ペルー大使公邸人質事件現場
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◆ ペルー大使公邸人質事件現場を訪問
ペルー リマ 1999年
地元のTVクルーが中継をしていた。事件後ちょうど3年が経過していた。
◆1996年4/23 大使公邸への武力突入決行のニュース
日本時間の午前5時23分、現地時間の午後3時23分頃から、ペルー政府の特殊部隊による
大使公邸内への武力突入が行われ、約30分後に公邸を制圧することに成功、人質72名のうち、青木盛久在ペルー大使等日本人24名は無事に救出された模様。
その後の発表によると、人質のうちペルー人でペルー最高裁判所のカルロス・ジュスティ前長官が 死亡した他、突撃部隊の兵士2名も死亡したことが分かり、合わせて3名の犠牲者が発生した。公邸を占拠していたMRTAのグループ14名は全員の死亡が確認されている。
橋本首相はこの件について、「事前に相談を求められなかった点について遺憾だ」と述べた上で 「必要最小限の犠牲による最善の決断であり、ぎりぎりの状況における判断を非難する気はない」とフジモリ大統領の決断に理解を示す考えを示唆した。
さらに日本政府の梶山官房長官も、 「誰にも悟られることなく作戦が行われる必要があったためで、逼迫した状況にあったことは推測できる」と発言している。
公邸で作戦の指揮にあたったフジモリ大統領は、作戦終結後に特殊部隊の兵士たちの前で成功を 喜び合い、さらに犠牲となった兵士たちの勇気をたたえた。
■ペルー大使公邸人質事件現場

▲ おいおいキミ、その右手はないだろう。


▼奥の茶色の高いビルの窓から強行突入を中継していたという。

チリのサンチャゴで拘束されているフジモリ元大統領はどうなるのだろうか・・・・












