秦始皇帝・兵馬俑博物館
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<秦始皇帝・兵馬俑博物館>
西安から約35km東に横たわる巨大な墳丘は、紀元前221年、斉、楚、燕、韓、趙、魏の6国を滅ぼして天下統一の野望を実現した秦始皇帝の陵墓である。
墓室には、盗掘を防ぐ様々な仕掛けが凝らされていたが、始皇帝の死後わずか3年で陵墓は破壊され、豪華な副葬品も項羽の軍によってことごとく略奪されてしまったという。
いっぽう兵馬俑は、1974年、地元の農民が井戸堀の作業中に偶然掘り起こした一つの陶像によって、再び現代に甦ることになった。秦始皇帝の陵を取り巻くように並んだ兵馬俑の群が続々と発見されたからである。始皇帝は自らの陵墓を守るため、近衛軍団として陶器でできた実物等身大の兵馬俑を埋めておいたのだ。
兵馬俑の数は推計6000余りで、まだ発掘途中の段階で、全部の遺構を掘り起こすのに、あと100年はかかるであろうといわれている。
兵馬俑坑は、発見順に1号、2号、3号と分類されており、1号抗と3号抗は、秦始皇帝・兵馬俑博物館として一般に公開されている。
ヤスコヴィッチが兵馬俑博物館に行ったときには、幸運にも、兵馬俑を発見したおじいさんに会うことが出来、パンフレットにそのおじいさんのサインを書いてもらうことができました。
好々爺といった品のいい、おだやかな感じの好感のもてるおじいさんでした。













