イスラエル紀行(4) ヤッフォ Jaffa
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【ヤッフォ Jaffa】
テルアビブの南端にあるヤッフォは聖書にも登場する港で、歴史は紀元前18世紀までさかのぼる。紀元前10世紀のダビデ王の時代には、ヤッフォに荷揚げされた輸入品がエルサレムに運ばれた。ソロモン王の時代にはエルサレムの神殿建築に使われたレバノン杉もヤッフォから荷揚げされたという。
また、聖書との関連ではヤッフォの皮なめし職人シモンの客であったペテロを、ローマ軍のコルネリウスの使者が訪ねたことにより、キリスト教が異邦人へと広がっていったとされる。
13世紀にはエルサレム巡礼の玄関口となった。イスラエル建国後、1960年代から再開発が進み、古い町並みが再現された。現在、ヤッフォには芸術家が数多く住み、ギャラリーは観光客で賑っている。
ヤッフォでは、まずケドゥミーム広場の聖ペテロ教会、ラムセス2世の門を見学。そして見晴らし台から地中海に浮かぶアンドロメダの岩や近代都市テルアビブを眺めたあと、燈台の近くの”皮なめしシモンの家”に続く洒落たギャラリーの多い射手座通りをゆっくり歩いた。
◆ 聖ペテロ教会 St.Peter Church
聖ペテロ教会は1888年から1894年にかけて建設され、十字軍時代のフランスのルイ9世がつくった要塞の上、また、ナポレオンが1799年に滞在したとされる場所にこの教会は建てられた。托鉢修道会の一つであるフランチェスコ修道会によって運営されている。
◆ アンドロメダの岩 Andoromeda' Rock
【アンドロメダの岩の伝説】
アンドロメダはエチオピア王ケフェウスと王妃カシオペアの娘。
ある日カシオペアは、海の妖精ネーレウスの娘よりも自分の娘は美しいと自慢したために、ネレーウスの祖父海神ポセイドンの怒りをかった。
ポセイドンは恐ろしい大鯨を送って、エチオピアの沿岸を荒らし回った。
ケフェウスは、娘を生贄として捧げない限りポセイドンの怒りは収まらないという神託を受け、泣く泣くアンドロメダを海岸の岩に鎖で繋ぐ。そのアンドロメダがが縛られていたのがこの写真の岩だという。
そこに通りかかった主神ゼウスの子ペルセウスは、持っていたメドゥーサの首を使って大鯨を退治した。
彼はほうびとして彼女を妻にもらいうけた。二人は7人の子供をもうけて幸せに暮らした。ケフェウス、カシオペア、アンドロメダ、ペルセウスと愛馬ペガサスは、のちに星座となった。
(ギリシャ神話より)
◆オールド・ヤッフォと呼ばれる旧市街の射手座通りを歩く。この地区には芸術家が多く、
粋な雰囲気が漂っていた。
◆皮なめしシモンの家 House of Simon the Tanner
【皮なめしシモンの家とペテロの布教】
狭い路地の奥にある小さな家が使徒行伝に出てくる皮なめしシモンの家とされている。
ヤッフォの海のそばに住む皮なめしシモンの家に滞在していた使徒ペテロのもとに、カイザリア在住ローマ軍の百人隊長コルネリウスの使いがやってきて、イエスの教えを請うた。当時ユダヤ人が異邦人と交際することは禁じられていたが、ペテロはコルネリウスに会い、イエスの教えを説いたという。
これがきっかけで、国外にもイエスの福音が伝えられた。
▼ ヤッフォのねこくん達
◆【動画】 ヤッフォの丘から眺めたテルアビブの遠景です。