◆◆来世への旅
死者が来世に旅立つとき、西方の砂漠につくられた墓の前で葬儀が行われる。葬列は「西方(アメント)の女神ハトホルと墓地を守る神アヌビスの前で行われる儀式に向かう」と書かれている。アニの『死者の書』のパピルスの巻物の最後にも、雌牛姿のハトホル女神が砂漠の緑から顔をのぞかせて死者を迎える様子が描かれている。
死者は埋葬されたのちは、独りで砂漠の暗い道を歩いていかなければならない。
冥界で待つ大神オシリスが死者のために松明を授ける場面が、パシェドウの墓の埋葬室に描かれている。死者はオシリス神の館に入るまでに、3柱の門番のいる7つの門と1柱の神が座った小さな祠のような21の衝立の前で、「ここまでやってきた」ことと、「門番たちの名前」を告げて、門を通る許可を得なければならなかった。古代エジプト人は饒舌だったようだが、余計な言葉ではなく、正確に神々の質問だけに答えることが重要であった。続くオシリス神の審判の場(古代エジプト語では「二つの真理の間」と呼ばれた)でも、そこに臨席する42柱の神々に生前に悪い行いをしなかったことを告げる「罪の否定の告白」をしなければならなかった。
このようなことが埋葬後に冥界で行われると想像されたために、ミイラに生命機能を取り戻す「口開けの儀式」はとても重要なものと考えられた。フウネフェルの『死者の書』の場面は、儀式で使われる手斧など道具箱までも正確に描かれていて、墓の前で埋葬前に行われる儀式の全体像をよく表現している。そこには、死者のために前脚を切られる子牛とそれを嘆き悲しむ親牛、葬儀をとり行う喪主、『死者の書』の巻物を読み上げる朗唱神官や泣き女なども描かれている。
◆◆2-3-26
ミイラの頭敷き(ヒュポケファルス)
Hypocephalus of Tashertikhons
亜麻布、漆喰、インク、直径18.7㎝
プトレマイオス朝、前305-前30 年
出土地記録なし

『死者の書』第162章は、「死者の頭の下に熱を与える」という呪文である。この呪文には、ラー神の母として描写されている聖なる雌牛、イヘトのものとされる言葉が記されている。頭の下に創りだされる熱は、死者に新しい生命を与える。注釈によると、この呪文は、死者の喉に置かれた雌牛の形の護符の上で唱えるか、「頭の下に置かれた新しいパピルスに記されなければならない」とある。この指示に従って、棺の中のミイラの頭の下に、護符を置く慣習が生まれた。この慣習は主に、上エジプトの身分の高い神官の埋葬に見られる。
ヒュポケファルス(「頭の下」の意)と呼ばれる円盤型護符は、一般的に亜麻布で作られたが、時には青銅やパピルスで作られるものもあった。そこには、第162章の呪文に関連する文章や挿絵が描かれた。挿絵は多様で、あまり意味をなさず、また挿絵に伴う文章も、絵が示す意味をすべて説明しているわけではない。この例では、縁を飾る碑文に被葬者の名前タシュリトコンスが記されている。上の部分には、ジャッカルの神ウプウアウトの像を載せた杖を手にした双頭の神が描かれている。その両側には、右手のスカラベ姿の太陽神など、聖なるものを乗せた船がある。中央の段には、4つの雄羊の頭を持つアメン・ラー神がおり、彼の複合的な聖なる性質を表している。4頭のヒヒは「神を礼拝している」と記されている。図の他の部分とは180度逆に描かれている下段には、雌牛が他の神々と共に描かれている。
◆◆2-3-27
カノポス容器の模型
Set of four dummy canopie jars
木、彩色、高さ約30㎝
第3中間期、第25王朝、前700年頃
出土地記録なし

ミイラ作りの際に、心臓をのぞく内臓はすべて取り除かれた。肝臓、肺、胃、腸は、遺体と同じように乾燥と香油を塗布する保存処理がなされた。防腐処理を施されたこれらの内臓は、エジプト学者が「カノポス容器」と呼ぶ4つの容器に入れられ、墓に副葬された。第3中間期になると、内臓は再び遺体に戻されるようになった。しかし慣習が変わっても、その頃までにカノポス容器は副葬品の中で象徴的な重要性を持つようになっていたため、消えることはなかった。鮮やかに彩色されたこれら木製のカノポス容器は、模型として作られたものである。実物と同じ大きさだが、中には死者の臓器を入れるための空洞がない。




蓋の部分は、伝統的に容器の中身を守護すると考えられたホルス神の4人の息子の頭をかたどっている。人間の頭はイムセティ神、ヒヒの頭はハピ神を表している。ジャッカルの頭は通常ドゥアムウトエフ神を表すが、ここではケベフセヌウエフ神と記されている。ハヤブサの頭も同様に、通常はケベフセヌウエフ神を表すが、ここではドゥアムウトエフ神と記されている。その理由は不明である。神々の名前は、容器の正面に記されている。