<水島夫妻バイク・アフリカ縦断>(50) ヌビア砂漠を列車で突破!
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■スーダン
2007年 7月1日~3日
■【水島さんの旅のブログ】
07年7月1日(日)~3日(火) 灼熱のヌビア砂漠を列車で突破 ! 水島 治 ・・・・・
ポリスなどから、砂塵が吹き荒れ、日中は45度軽く突破するこの時期にバイクでの砂漠突破をしようとするのは、死に行くことと一緒だと言われ、
急遽一週間に一本の運行しかしていない列車に切り替えた。
☆ 7月1日、旅の友 テーラーブルーを列車に積み込み。
☆ 7月2日、そして我々は、8時30分列車に乗り込みハルツームを出発。
▼アブハメドからヌビア砂漠の中央部を通過。

▼ 延々と続く 砂漠 砂漠 砂漠・・・

▼ ヌビア砂漠縦断の列車の中


起きている者なし 小便にも行けない。
☆ 7月3日、14時10分、国境の町そしてナイル沿いの砂漠の何もない町ワジアルファーに着いた。 駅舎では、旅の友テーラーブルー“明日しか渡せない” というのを、“ビザの期限がない。明日にはフェリーに乗らなければならないことになっている“とお願いをして、4時過ぎに無事引き取ることが出来た。 そして宿へ。
▼ ワジアルファーのホテルにて

客は部屋に寝るのではなく、外にベットを移してそこで寝ていた。
われわれ、部屋は暑くて眠れない。
あまったベットが外にあったので、そのベットを使って漸く眠りについた。
【ヌビア砂漠列車での突破】
ヌビア砂漠列車での突破、なにせ過酷で、暑かった。全身黄砂まみれ、消費した水は毎日二人で約7~9リッターにも達した。
そして砂漠は、いつも止むことなく砂塵が吹き荒れ、いたるところにラクダ・ロバの死骸が転がって、干からびていた。
我々も、ミスターアディリなどの忠告を聞かないでバイクでの砂漠突破を試みていたら、間違いなく、このようなラクダとロバの姿になっていたであろうと思った!!!!

“数字も文字” “見るもの聴くもの”すべてアラビック語。
お手上げの状態の我々をハルツームに入ってから、いつも親身になって手助けしてくれたミスターアディリ。
別れ際には涙ぐんで別れを惜しんでくれた。
貴方の親切とその姿、一生忘れません!!
ありがとう!!
本当にありがとう!!

友テーラーブルー 列車へ
積み込む場所を探して、そしてお願いをして、
貨車に載せるまで3日もかかってしまった。












