サウジアラビア (21) ヒジャーズ鉄道駅跡
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サウジアラビア
5日目
アルウラ旧市街、ライオンの墓、エレファントロック、ヒジャーズ鉄道駅跡
【マダイン・サーレ遺跡】
アル・クライマット、ディワン、エスリブの丘、ナバティアの井戸、アル・ヴィント、
アル・ファリド、アルウラの夕陽
▼ ヒジャーズ鉄道の蒸気機関車
【ヒジャーズ鉄道】
オスマン帝国によって建設されたヒジャーズ鉄道(Hejaz railway)は、シリアのダマスカスから現在のサウジアラビアの聖地マディーナ(メディナ)までの区間を、シリア、ヨルダン、およびアラビア半島西部のヒジャーズ地方を縦断して連絡した鉄道である。総延長は1,308km、軌間は1,050mmで、オスマン帝国の鉄道網の一部をなしており、当初の計画では聖地マッカ(メッカ)を終着駅にしていた。
その敷設目的は、ムスリムたちの聖地であるマッカやマディーナへ向かうハッジ(大巡礼)の巡礼者たちの交通のためだとされたが、真の目的は、オスマン帝国の宗教に対する支配やヒジャーズ地方に対する軍事支配を強め、またダマスカスとヒジャーズ地方との交易を強化しようとしたことであるとも考えられる。
鉄道は1900年に建設開始され、1908年に完成し多くの巡礼や兵士を南へ運んだが、第一次世界大戦時にイギリスの支援を受けたアラブ勢力に破壊され、路線のほとんどは以後再建されることはなかった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
◆◇◆ 「アラビアのロレンス」の破壊工作で有名なヒジャーズ鉄道のマダイン・サーレ駅の跡がマダイン・サーレ遺跡の北に残っている。
残っているのは蒸気機関車の整備場である。 マダイン・サーレ駅舎は残念ながら残っていない。
▼1906年のドイツ製の機関車
▼RICOHのデジカメの写真
▼ 折れ曲がった線路跡、枕木にはレバノン杉が使用されていた。
◆時間的には前後するが、アルウラのアラク・ホテルに戻ってのビュッフェ形式のランチ。ここでもノン・アルコールのビン・ビールで咽を潤した。
▽遊びで三本のノン・アルコール・トリオ結成