誌上 29:29)。
内容
最後の士師サムエルとその師エリの物語(上1:1-7:17)
サムエルの召しだし(上1:1-3:21)
イスラエルの敗北と神の箱の喪失(上4:1-7:1)
サムエルのイスラエル指導(上7:2-7:17)
イスラエルの王政の始まり(上8:1-12:25)
サウルの選びと即位(上8:1-11:15)
サムエルの告別の辞(上12:1-12:25)
サウルとダビデ(上13:1-下2:7) サウルの戦い(上13:1-15:35)ダビデの選び(上16章)
ダビデとゴリアテ(上17章)サウルの敵意とダビデの逃亡(上18章-上30章)
サムエルの死(上25章)
サウル親子の死(上31章-下2:7)
ダビデの治世(下2:8-20:26)
ユダとイスラエルの内戦(下2:8-4:12)
ダビデの即位と戦い(下5:1-10:19)
ダビデとバト・シェバ(下11:1-12:25)
ラバの占領(下12:26-31)アムノンとタマル(下13:1-13:22)
アブサロムの復讐(下13:23-14:33)
アブサロムの反乱(下15:1-19:9)
ダビデのエルサレム帰還(下20:10-20:26)
付記(下21:1-24:25) サウルの子孫(下21:1-21:22)
ダビデの歌(下22:1-22:51)
ダビデの最後の言葉(下23:1-23:7)
ダビデの家臣たち(下23:8-23:38)
◆『列王記』
『列王記』(れつおうき)は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『サムエル記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『列王記』自体も上下にわかれているが、これは七十人訳聖書以来の伝統である。また、正教会においては『列王記第三』、『列王記第四』と呼称される。内容的には『サムエル記』のあとを受け、『歴代誌』へと続いていく。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』と共に「前の預言者」にあたる。
この書物の原作者は、伝統的にエレミヤであると伝えられている。
列王記・上
列王記・下
- イスラエルとユダの王国(下1:1-17:41)
- イスラエルの王アハズヤとヨラム(下1章-3章)
- エリシャの奇跡(下4章)
- ナアマンとエリシャ(下5章)
- エリシャの物語(下6:1-8:15)
- ユダの王ヨラムとアハズヤ(下8:16-8:29)
- イエフの反乱(下9章-10章)
- 祭司ヨヤダとアタルヤ(下11章)
- ユダの王ヨアシュ(下12章)
- イスラエルの王ヨアハズ、ヨアシュ(下13:1-13:13)
- エリシャの死、イスラエルの戦い(下13:14-13:25)
- ユダの王アマツヤとイスラエルの王ヤロブアム2世(下14章)
- ユダの王アザルヤ、イスラエルの王ゼカルヤとシャルム、メナヘム、ペカフヤ、ペカ(下15章)
- ユダの王アハズ(下16章)
- イスラエルの王ホシェアと北イスラエルの滅亡(下17章)
- 紀元前721年以降のユダ王国(下18:1-25:30)
後・預言者4巻
◆『イザヤ書』
『イザヤ書』は、旧約聖書の一書で、三大預言書(『イザヤ書』、『エレミヤ書』、『エゼキエル書』)の一つ。聖書自身の自己証言と伝承では紀元前8世紀の預言者イザヤに帰される。プロテスタント教会の一般的な配列では旧約聖書の23番目の書にあたる。
概要
イザヤ書は66章からなる。1-39章までを第一イザヤ、40章以下の第二イザヤ、56章以下の第三イザヤとする説が高等批評を受け入れる学者の立場である。一方、死海写本の発見に基づいて、『イザヤ書』が一巻の巻物として統一されていたなどの理由をもって、後半も前8世紀のイザヤのものとする立場をとる学者もいる。
複数イザヤ説
複数イザヤ説の立場には、大きく前半と後半に分けることができ、前半の39章を『第一イザヤ書』と呼ぶ学者がいる。高等批評の立場の近代聖書学者は、この『第一イザヤ書』のみが紀元前8世紀の預言者イザヤ自身によって語られたと考えている(ただし、高等批評では1-39章においても多くの箇所が前8世紀のイザヤ自身によるものではないと考えられる)。
後半はさらに2つに分けられるが、高等批評では著者の名前は知られていないとされる。
高等批評では、他のほとんどの預言書がそうであるように、預言者によって語られた言葉が弟子たちによってまず口承で受け継がれ、その後文書化されて以降も複雑な編集過程を経たと考えられており、それに伴い、構成も単純ではないとされる。
1892年の注解書の中でルター派神学者ベルンハルト・ドゥーム(Bernhard Duhm)が、56-66章を第三の預言者に帰されると主張して以来、バビロン捕囚からの帰還の時期に活動したと考えられる預言者による『第二イザヤ書』(40~55章)とさらに後代の預言者によるとされる『第三イザヤ書』(56~66章)がリベラル派では区別される。
第一イザヤ書
預言者イザヤが繰り返し「アモツの子」と呼ばれているため、教父アウグスティヌスはその著書『神の国』の中で、預言者アモスの子であるとした[4]。アモスの活動後約10年ほどしてイザヤは召命されたと考えられる。ただし、アモス、ホセアが北王国イスラエルで活動したと考えられるのに対し、前8世紀の預言者イザヤは、南王国ユダの首都エルサレムで活動した宮廷預言者であったと考えられる。そのため、アモスやホセアが主に出エジプトの伝承に拠っていたのに対し、イザヤにおいては、ダヴィデ王家とシオン(エルサレム)の選びの伝承が重視される。南王国ではほぼ同時代にミカ書によって知られる預言者ミカが活動したと考えられるが、ミカはエルサレムの徹底的な破壊をも預言した点が異なる。
また、イザヤがエルサレムで活動したということは、現実の政治権力への接近可能性という点でも重要であり、預言者イザヤは、ヒゼキヤ王の即位に際して役割を果たしたと推測される。
各章は、必ずしも年代順に編集されてはいないと考えられる。例えば、当然最初に置かれるべきだと思われる召命記事は、6章に置かれている。
- 1章には、『アモス書』にあるような生贄祭儀批判が見られる。
- 2章では、人間の傲慢と戦争が非難の対象となるが、この神ではない人間の高ぶりは、イザヤの預言の重要な主題の一つである。
- 6章は召命記事である。
- 7-8章はシリア・エフライム戦争に関するものである。(インマヌエル預言)
- 13-14章は、バビロニアに関する預言であり、アッシリアの時代に生きた第一イザヤの預言と考えるのは不自然なので、後代に帰される。
- 24-27章は黙示的であり、バビロン捕囚以後に帰されることが多い。
- 34-35章は、第二イザヤ書に類似していることが一般に認められている。
- 36-38章では、アッシリアの王センナケリブによる侵略が描かれる。紀元前701年にエルサレムは辛うじて陥落を免れたが、これがシオンの選びの確証と捉えられたと考えられる。同一の事柄に関する『列王記』下18-20章の記述は、ヒゼキヤが貢納を課せられたことに触れているが、この『イザヤ書』では言及されていない。
第二イザヤ書
45章15節には、「隠れた神」(ラテン語訳では Deus absconditus)への言及が見られる。
『第二イザヤ書』で最も良く知られているのは、「主の僕(しもべ)」(42:1~4、 49:1~6、 50:4~9、52:13~53:12)に関する4箇所である。『第二イザヤ書』には「僕(しもべ)の歌」と呼ばれる箇所があることが、上述のベルンハルト・ドゥームによって指摘され、一般に受け入れられている。「僕(しもべ)」が誰なのかという問題については論争がある。この歌は、苦難に意味を見出した極めて重要な箇所であり、「僕(しもべ)」の代理贖罪的な死は、イエス・キリストを預言したものとしてキリスト教において重視された。
◆『エレミヤ書』
『エレミヤ書』 (יִרְמְיָהוּ Yirməyāhū)(―しょ)は、旧約聖書の一書であり、三大預言書(『イザヤ書』、『エレミヤ書』、『エゼキエル書』)の一つ。プロテスタント教会の一般的な配列では旧約聖書の24番目の書にあたる。
52章からなる。36章には、ヨヤキム(エホヤキム)王の第4年(紀元前605年)に、エレミヤが書記バルクに言葉を書き取らせたが、その巻物は王により焼かれてしまったので別の巻物に再び書いたとされている。全体的には神ヤハウェに従わないイスラエル国民がバビロンによって滅ぼされる事をエレミヤが預言する内容となっている。イスラエル国民にとっては望ましい話ではなかったため、エレミヤは酷い仕打ちを受ける事になる。最終章でエルサレムの宮殿は焼かれ、民はバビロンへ捕囚にされる。
筆者エレミヤについて
エレミヤが預言を始めたのは、ヨシヤ王の治世の第13年であるとされている(紀元前627年)。エレミヤは、バビロニアによるエルサレム陥落後の紀元前585年頃まで活動を続けたと考えられる。
ヘブライ語聖書とギリシア語訳の相違
七十人訳聖書と呼ばれるギリシア語訳とヘブライ語のマソラ本文を比較すると、諸民族への託宣の位置が異なるだけでなく、8分の1ほど短い。七十人訳には幾つかの部分に差異や欠落がある。以前は、ギリシア語に翻訳されたときに短縮されたと推測されることも多かったが、死海文書の発見により、この見解は覆された。死海文書に含まれていた『エレミヤ書』の断片は七十人訳に対応しており、むしろ、マソラ本文が編集と加筆によって長くなったことが明らかになった。
構成
大まかには、年代順に記事は配列されていると考えられるが、必ずしも厳密なものではない。
25章13節には神の言葉が記されている巻物が言及されているので、この巻物の内容がエレミヤ書25章までの基本部分を構成していると考えられることが多いが、明確にゼデキヤ王の時代に言及している部分(21章)もあり、申命記史家的編集を経ていると考えられる。七十人訳聖書においては、この25章13節に諸国民への託宣が続いている(ヘブライ語聖書では、46-51章に置かれている)。
エレミヤ書の前半の成立過程は概ね上述のように推測される。 後半には散文部分が多い。
1914年に公表されたS. モーヴィンケルの研究以来、
- A - 詩文による預言
- B - エレミヤに関する物語
- C - 申命記的な様式に良く似た散文の説教
- D - その他
が区別されるのが一般的である。
初期の預言はホセアの預言に非常に良く似ている。
エレミヤに関する物語部分は、彼の書記であったとされるバルクに帰されることが多いが、申命記史家的な編集がどの程度であるか、という問題は残る。
Cは、申命記史家的な編集者によると考えられることが多いが、預言者自身の言葉の言い換えを含んでいるかもしれない。
申命記改革(ヨシヤ改革)に対して
『列王記』下22-23章では、ヨシヤ王の第18年(紀元前622年)にエルサレム神殿で、大祭司ヒルキヤにより「律法の書」が発見されたことが報告されている。この書は、現在の『申命記』の主要部分であると考えられており、『原申命記』(Urdeuteronomium)と呼ばれる。この書の内容に従い、ヨシヤ王の時代にエルサレム以外の聖所が廃止された(祭儀集中)。
11章で繰り返される「契約の言葉」とは、『原申命記』のことであると考えられる。3節でこの「契約の言葉」の違反者に対して呪いが語られることから明らかなように、エレミヤは基本的にこの改革に好意的であったが、この改革が伴った祭儀集中は地方聖所で活動していたレビ人祭司たちの地位を脅かすものであったため、アナトトの自分の一族から命を狙われたことが報告されている。この時期のエレミヤの苦悩は、「告白録」と呼ばれる部分に書かれている。
異教的な祭儀や社会的不正に対する批判を、エレミヤは申命記改革と共有していたが、申命記改革(ヨシヤ改革)の問題性を彼は指摘してもいる。紀元前609年に、申命記改革の推進者であったヨシヤ王は、エジプト王ネコによってメギド(エルサレムのはるか北方、カルメル山の南方)で殺害された。これに引き続き、ヨシヤの子エホアハズが後継者として民によって選ばれたが、エジプト王ネコは彼を退位させ、代わりにヨヤキム(エホヤキム)を王位につけた(紀元前608年)。このヨヤキム王の第1年に語られたとされる説教が26章に収録されている。8章では、「主の律法」を保持していることを誇る預言者たちや祭司たちに対して審判が語られている。これは、当時の申命記改革の推進者に対する批判であると考えられる。書記たちが律法を捏造し、その律法に基づいて、破滅が迫っている状況で偽りの平和を語ったことが批判されている。
申命記改革は、エルサレム神殿の地位を必然的に高めることになったが、エレミヤは、エルサレムの選びを絶対的なものとは見なさなかった。26章では、民が罪を悔い改めなければ、かつて破壊されたシロのように、エルサレムも廃墟になると預言される。最初、この預言を聞いた者たちはエレミヤを死刑にしようとしたが、数人の長老たちがエルサレムの荒廃を預言した預言者ミカ(『ミカ書』は彼に帰されている)を引き合いに出してエレミヤを弁護した。
ただし、エルサレムに対する審判を語ることが命がけだったという状況に変わりはない。26章20節以下では、エレミヤと同様の審判預言を語っていたウリヤと呼ばれる預言者が、逃亡先のエジプトから連れ戻されて王によって殺されたことが報告されている。26章最終節の24節によれば、エレミヤはシャファンの子アヒカムによって庇護されていたために殺されずにすんだ。シャファンはヨシヤ王時代の改革推進者の一人であった。
エレミヤ書が申命記史家的な編集を後に受けたことはほぼ確実であると考えられているが、編集者たちは申命記改革に対するエレミヤの批判を削除しはしなかった。
◆『エゼキエル書』
『エゼキエル書』( ספר יחזקאל)は、旧約聖書の書物の一つ。『イザヤ書』、『エレミヤ書』とともに、旧約聖書中の三大預言書を構成する。48章からなる。
著者は預言者エゼキエルに帰せられている。彼は預言者エレミヤよりやや年下であり、エレミヤがほぼエルサレムで預言活動を行ったのに対し、バビロンの地において捕囚民の精神的指導者として預言活動を行ったと考えられる。他の預言書と比較して、はるかに整然と構成されているように見えるが、この構成が預言者自身によるのか、それとも後代の編集者によるのかが問題とされている。ギリシア語訳はヘブライ語テクストよりやや短いので、ある程度の編集過程を経ていることはほぼ確実である。
エゼキエルの出自・年代
おそらくエルサレムのザドク系祭司の家系出身である。これは彼がエリート階層に属したことを意味している。バビロニアは基本的に、征服した諸国の指導的地位にある人々を捕囚として他の地方に移住させたが、エゼキエルは紀元前597年の第1回バビロン捕囚においてヨヤキン(エホヤキン)王とともに捕囚とされたと考えられる。
エゼキエル書の内容
- エゼキエルは、紀元前597年にイスラエルの民らと共にバビロンに捕囚されたが、その後、捕囚された者たちに悔い改めと希望をもたらすために、召命を受けた。
- エゼキエルが召された頃は、ユダヤの王国はまだ完全に絶えておらず、王と多くの民が自分の土地に住んでいた。しかし、多くのイスラエル人は預言者の指導を拒否し、預言者に敬意を払うこともなかった。数年のうちに、神殿も城壁も破壊され、エルサレムの町は焼かれ、多くの民がバビロンに捕囚され、残った者はエジプトに避難するなどして世界中に離散した。その結果、約束の地からイスラエル人は追われ、ユダヤの王国は滅亡した。このことは神がイスラエルを守ることができなかったから起こったのではなく、イスラエルを救うことができたのにもかかわらず、神自身がイスラエルの中の邪悪に対し、その当然の結果がもたらされることを選んだから起こったのだという内容が記載されている。 ・エゼキエル書には神の怒りと共に、悔い改めて神に立ち帰る者には回復が与えられるという希望も書かれている。
◆諸書
諸書とは、ヘブライ聖書(תנ"ך)に収められた二十四巻(キリスト教では旧約三十九巻に含まれる)をカテゴリーごとに分類する際に用いられるユダヤの概念である。
ユダヤ教の伝統では、諸書には以下の十一巻が含まれる。
- 『詩篇』
- 『箴言』
- 『ヨブ記』
- 『雅歌』
- 『ルツ記』
- 『哀歌』
- 『コヘレトの言葉』
- 『エステル記』
- 『ダニエル書』
- 『エズラ/ネヘミヤ記』(ユダヤ教では『エズラ記』と『ネヘミヤ記』は一巻の文書と見なされている。)
- 『歴代誌』(ユダヤ教では上下巻に分けられていない。)
この序列はアシュケナジーの写本家たちによって公式に認定されており、ヘブライ聖書が出版される際には概ねこの序列に従って編集されている。ただし、ティベリアとセファルディムのマソラ学者の間では序列の一手法としか見なされておらず、ゲマラーにおいても別の序列が記録されている。
サブ・カテゴリー
また、上記の書物はサブ・カテゴリーによって更に分類されている。
- エメット(אמ"ת):『詩篇』、『箴言』、『ヨブ記』。
- この呼称はそれぞれの書物の頭文字、איוב(『ヨブ記』)、משלי(『箴言』)、תהלים(『詩篇』)から取られた造語で、普通名詞のאֱמֶת(エメット:真実)になぞらえられている。これらの書物は詩文学に相当するのだが、この三文献でのみ用いられる独自のタアミーム(抑揚記号)や詩文学特有の段落の配置といった点で、マソラ学者たちの解釈に大きく依存している。
- ハメシュ・ハ=メギロット(五つの巻物):『雅歌』、『ルツ記』、『哀歌』、『コヘレトの言葉』、『エステル記』。
『ダニエル書』、『エズラ/ネヘミヤ記』、および『歴代誌』は、諸書の範疇に組み入れられてはいるものの、上記あるいは固有のサブ・カテゴリーには分類されていない。タルムードによれば、これらの書物は他の聖書文献に比べて成立年代が遅かったとされており、実際これらの書物では聖書時代史のより後期の出来事が記録されている。『エズラ/ネヘミヤ記』は明らかに『歴代誌』の続編と見なすことができる。また、『ダニエル書』と『エズラ/ネヘミヤ記』では、アラム語による執筆箇所がかなりの部分を占めている。
定義
ヘブライ聖書の全二十四巻をトーラー、預言書、諸書と分類する手法は、タルムードやミドラーシュにおいて既に確認できる。また、それぞれが神聖な書物であることの証として以下のように定義されている。
- トーラーは神の栄光によって書かれた書物である。
- 預言書は預言を通じて書かれた書物である。
- 諸書は聖霊の力によって書かれた書物である。
『ダニエル書』、『エズラ/ネヘミヤ記』、および『歴代誌』には預言書として分類されるに相応しい要素が含まれているのだが、成立年代の観点からすれば相応しくないとされている。ラムバム(ラビ・モーシェ・ベン・マイモーン)は著書『迷える人々の為の導き』のなかでその理由について述べている。いわく、---これらの書物を成立に至らしめたインスピレーションは聖霊による力と同種のもので、それによって一つのカテゴリーを形成するに至った。対する預言書は、あくまでも預言によって成立しているため、それ固有のカテゴリーに属しているのである---。












