<水島夫妻バイク・アフリカ縦断>(36) キベラの天使と希望
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■ケニア
2007年4月28日(土)
■【水島さんの旅のブログ】
水島さんアフリカ縦断レポート 4月28日 晴れ キベラ その2
【キベラの3人のマライカ 「天使」】
キベラには2人の天使とそれを側面から応援する1人の天使・・・3人の天使が居た。 マライカとはスワヒリ語で「天使」の意。
◆一人は寺小屋学校・マゴソスクール(Magoso School)を運営するリリアン(Lilian)さん。
彼女は、キベラに生まれ、早く両親をなくし、満足に食べることもできず、学校にも行けなかった。
このような経験から、同じ境遇で希望をなくしている子供たちに少しでも手助けが出来ればと、手先の器用さを生かして、機織をしてそれを売ったり、古着のボタンを集めて売ったりなどして、兄弟を育てると同時に、寺子屋を作って身寄りの無い子供・親兄弟からいじめにあって逃げてきた子だとかを集めて自立の手助けをしている。
◆ もう一人は診療所を運営するフレパルス(Frepals)さん。
彼女は、軍病院の助産婦として定年まで勤めあげ、そして密集するキベラに診療所を作ったら、患者も多く来て、老後はなんの心配もしなくていいだろうと思って、診療所を立ち上げた。が、しかし診療所に来る患者はほぼお金を持っていない人が大半で、お金を満足にもらえなかった。でも一生懸命に生きようとする姿に“自分の一生はここで過ごそうと決意。
日々かつぎ込まれる重症患者の診療に当たっている。
今は全財産を使い果たし、NPOの申請をして運営されているが、微塵もそれに臆する姿は見られなかった。むしろ元気溌剌として生き生きとされていた。
◆ もう一人は、二人の生き様に共感を覚え、出来ることの支援を惜しまない、早川千晶さん。
千晶さん、ケニアに住んで18年。彼女は“困っている人には恵みを与えるのではなく、其の自立のお手伝いをするのが基本であるという”信念のもと、二人の生き様に共感を覚え、何かと心の支えになったりして、お二人を支援されている。
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○早川千晶さんのプロフィール (管理人ヤスコヴィッチ掲載)
ケニア・ナイロビ在住のフリーライター。
1966年福岡生まれ。
東京外国語大学インド・パーキスターン語学科ウルドゥ語専攻中退。
1987年世界放浪の旅に出発し、アジア、ヨーロッパ、アフリカ各国を旅した後、1990年にケニア・ナイロビに定住。
ケニアで旅行会社に9年間勤務し、旅の企画や撮影コーディネーターを手掛けた後、1999年にフリーライターになる。
現在は執筆活動のかたわら、ナイロビ最大級のスラム・キベラでのストリートチ
ルドレンのための学校建設・運営、スラム住民の生活向上プロジェクト、リサイ
クル運動、大自然体験ツアー、アフリカの面白さを日本に伝えるイベントの企画、 マサイ族のコミュニティが行うエコツアーのサポートなどを行っている。
「ウペポ~アフリカの風ネットワーク」発起人。
著書「アフリカ日和」(旅行人)、「輝きがある。?世界の笑顔に出会う旅」
(文化出版社)。エコロジー月刊誌「ソトコト」、隔月誌「アフリカ」、季刊
「旅行人」などに連載中。
ケニア人の夫とのあいだに息子1人、娘1人を持つ2児の母でもある。1999年
から日本全国各地でアフリカトーク&ライブのツアーを毎年行っている。
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【寺子屋学校】 マゴソスクール (Magoso School)
◆寺子屋の入り口
◆授業風景
◆待ちに待った給食時間
◆我々を全員で歓迎してくれた。
【フレパルス(Frepals)さん運営の診療所】
診療所の悩みは
ほぼ毎日エイズの末期症状で“かつぎ込まれる人の多いこと。そして亡くなっていく人の多いことであると、、、。
救急車が通れない街なので救急患者を、手術を行える病院に輸送する際は一輪車での搬送になる。なので、間に合わないことが多いとのことであった。
診療所にも手術の出来る装置と部屋を作った。が、お医者さんの来てが居ないことであるとのことであった。
▲母親がエイズ患者。子供は生まれたがそれで主人も来なくなり、途方にくれている親子の子供を抱っこしてあやすフレパレスさん。母親のエイズの感染源は主人ではないかとも思う。だがこの国では女性の地位の低さと職の無さから、責任は全部母親にかかっているとのことであった。
“生と死の狭間にあるスラム、生命のざわめきが聞こえてきた
祈り 熱気 そして 希望“
今日は勉強させられた、そして 驚き 感動一杯の一日であった。
私の次の夢は“不登校などで学校に行かない子供、そして障害を持って希望を失っているこどもたちと遊び・学ぶこと”
そしてそのために寺子屋を作ること。 夢ではある。今日この現実をみて、何とかやってみたいとつくづく思った一日でもあった。
こんな機会を与えてくれた千晶さん 本当にありがとう!!













彼女は、キベラに生まれ、早く両親をなくし、満足に食べることもできず、学校にも行けなかった。
彼女は、軍病院の助産婦として定年まで勤めあげ、そして密集するキベラに診療所を作ったら、患者も多く来て、老後はなんの心配もしなくていいだろうと思って、診療所を立ち上げた。が、しかし診療所に来る患者はほぼお金を持っていない人が大半で、お金を満足にもらえなかった。でも一生懸命に生きようとする姿に“自分の一生はここで過ごそうと決意。
千晶さん、ケニアに住んで18年。彼女は“困っている人には恵みを与えるのではなく、其の自立のお手伝いをするのが基本であるという”信念のもと、二人の生き様に共感を覚え、何かと心の支えになったりして、お二人を支援されている。





