ヘーホー発、ネピドー臨時経由でヤンゴンへ
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ヘーホー⇒ネピドー⇒ヤンゴン
時は流れて・・・・
ニァゥンシュエのフーピンホテルHupin(湖濱賓館)を早朝に出発してヘーホー空港に向かう。
ヘーホー空港9時20分発のヤンゴンエアーHK-918便にてヤンゴンに向かうはずだったが、急遽、航路を変更してミャンマーの新首都ネピドーを経由することになった。
何事かなと思っていたら、東欧系と思われる外交官夫妻らしき男女二人がヤンゴン・エアーに乗り込んできた。外交官夫妻らしき男女二人をネピドーからヤンゴンに運ぶためだけにヤンゴン・エアーの航路変更が実施されたというわけだ。
ま、ジャングルの中の新首都ネピドーを上空から眺められたのは、希少な体験だったかな。
ヤンゴンの空港には予定より30分くらい遅れて、5月4日午前11時頃無事到着。
【ミャンマーの新首都ネピドー Naypyidaw】
2003年夏より、ピンマナの西数キロの軍用地だった場所にミャンマーの新行政首都が建設された。ミャンマー国家平和発展評議会は省庁・政府機関のヤンゴンからピンマナへの移転を2005年11月7日より開始し、トラックによる大移動が行われた。2006年初頭にはほとんどの政府庁舎がそろうことになっていたが、学校の不足から政府職員の家族はヤンゴンに残留したり往復したりする者もいる。また、行政首都には一般人は立ち入り禁止で、商人は商業地区に隔離されている。軍の司令部なども政府庁舎とは離れた地区に所在している。軍事パレードが行われる広場には、ビルマ史上の偉大な王であるアノーヤター、バインナウン、アラウンパヤーら三人の巨像が並んでいる。
ミャンマー政府は2006年3月27日の国軍記念日に新首都で軍事パレードを開き内外の報道陣を招き、この席で首都地域を"王都" "首都"を意味するネーピード Naypyidaw, "Royal City"と呼ぶことを公式発表、10月10日には公式に遷都を発表した(日本外務省ではネーピードー、日本の報道機関はネピドーと呼ぶことが多い)。
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ネピドーへの首都移転の理由は、ミャンマー政府によれば「現在の首都ヤンゴンよりも国土の中心に近く、国民のニーズに応えるためにはより適切な位置にある」ということであるが、真意は不明確であり、いろいろな説が唱えられている。
説①
アメリカからその専制を批判されているミャンマーが、イラク戦争同様に侵攻を受けた場合、内陸に位置するネーピードは海に近いヤンゴンより占領されにくく、より戦略的に有利な位置にあるからだという見方。
説②
ネピドーはカレン州、シャン州、チン州など少数民族の多い州(ピーネー)に近く、内戦が起こった際にはやはり戦略上重要な位置にあるからだという説。
説③
元首で上級大将のタン・シュエのお抱え占星術師の命令によるものだという説。2005年11月9日のマレーシアの英字紙、ニュー・ストレート・タイムズは『首都移転の影に占星術師』のタイトルの記事を掲載している。
説④
軍事政権は都市部の市民を恐れているとの説。高い教育を受けた国民や海外留学から帰った国民の増加により、そういった人々の多く住むヤンゴンで市民運動や革命が起こることを軍事政権は危惧している。それゆえ、政権中枢をネーピードに移転させ政権の強い地盤とし、革命が起こっても早期に鎮圧できる拠点としようとしているというもの。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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▼早朝のフーピンホテルHupin(湖濱賓館)
▼ニァゥンシュエからヘーホーへ走る
▼ヘーホー空港① パガン・エアーのプロペラ機
▼ヘーホー空港② これが搭乗したヤンゴン・エアーのHK-918便
▼ヤンゴン・エアーからの空撮 ①
▼ヤンゴン・エアーからの空撮 ②
▼ヤンゴン・エアーからの空撮 ③
◆新首都ネピドーの空港に臨時着陸
▼ネピドー上空 ① 陸の孤島のように一本の道だけが延びている・・・・
▼ネピドー上空 ②
▼ネピドー上空 ③ 青い屋根の建物が公務員宿舎らしい。