イスラエル紀行(27) 世界遺産 マサダの要塞
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◆ 2007年3月17日
メギド、ベトシェアン、クムラン、マサダ、死海
【マサダの要塞】
過酷なローマ帝国の支配に耐えかねたユダヤ人は、紀元66年に大反乱を起こした。時のローマ皇帝ネロは軍を派遣し、激しい戦いが繰り広げられた。紀元70年にはエルサレムが陥落し、ユダヤ人の聖地である神殿も唯一西側の城壁を残し破壊された。唯一残った西側の城壁が「西の壁」あるいは「嘆きの壁」と呼ばれる今日のユダヤ人の最も聖なる場所である。
紀元70年にエルサレムが陥落してから3年の間、ユダヤ人1000人あまりが死海のほとりの周囲を断崖絶壁に囲まれた地上400mの岩山に築かれた要塞に立てこもり、ローマ支配に抵抗し続けた。しかし紀元73年ローマ軍一万人に囲まれ、「異教徒の辱めを受けることを潔しとせず」として、籠城していたほぼ全員が自決した。これがマサダ要塞の悲劇である。
またイスラエル軍の入隊式はこの地で行われ、「マサダの悲劇を二度と繰り返すな」という入隊の宣誓をするそうである。
紀元73年ローマ軍によるマサダ要塞陥落以後、20世紀のナチスによるユダヤ人弾圧・虐殺を経ての1948年のイスラエル国家成立までの約2000年の間、世界に離散・放浪せざるをえなくなったユダヤ人にとって、
「マサダ」は二度と陥落されてはならない砦であり、ユダヤ人の離散・放浪・迫害の2000年の暗い悲しい歴史を背負った「ユダヤ民族としてのIdentityの中核となる精神的・歴史的象徴の砦」なのであろう。
◆マダサを包囲したローマ軍の陣地跡

◆ 周囲に広がるユダの荒野

◆ ロープウェイでマサダの要塞へ




◆ 城砦と一羽のカラス

◆ ヘロデ王が建てた北の宮殿跡の三段テラス


◆ マサダの要塞から眺めたローマ軍の陣地跡


◆ 要塞から眺めたユダの荒野と死海














